2007年02月11日

豪雨の前兆 24

黒崎@豪雨の前兆 24


しばらく思考実験をさせていただく。
崎山氏はこう書いていた。
「松永氏の実名使用が教団方針だったかどうか、については、彼個別ということではなくて、全体の方針について公調の「内外情勢の回顧と展望」から引用しているとおりで、その引用部分については公調が見解を述べているという性質ではなくて単なる事実を書いている部分だから、なんら問題なく客観資料と言っていいのではないかと」(崎山氏発言)

つまり、公調の何年度版か(わかったら教えてください)によると、当時教団は実名で活動することを方針としていたと。
そこから反射的に、松永氏の場合も教団の指示によって実名で活動していたものと見なしていいだろう、個人の意志ではなく。という趣旨だろうか。
つまり、教団内部等の一次資料というものはなく、「内外情勢の回顧と展望」の中の一文が唯一の推察の証左であるということになりますか。

普通ならそれで納得するところなのだけれども、今回は少し食い下がります。
率直に言って、それは些か弱い論拠かもしれない。
という批判があったとして、不思議ではないと私には思えている。

何故なら、「豪雨の前兆 22」の後段で書いたように、松永氏は自説の展開のために「内外情勢の回顧と展望」を用いた実例があるからである。
http://kurosaki-yowa.seesaa.net/article/33450471.html

一般に相手方の文章や、公的に信頼性が高いとされる文章の一部を引用し、自説を補強するのは宣伝工作の基本だろう。問題はそこから導かれる結論である。
松永氏と同じように、教団の実名使用という方針の下、ネット上で宣伝活動を行っていた別の誰かが特定でき、彼らの証言があるというのならばまた別ではあるのだが。

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豪雨の前兆 23

黒崎@豪雨の前兆 23
「泳がせる」


再び立花さんからである。
「中核VS革マル」というドキュメントがあるのだが、今私の手元に残っているのは確か4回か5回目の購入で、古本屋で100円だった。1975年講談社。
すっと手が伸びて、その辺りに置いてあったものである。

70年代の初め、極左集団は迷走を始める。いわゆる内ゲバ殺人という悲惨な状態が活動家学生や労働者の間に広がった。
先の尖ったバールで脳天を打ちつける。両派だけで死者は30数名。自殺した者、精神に異常をきたした者、廃人になった者は数知れない。
仔細は読んでもらうにこしたことはないが、中にこんな記述がある。


「公安当局がある組織を本気でつぶそうと考えるときは、けっして少しづつ逮捕したりはしない。単にその組織の力をそぐためであるならば、有力活動家の検挙という手段も有効だが、組織に壊滅的打撃を与えようと思う場合には、組織の全容をつかんでおいてから、一斉検挙という形で一挙につぶす。
公安当局がある組織の壊滅を策し、組織の一端をすでにつかんでいる場合、組織の全容をつかむまでは泳がせておく
これが、戦前の特高警察以来の公安警察の伝統的方法である。
戦前の見事な例としては、1928年の3.15、1929年の4.17の二度に渡る一斉検挙による共産党壊滅がある(略)。

戦後、これと同じ方法論でなされた組織つぶしの実例には、連合赤軍と東アジア反日武装戦線の一斉検挙がある。
どちらの場合にも、組織の一端はとうからつかんでいて、それを泳がせ、違法事犯を目撃あるいは察知してもそれを黙過し組織の全容をつかみ、かつ重罪犯として公判を維持できるだけの材料がそろうのをジッと待ってから、一斉検挙に乗り出している」(立花隆「中核VS革マル」下:218-219頁:講談社文庫版)
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公安警察と公安調査庁とを同一に語ることはできないが、今も示唆に富む一文である。
陰謀論、などという単語は当時から既に多用されていた。
公安の実行部隊が代理で相手方党派を襲う。まことしやかにそうした見解が機関紙に記載されたりした。宣伝戦略の重要性も今と寸分変わらない。使う道具が違ってきているだけである。
中核と革マル。両者は当事者として殺し合ったのだが、その背後に第三の勢力として常に公安の影があったと立花さんは看過していた。

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一方、「立花隆を読む」上(文春文庫版 2001年)で、久田恵(ノンフィクション作家)氏がこう書いていた。

「当時の若者に大きな影響を与えた新左翼の知識人たちは座して何もせず、ただ、衝撃的な事件がおこる度に、まだ二十代の若者だった我々の世代をひとくくりに「総括」した(その同じ知識人たちが、今またオウムの若者を論じている‥‥)。
文中、立花隆は、革命党派を宗教組織になぞらえて読み解いているが、組織が独善的な「正義」の言葉で武装する度に変質して、集団被害妄想にいたっていく経過は、そのまま、二十年後に起きたオウム教団の変質の歴史に酷似している。
理念を読み解くだけでは、組織は理解できない(略)。二十年後の今起きている事柄はあの時代にすでに準備されていたのだと、私は了解したのだった」(前掲:47頁)

