黒崎@スペインの石 20
残念ながら、社会の階層化の流れは止まらないという実感がある。
ネット上では、例えばPCと携帯との棲み分け、デジタルプアの問題が囁かれつつあるが、事はそう単純なものでもないようだ。ある部分では逆転現象もみられる。
http://www.johotsusintokei.soumu.go.jp/whitepaper/ja/h19/html/j1342000.htmlネットは一見フラットに見えるのだが、決してそうではない。
静かに棲み分けと細分化が進んでいるような感触がある。
これは文化的な断層と言って良いもので、そこには圧倒的な格差に似たものがあった。
ただそれは、一方からしか見えない偏光版である。
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「日本の貧困研究」(橘木俊詔・浦川邦夫著:東京大学出版会:2006年)という本がある。
著者は京大の先生で、河上肇「貧乏物語」の系譜という側面もあるが、前掲書ではいわゆる近代経済の手法を用い、わが国の経済格差の諸相を分析している。
ちょうどこの本が出た頃、時の竹中総務大臣は「大問題としての貧困というのはわが国にはない」という発言をしていた。
この場合の貧困とは、古典的な飢餓などを指しているのだろう。
「相対的剥奪感」
という言葉が社会学にあって、私も90年代初めに耳にしたことがある。
次に出てきた概念が「社会的排除」という捕らえ方である。
これは社会への参与が実質的にどれだけ奪われているのかを指標として数値化しようとする試みであった。
絶対的貧困と相対的貧困。
という概念は以前から提唱されてきたものだが、それがより深化したものだと考えればよい。
例えば行政からの給付、生活保護などを受けている方が、パートタイムでほぼ最低賃金近くで働いている方々よりも可処分所得が多くなる、といった歪な現象が散見して久しい。いわゆるワーキングプアの問題である。これは生活保護費の切り下げといった負のスパイラルに繋がってゆく。
ネットカフェ難民とは、日雇いのワンコール・ワーカーのことを多くは意味するが、彼ら専用のサイトもあちこちで散見するようになった。
そこに掲載されている広告が世相である。
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出会い系サイトとネットカフェ難民。
SNSとマルチ、またはカルト商法。あるいはカルトそのもの。
それらを支える様々なツール群。そして人物像。
仔細な分析は割愛するが、90年代以降の大きな社会変動というものが背後にはある。
現代的貧困とネット。
その様々な様相を暫く眺めてきた、というようなところだろうか。