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豪雨の前兆 22

黒崎@豪雨の前兆 22


崎山氏からコメント欄に解説をいただいた。掲載する。
http://kurosaki-yowa.seesaa.net/article/28954224.html#comment
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○Wikipediaの差分の見方を間違えていませんか?「一例を挙げ」たところは松永バージョンから存在する部分。
Posted by 崎山伸夫 at 2007年02月11日 04:52

○どうもお疲れ様です。
確かに松永バージョンから存在します。私は崎山さんが全てこの部分の原本を書いたとは言ってはいません(そう取れましたらごめんなさい)。修正について触れています。
しかし、野田氏の記述を修正するからにはwikipediaのルールに基づいた資料を崎山さんも入手されてのことでしょうから、それをお聞きしたかったのです。
また、当時の松永氏の実名使用が「教団方針だった」ということも、客観的に証明できる資料はあるのですか?「前兆 11」
Posted by 黒崎 at 2007年02月11日 12:00

○一行ごとにソースを書くと繁雑になるのでやっていませんが、「国賠裁判を支援する会」の中の裁判資料を用いて加筆しています。原告側のみではなく被告(国)側の準備書面も参照しています。会は、本人に非常に近い立場のものなので、本人提供資料に準じた扱いでいいと考えています。裁判の結果や国一合格などはESPIO(メルマガとサイトの両方)。

松永氏が最初に書いたものは「ストーカー野田」を強調しているという意味で中立的とはいえないので、公調 vs 野田の対立のエスカレートの中で2度の事件があったとわかるようにしています。

資料批判的な水準で私の記述が不適切であるとすると、そもそも野田氏の2度の事件を記述するのがどうなんだろう、という感じですかね。彼の活動のなかで重要なポイントではあるので書かないということはしたくないし、公調側の行きすぎた監視についてふれないのは問題が大きいので難しいところです。

松永氏の実名使用が教団方針だったかどうか、については、彼個別ということではなくて、全体の方針について公調の「内外情勢の回顧と展望」から引用しているとおりで、その引用部分については公調が見解を述べているという性質ではなくて単なる事実を書いている部分だから、なんら問題なく客観資料と言っていいのではないかと。
Posted by 崎山伸夫 at 2007年02月11日 15:56

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無理を承知で結論を先に書くと、私自身はWikipediaにおける野田氏の項目というのは、そもそも立てられるべきではなかったと考えている。
「豪雨の前兆 10」や同じく11で他の方が指摘しているように、もとより松永氏の動機が不純だからである。
http://kurosaki-yowa.seesaa.net/article/32852452.html
http://kurosaki-yowa.seesaa.net/article/33065193.html

「ウィキペディアは何でないか」を眺めていると、
「○いかなる種類の宣伝(プロパガンダ)や擁護の場でもありません。
あなたが支持する人物や団体、思想や信条を宣伝するためにウィキペディアを利用してはなりませんし、逆に対立する相手や不愉快なものを非難・攻撃したり、あるいは読者を扇動するためにウィキペディアを利用してもなりません。もし、本当にあなたの主張を他の人々に広めたいなら、例えば外部の電子掲示板やブログをご利用ください」

と、明白に規定されている。
いびつなスタートラインから開始された言論を、その後修正してゆくことが如何に困難であるか。上記コメント欄で崎山氏が述べている通りである。

とは言っても、一度立てられた項目そのものを削除するということは、余程のことがない限り難しいのかもしれない。Wikipediaでのその辺りのルールについては私は不知である。
しかしながら、現実社会の反射的効果として、ここで松永氏の実名掲載の可否が再燃してくることも確かだという予感もある。

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ここで話は飛ぶ。
「松永英明」の本文履歴、2007年2月5日分で、松永氏本人は以下のように記載していた。
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9D%BE%E6%B0%B8%E8%8B%B1%E6%98%8E&diff=10495082&oldid=10440826

「 2007年1月 - 公安調査庁の発表した「[http://www.moj.go.jp/KOUAN/NAIGAI/NAIGAI19/naigai19-00.html 内外情勢の回顧と展望]」2007年版において、2006年のオウム関連問題として一切松永に関する言及がなされていなかった。これにより、「教団としての政治への接触」や「偽装脱会による情報操作」あるいは「民主党との関係」など、申し立てられた疑惑について公的に否定された」(松永英明記載)

これは次の版では削除されている。当然であろうかと私は思う。
公調の「内外情勢の回顧と展望」というものが、果たしてどういう性質のものかを少しでも想像すれば分かるように、これは一々細かい事案について触れる性質のものではない。
仮に内偵の最中であっても、内偵中であるなどとは書かないものである。
保守政党への接近は、政局問題に繋がる可能性があるから、仮に問題になったとしても水面下で処理されていると考えるのが無難だろうか。
公安調査庁それ自体も、そう規模の大きな組織ではないことも覚えておいて損はない。

であるから、松永氏の論は非常に表面的、そして幼稚な組み立てをしているものだと私は半ば呆れていたところだった。

例えばこんなところもである。
「また、公安調査官や公安警察官との接触も多い」
それは単純に考えて、一定の監視下にあるという意味ではないのか。
今は組織を離れたとしても(仮定である)、一定部分で泳がせ、様々な情報を取得しようとしているからではないのか。
素直に読めばそのようになる。
決して身許が保障されている、脱会していることの補強材料にはならないのである。

posted by 黒崎 at 19:32 | TrackBack(0) | 夜話「豪雨の前兆」 | 更新情報をチェックする

2007年02月10日

豪雨の前兆 21

黒崎@豪雨の前兆 21


さて、「夜話」読者のみなさんにはここも見ておいていただきたい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1:Shikine
正確な日時は、履歴欄を参照のこと。

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人物、とくに存命人物に関する記事について

○ノート:松永英明からの流れで、過去の海渡雄一氏についての編集のことも思い出して投稿記録を拝見したのですが、御手洗冨士夫氏の記事における編集といい、中立的に批判意見も盛り込む、というよりは、敵意・悪意を反映させているという印象を受ける編集が多いと感じています(念のために述べておくと、私は松永氏にそんなに好意的なわけでもありませんし、御手洗氏についてもネガティブな印象を個人としては持っていますが、Shikineさんの編集がWikipedia:存命人物の伝記にのっとって妥当なものだとは思えません。海渡氏については、市民運動のなかで面識もあり、そういう場所での人々の党派との距離のとりかた、といったものから、海渡氏を格別に中核派と結びつけるのは端的に事実と異なるという認識を持っていますが、ただ、もちろん私のそういう経験知はWikipediaでいう信頼できる情報源たりえないので、とりあえず現状程度の書かれようを第三者としては直せないのかな、という感じです)。これらはちょっと目についた、というだけで、人物記事で疑問を持たざるを得ない編集は他にも結構ある、という印象です。Wikipedia:ウィキペディアは何でないか#ウィキペディアは演説場所ではありませんや、Wikipedia:存命人物の伝記を熟読頂いて、もう少し配慮のある編集をお願いします。--崎山伸夫 2007年2月8日 (木) 17:15 (UTC)

○それらについて消したければ消してもよいが、それを言うなら保守思想や親日を標榜する人(いわゆる反日な人たちが嫌っている人)の伝記の書かれっぷりも相当ひどいわけで。--shikine 2007年2月8日 (木) 23:40 (UTC)

○記事の議論はそのノートでおこなうべきであるし現におこわれてきたが、過去に崎山伸夫が疑問なり提案なりを提示してきたことはほとんど無かったように思われる(記憶違いだったら失礼)。当方は何も議論を拒んでいるわけではないし、ノートでの議論の結果、譲歩したり受け入れたりもしている。たまたま相手の編集傾向・記事傾向が自分の政治イデオロギーに合致しないからと個人攻撃をしだすのはいかがなものか。--shikine 2007年2月9日 (金) 10:26 (UTC)

○「たまたま相手の編集傾向・記事傾向が自分の政治イデオロギーに合致しないからと個人攻撃をしだすのはいかがなものか」その言葉そのままお返しします。「荒らし」とかね。あと「あの人たちはもっとひどいことをやってる」メソッドは恥ずかしいですよ。自分がやらなければもっと堂々と批判できるのに。--松永英明 2007年2月10日 (土) 02:44 (UTC)

○当方は何ら政治イデオロギーを標榜してませんし、政治的な運動・団体・集団に一切加わってはいません。『週刊新潮』を毎週読んでいるのでそれと同じ傾向にあるのかもしれませんが。--shikine 2007年2月10日 (土) 04:43 (UTC)

○海渡雄一の記事についてはずっと前に『週刊新潮』という資料を提示しており現時点では「検証可能性」を満たしているだろうし、御手洗冨士夫の記事に関しては主観的と思える部分はカットしておきましたので、その件については解決済ということにさせてもらいます。--shikine 2007年2月10日 (土) 07:24(UTC)

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また、こちらでの崎山氏発言にも留意。
とりわけ日付にである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1:%E6%9D%BE%E6%B0%B8%E8%8B%B1%E6%98%8E

利用者:Shikine について
○ノート:松永英明での言動から、利用者:Shikineの他の編集を調べて彼の人物記事編集全般に問題を感じたので、利用者‐会話:Shikineにコメントしておきました。対応如何ではWikipedia:コメント依頼などにエスカレートすることになると思いますので、いちおうお伝えしておきます。--崎山伸夫 2007年2月8日 (木) 17:21 (UTC)

○エスカレートさせないでください。他人の手をわずらわせないでください。--ゆきち 2007年2月8日 (木) 19:42 (UTC)

○もちろん、Shikineさんが記事編集のありかたを見直して頂ければ、エスカレートすることはないと思いますが、[1]あたりをみるとちょっと難しいかな、というふうに思っています。--崎山伸夫 2007年2月8日 (木) 20:44 (UTC)
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崎山氏は野田氏の項目を微細に修正している。
この場合も日付に着目のこと。
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%87%8E%E7%94%B0%E6%95%AC%E7%94%9F&action=history

その内容は、例えばこの辺りのものが最も仔細である。
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%87%8E%E7%94%B0%E6%95%AC%E7%94%9F&diff=prev&oldid=10515674

一例を挙げると(2月7日分)
「1998年12月12日午後8時頃、上司の女性キャリア(当時30歳)の腕をつかむという[[セクハラ]]事件を起こす。このことが女性キャリアから幹部へと報告される一方、野田は約2週間無断欠勤、12月31日付で依願退職した。 + 1998年夏 - [[アメリカ中央情報局]](CIA)情報分析研修に派遣された」

「女性キャリアに退職に追い込まれたと思いこんだ野田は、女性キャリア宅へ脅迫状を送りつけ、6000回に及ぶ無言電話をかける一方、公安調査庁のスキャンダルを流し始める」

「1999年12月7日、横浜地方裁判所で、「犯行は常軌を逸脱した陰湿きわまりないもので、被害者が受けた精神的苦痛は大きい」として懲役1年6月、執行猶予4年の有罪判決が下り、確定した。その後、インターネット上での活動を開始する」

さて、私がどうもひっかかるのは、崎山氏はこれらの情報をどこから入手してきたのだろうということであった。
興味を持って前から調べていた、というのならば分からないでもない。
とするならば、願わくばそのソースをご自分のブログなどで公開して欲しいものだと思っている。

個人のプライバシーを尊重する立場からすれば、いわゆる「セクハラ事件」、それも執行猶予付の判決文等を掲載するというのは、些か一歩踏み込んだ立場であろうかと思われる。

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#一般論として。
セクハラは犯罪であるが、一方、非常に微妙な事件であることも事実である。
ここで具体例を挙げることはやめておく(笑)
また、筆坂元参議院議員(日本共産党)が同じくセクハラで職を追われていることなども想起される。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%86%E5%9D%82%E7%A7%80%E4%B8%96

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豪雨の前兆 20

黒崎@豪雨の前兆 20


つい先ほど、エレニ氏のコメント欄で松永氏と私とでやりとりをした。
http://d.hatena.ne.jp/Ereni/20070207#p1
この後松永氏の発言が続くかもしれないが、現時点での記録を残しておく。
(2007年2月10日、12:14)

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○黒崎 『「予断があるような気がします。
松永氏は黒崎氏の誹謗中傷の下で書くのは精神的に苦痛だったとおっしゃっている]
ほー、どこでおっしゃっているのかな(笑)。
私のコメント欄は空いてますよ。大体あれ、別の方の発言がきっかけで彼は公開を中止しているでしょう。後で出すつもりなんではないですか?』

○黒崎 『上のはコメ欄が長いためこっちに。
ま、アクティブなツンデレです。今日は按配いいみたいでよかった>エレニ氏』

○ Ereni 『>黒崎さん
>ま、アクティブなツンデレです。
(笑)
>今日は按配いいみたいでよかった>エレニ氏
すいませんねー、心配ばっかりかけて。お気遣いありがとうございます。
でもエントリまで手が回りません。困ったな。書きたい事あるんだけど。』

○ Ereni 『黒崎さんのコメはhttp://d.hatena.ne.jp/Ereni/comment?date=20070202#cの続き』

○ matsunaga 『黒崎氏の誹謗中傷の下で書くのは精神的に苦痛でしたね。
引き金は別の人が引いたけど。

ところで、私は選挙に行くべきではないのですか。選挙で誰に投票すると言ってはいけないのですか。選挙演説に行ってはいけないのですか。政党の人が一般人を対象に行なった懇談会に参加してはいけないのですか。まったく理解できません。』


○ 黒崎 『(笑)松永さん、それらの発言、ご自分のエントリに一本立てて記録しておいた方がいいですよ。
でもさ、野田氏や上祐のことはあそこまで書いていて、どうしてご自分の実名を出されるのをそんなに嫌がるのしらね?理解はできるけど、バランスってもんがあんじゃないかと思うんだがね。』

○matsunaga 『実名の件。それを悪用して、実生活に影響を及ぼそうと企む者がいるからです。今も執拗に実名書きまくってる人たちがいるけれど、そいつらの目的は、実名を挙げた上で「今も脱会していない」という印象操作をすることで、それを利用して現実に業務妨害行動に出る者もいる(たとえば「大阪」)。それは何が何でも阻止しなければならない。
じゃあ黒崎さん、実名出しなさいよ。と、そういう話になりますよ。
問題点はそこじゃなくて、自分のプライバシーをどこからどこまで出すかを自分で決めるというのがプライバシー権というものであって、それを他人が強要することはできないということ。法的な場合を除いて。
あと、野田は実名・住所・電話番号全部自分で公開し、さらにストーカーだったことを自慢していますから。ただ、野田本人が考えを変えたら変更するにやぶさかではない。
上祐のことは、上祐の情報操作的記者会見を鵜呑みにしたマスメディア報道に偏っているので修正したけど(その点、内外情勢の回顧と展望の方が正確)まあwikipediaの方針(報道内容を寄せ集めるだけ)からいえば書きすぎであったと今反省中。』

○ matsunaga 『売文さんのところからたどって見たんだけどEreniさんの発言
>現在のアーレフが、以前の危険集団オウムと同じだとは私も思わない。しかし上祐氏が教団と離れる選択をした事を見ても(上祐氏に問題なしとするわけではない)、「安全」な団体と見なすのは明らかに早計である。

あー、これじゃあ話が合うはずないわ、と思ったね。つまり上祐が教団を離れる理由が「安全な団体ではないから」、というふうに認識しているわけでしょ。上祐の動機(それは極めて教義的な問題)を理解せずに話を進めようとしている。だからおかしくなる。動機ってのは極めて大きい。それを逆に外形だけの判断に戻そうとするのがEreniメソッドか。
思い出したので適当に追記していくけど、たとえば私が「代表派は分派」というのは単に現状分析であって、主流派と分派の「正統」争いとは関係ない。なぜなら、代表派が教団の主流を握っていれば(だって代表なのだから)自ら出て行く必要はない。というまあ単純な話。代表にもかかわらず、教団を「改革路線」にもっていくことができず、結局「教団分割」じゃなくて「代表派の独立」を目指して、でもまだぐずぐずしてる。そこらへん踏まえて考えないと。
で、もし上祐のことについて発言するのであれば、「アーレフ代表派」という彼らの自称について、よくよく考えるべきだと思う。まあ、ヴィヴェーカーナンダや大黒柱のことを知らない人が上祐のことを論じられるとは思わないけれど。』

○ 黒崎 『んー、プライバシー権はその通りなんだけどね。松永さんが野田氏の項目をわざわざ立てる必然性があったかどうか。野田氏が仮にそれをみて快くおもうかどうか。ウィキペディアで微妙な項目について活発に活動していれば、いずれ誰かに実名とかそういうのは出されてしまうんでないかな。「大阪」みたいな声というか動きは確実に存在するでしょう。そろそろ平穏に暮らした方がええと思うが。』

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#「はてな」のコメント欄、なかなか書きにくいので推敲も何もしていないのだが、それはさておき。
いくつもポイントが含まれているような気もしている。


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#追記
2007年2月10日 19:35現在(後は追いませんので宜しく)。

○matsunaga 『>野田氏が仮にそれをみて快くおもうかどうか。
書かれた人が快くおもうかどうかで判断するならえらいことになりまっせ(;´Д`) でも、野田の記事に関しては、基本的に野田の業績もきちんと取り上げたつもりだったんだけど。それに、私についての記載が始まったのが野田の記事に基づいているということは、野田の書いたものが「信頼できる情報源」とされたということ。で、野田はwikipediaに記載されるに足る人物ではないかと思う。私の項目が削除されないくらいなのだから。

あと、実名を出す奴とか「大阪」みたいな犯罪者が出てくるというのは、現象分析としてはそうだろうけど、それを受け入れるべきだというようなニュアンスに取れるので反発を感じる。だって、彼らはおかしなことをしているのだから、それに合わせて行動しろと言うのは、ちょうどmixiコミュニティ乗っ取りに関してmixi事務局が「乗っ取られたら仕方ないので新しいコミュニティに引っ越してください」とアナウンスするのと同じくらいの違和感がある。

で、まあ、平穏に暮らさせてたまるか、というのが大阪なり実名あげつらい連中なわけで、それに対する現実的な対処として、最低限の自衛、防御はやらざるを得ないのが、はっきりいって面倒臭い状況。なんて言うと奴らは喜ぶんだろうなあ。うぜえ。』


○matsunaga 『>差別メソッドと同和

「身分」っていう言葉を不用意に使ったことには何も触れずに「差別メソッド」とか言い出すわけね。うんざり。「立場」でも「資格」でもなく「身分」という言葉を使ったのは誰ですか。広辞苑には「社会関係を構成する人間の地位の上下の序列」と書かれていますよ。つまり、私の「身分」が低いというようなことを言い出したのは私ではありませんよ。何を逆ギレしてんの。アホちゃうか。』

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2007年02月09日

豪雨の前兆 19

黒崎@豪雨の前兆 19


「豪雨の前兆 17」にあるリストを眺めて、正直なところ私は呆れていた。
「反上祐に転じた」と記載され、自らも公言している本人が、上祐史浩の本文を編集する。
これは一体どういう感覚なのだろうか。

例えば、ここの左側を見ていただきたい。
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%B8%8A%E7%A5%90%E5%8F%B2%E6%B5%A9&diff=10438221&oldid=9136340

2006年11月29日 松永英明投稿分
「2006年7月の財政分離にあたって、烏山では2派の居住分離が行なわれた。道を挟んでGSハイム1〜2階とサンサンマンションがこれまで教団信者の居住・修行スペースとして使われていたが、GSハイム側が代表派、サンサンマンションが非代表派となったのである。このとき、元々上祐派の指導的立場にあった信者がサンサン側に居住あるいは教団脱会を行ない、上祐派の分裂が目に見える形で明らかとなった」

ここの編集履歴に松永氏は「実体験に基づくものです」と書いている。

同日、以下で
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1:%E6%9D%BE%E6%B0%B8%E8%8B%B1%E6%98%8E
「上祐史浩についてなのですが、「実体験に基づくものです」とお答えになっていますが、これでは、検証可能性を満たしていません。もう一度、該当のページを読んだ上で、記事の編集を行ってください。--ゆきち 2006年11月29日 (水) 09:33 (UTC)」

と指摘されるに至る。
これは松永氏がBB氏に会談を申し込んで暫くのことである。

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ウィキペディアとは何でないか。以下いくつかを抜粋する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%A7%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%8B
ウィキペディアの項目は:

○いかなる種類の宣伝(プロパガンダ)や擁護の場でもありません。
あなたが支持する人物や団体、思想や信条を宣伝するためにウィキペディアを利用してはなりませんし、逆に対立する相手や不愉快なものを非難・攻撃したり、あるいは読者を扇動するためにウィキペディアを利用してもなりません。もし、本当にあなたの主張を他の人々に広めたいなら、例えば外部の電子掲示板やブログをご利用ください。

○電子掲示板ではありません。

○まだ人類共通の知識となっていない意見を伝達する場所ではありません。
自分の意見をさも大勢の人々の共通認識であるかのように言葉を濁さないでください。

○独自の調査結果の発表の場ではありません。
もしあなたがその事柄についての独自の調査結果をお持ちなら、その結果を通常の査読制度のある雑誌に投稿し、出版してください。

○自己宣伝の場所ではありません。

○広告の場ではありません。

○布教の場所ではありません。

○事実の暴露や報道を行う場ではありません。
もっぱら知られていない事実を公表することが目的ではありません。事実ならば何を書いてもよいわけではありません。個人のプライバシー、また特に不謹慎とみなされる場合のある事象の記述に関しては、それが事実であっても保守的な態度で記述を避けるべきです。事実の報道は、姉妹プロジェクトのウィキニュースでなら歓迎されます。

○法的リスクの回避所ではありません。
例えそれが正義であっても、名誉毀損罪・侮辱罪・信用毀損罪などが成立する恐れがあることを記述しないでください。あなたのその正義を、個人のホームページで行うのではなく、そのリスクを軽減するために、また責任逃れのためにウィキペディアを使うなどということはあってはなりません。

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豪雨の前兆 18

黒崎@豪雨の前兆 18


http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88%3A%E6%9D%BE%E6%B0%B8%E8%8B%B1%E6%98%8E&diff=10514433&oldid=10502283


●東山出版
http://whois.ansi.co.jp?key=higasiyama.co.jp

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豪雨の前兆 17

黒崎@豪雨の前兆 17


Wikipediaにおける松永氏の投稿記録は以下である。2007年2月8日段階。
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%89%B9%E5%88%A5:Contributions&limit=500&target=%E6%9D%BE%E6%B0%B8%E8%8B%B1%E6%98%8E

・2007年2月8日 (木) 09:49 (履歴) (差分) ノート:松永英明 (→『半跏思惟』)
・2007年2月8日 (木) 04:52 (履歴) (差分) ノート:松永英明 (→『半跏思惟』)
・2007年2月8日 (木) 02:26 (履歴) (差分) ノート:松永英明 (→『半跏思惟』)
・2007年2月7日 (水) 15:47 (履歴) (差分) ノート:松永英明 (→本人の自己言及)
・2007年2月7日 (水) 15:45 (履歴) (差分) ノート:松永英明 (→本人の自己言及)
・2007年2月7日 (水) 15:43 (履歴) (差分) ノート:松永英明 (→『半跏思惟』)
・2007年2月7日 (水) 15:39 (履歴) (差分) M ノート:松永英明 (→『半跏思惟』)
・2007年2月7日 (水) 15:38 (履歴) (差分) ノート:松永英明 (→『半跏思惟』)
・2007年2月5日 (月) 22:02 (履歴) (差分) ノート:松永英明 (→『半跏思惟』)
・2007年2月5日 (月) 22:00 (履歴) (差分) ノート:松永英明 (→本人の自己言及)
・2007年2月5日 (月) 21:52 (履歴) (差分) 松永英明 (2ちゃんねるを「攻撃」なんてできるのですか。要出典。)
・2007年2月5日 (月) 00:50 (履歴) (差分) 松永英明
・2007年2月5日 (月) 00:48 (履歴) (差分) ノート:松永英明 (→本人の自己言及)
・2007年2月5日 (月) 00:45 (履歴) (差分) ノート:野田敬生 (→松永英明が自身のブログで言及する「野田敬生」)
・2007年2月3日 (土) 08:54 (履歴) (差分) 野田敬生 (野田のことを扱うことのほとんどないサイトを挙げる必要はありません。あと細部の編集。)
・2007年1月31日 (水) 08:06 (履歴) (差分) 松永英明 (サイトの方向性が変わった理由が外的なものではないため修正)
・2007年1月31日 (水) 08:04 (履歴) (差分) M 野田敬生
・2007年1月31日 (水) 08:03 (履歴) (差分) M 松永英明
・2007年1月31日 (水) 08:02 (履歴) (差分) 松永英明 (「粗暴」等、侮辱に該当する文言を削除。内外情勢の回顧と展望について追加)
・2007年1月31日 (水) 07:57 (履歴) (差分) 野田敬生
・2007年1月29日 (月) 06:02 (履歴) (差分) 野田敬生
・2007年1月28日 (日) 18:06 (履歴) (差分) 野田敬生
・2007年1月25日 (木) 01:13 (履歴) (差分) 野田敬生 (野田が流したと信じられているので、それを否定するための記述です。)
・2007年1月22日 (月) 16:03 (履歴) (差分) 上祐史浩 (事実に反します。野田はむしろ上祐改革路線に近く、そのために反上祐派から信用されていないのです。)
・2007年1月22日 (月) 13:35 (履歴) (差分) 五色不動 (最新)
・2007年1月22日 (月) 12:24 (履歴) (差分) M 野田敬生
・2007年1月22日 (月) 12:13 (履歴) (差分) 野田敬生
・2007年1月22日 (月) 12:12 (履歴) (差分) 野田敬生 (←新しいページ: '野田 敬生(のだ ひろなり、1970年 - )は、元公安調査官のフリージャーナリストであり、公安問題をはじめとする...')
・2007年1月22日 (月) 05:00 (履歴) (差分) 五色不動
・2007年1月17日 (水) 00:16 (履歴) (差分) M 松永英明
・2007年1月16日 (火) 16:17 (履歴) (差分) 松永英明 (名誉毀損・誹謗中傷に該当する部分を修正。)
・2007年1月13日 (土) 04:36 (履歴) (差分) 上祐史浩 (野田一人ではなく、たとえば村岡も同時に昇格しているのでことさら野田だけをとりあげるのは意図的。また、ゴシップ系の信頼できないソースを挙げている。)
・2007年1月7日 (日) 08:20 (履歴) (差分) 上祐史浩 (田中三郎氏の編集内容が極めて恣意的かつ事実に反しますので元に戻します。といっても私は野田派などではありません。場合によっては田中三郎氏の編集権剥奪を要請します。)
・2007年1月3日 (水) 08:05 (履歴) (差分) ノート:トラックバック (→トラックバックの意義についての考え方の相違について)
・2006年12月23日 (土) 16:32 (履歴) (差分) トラックバック (ここに4つの文化圏を最初に載せたのは私ではありませんので、自己主張などという誤った印象操作はおやめください。また「的を射る」が正しい表現です。)
・2006年12月20日 (水) 05:08 (履歴) (差分) 上祐史浩 (野田は現在経理担当ではないのに金庫番と書かれているなど、事実に反する部分を修正)
・2006年12月14日 (木) 11:27 (履歴) (差分) アルファブロガー
・2006年12月9日 (土) 09:40 (履歴) (差分) トラックバック
・2006年12月9日 (土) 09:05 (履歴) (差分) アルファブロガー (新しいページ: ''''アルファブロガー'''('''Alpha Blogger''')とは、ブロガーの中でも特に議題設定効果が高く、他のブログへの影響力の強いブ...')
・2006年12月9日 (土) 07:53 (履歴) (差分) 上祐史浩 (→代表派と主流派)
・2006年12月9日 (土) 07:52 (履歴) (差分) M 上祐史浩
・2006年12月8日 (金) 04:25 (履歴) (差分) シガチョフ事件 (→シガチョフ・チェイス)
・2006年12月8日 (金) 04:24 (履歴) (差分) シガチョフ事件 (シガチョフチェイス部分)
・2006年11月29日 (水) 09:23 (履歴) (差分) M 上祐史浩 (実体験に基づくものです)
・2006年11月29日 (水) 07:48 (履歴) (差分) 利用者:松永英明 (新しいページ: '松永英明') (最新)
・2006年11月29日 (水) 07:44 (履歴) (差分) 上祐史浩
・2006年11月29日 (水) 07:40 (履歴) (差分) 上祐史浩 (戸隠の件、正悟師の立場などを追加)
・2006年11月29日 (水) 07:13 (履歴) (差分) 上祐史浩 (上祐改革路線についての詳細な流れを追加)
・2006年11月28日 (火) 01:50 (履歴) (差分) M トラックバック (リンク修正。あと、「4つの文化圏」については、出典明記の上で掲載されても問題ありません(原著者としての発言です)。もともと「趣旨」の掲載でしたし。)
・2006年11月23日 (木) 13:49 (履歴) (差分) M フォトンベルト (URLの変更)
・2006年11月23日 (木) 13:48 (履歴) (差分) M 韓国起源説 (「漢字」リンク追加)
・2006年11月7日 (火) 15:08 (履歴) (差分) 松永英明 (冒頭の概要に追加。)
・2006年10月30日 (月) 11:29 (履歴) (差分) 松永英明
・2006年10月29日 (日) 00:56 (履歴) (差分) 松永英明 (いくつか事実に合わせて細部修正)
・2006年10月17日 (火) 04:24 (履歴) (差分) M 松永英明
・2006年10月17日 (火) 04:21 (履歴) (差分) 松永英明 (検証できないのでといいつつ名誉毀損を行なおうとしている部分を修正。なお、一つ前の修正は私です。)
・2006年9月12日 (火) 21:00 (履歴) (差分) 松永英明 (本人による細部の修正。)
・2005年7月26日 (火) 05:05 (履歴) (差分) M 馬英九 (党主席選挙での獲得票数訂正)
・2005年7月6日 (水) 23:27 (履歴) (差分) フォトンベルト
・2005年6月29日 (水) 00:05 (履歴) (差分) 石原慎太郎
・2005年6月29日 (水) 00:03 (履歴) (差分) 石原慎太郎
・2005年6月21日 (火) 07:29 (履歴) (差分) M 大乗仏教
・2004年8月3日 (火) 02:24 (履歴) (差分) 女子十二楽坊 (メンバー情報が結成当初のものなので変更。その他全般的に修正)


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2007年02月07日

豪雨の前兆 16

黒崎@豪雨の前兆 16


余話である。
例えば会って話すことの方が情報量が多い、という俗論がある。
ジャーナリズムを標榜しているなら何故会わないか、取材しないのかというような文脈の中で使われる。
一見誠に説得力がある説だが、残念ながらこれもやはり一面の真実にしか過ぎないところがあると私は考えている。

例えば立花隆さんに「農協」という本がある(朝日文庫)。
昭和54年から55年にかけて「週刊朝日」に22回に渡って連載されたものだ。
大変に細かな字で、頁数は400ほどであろうか。
巻末で解説している井出耕也氏がこのように書いていた。

「二人のデーターマンが参加した(黒崎註:井出氏を含む)。
データーマンとは、ごく大雑把にいうと取材のみを担当する人間である。
アンカーマンとなる者の指示にもとづいてインタビューや資料の収集、整理などを行い、それを元にして著者が原稿を執筆する
」(「農協」:403頁)

データーマンとアンカーマン。後者は著者、立花さんのことである。
勿論立花さん自身も取材する訳だが、その全てを受け持っている訳ではない。
含めても三人でしかないことに注意していただきたい。

一方、立花さんの「田中角栄研究」では、ほぼ一ヶ月の間、文芸春秋に「立花部屋」が作られた。
それは「常識を覆した徹底取材」として以下のように語られる。

「一番最初から月刊誌があれだけ金と人を使ってやるのは始めての経験なんですよ。総会屋的なダーティ・イメージの人は最初から除外して」(立花)。
「‥‥それから文春社員の友人知人とか、かかった金は全部で100万くらいだったとか」(対談者:小林俊一)
「いや、あの時期ね、月刊誌で100万出すっていったら大変なことだよ」(立花)
(「立花隆のすべて上」85頁:文春文庫)

総勢確か20人ほどだったと記憶しているが、それを集中的に行う。
大宅文庫から関連資料を全部コピーしてくる先鞭をつけたのが、この記事だったとも言われる。当時電話はまだ黒いままで、インターネットも存在していなかった。

#後に文春と意見が分かれた立花氏は、角栄の裁判その全てを傍聴する。冬の早朝から自らが地裁の前に立つ。アルバイトの学生に傍聴券を取るために並んでもらう立場ではなくなったのである。
この時期は「食えなかった」ようで、発表の舞台も点々としていた。

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同書の中に面白い記載がある。
「話は飛ぶようですが、立花さんは検察にディープスロート(情報提供者)を持っているんじゃないかとずっと思っていましたよ」(小林)

「もっていないですよ(笑)ただいま現在起きていること、たとえば政治状況の大変革の場面とかで、ディープスロート的な情報を得てると逆にマイナスになっちゃうんですね。
その情報に自分の判断が左右されちゃうんですよ。ほんとの客観的情勢というのが逆に見えなくなっちゃうんですね。
ロッキード以前にそういう経験があったから、要するに外側だけ見てて、そこから見えるものを書くだけで十分だという感じが一つはあったんです

(略)だから検察の誰かに直に電話したのは、裁判の全期間を通じておそらく五回あるかないかですね」(立花)(前掲:110頁)

色々と示唆に富む一文だと思う。

posted by 黒崎 at 13:59 | TrackBack(0) | 夜話「豪雨の前兆」 | 更新情報をチェックする

豪雨の前兆 15

黒崎@豪雨の前兆 15


仮にである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A6%E3%83%A0%E7%9C%9F%E7%90%86%E6%95%99
Wikipediaの「オウム真理教」の編集に、現役オウム信者が積極的に関与していたとしたらどうであろうか。
これが「元」だったらどうなるであろう。

より深い内情、内側から見た出来事を語るには、内部の人間がするにこしたことはない。
が、それがイコール広義の社会的視線になりえるかというと、それはまた別のお話である。

例えば「利益相反行為」という言葉がある。
弁護士法などにも規定があって、「当事者間において利益が相反する内容になっている状態のことをいい、そのような場合は、それぞれの利益を守るため、一方が他方を代理したり、一人が双方を代理することは禁止されています」というような説明がなされている。
これは民法や会社法などに記載もされているが、広くはコンプライアンスの問題として捉えることもできる。

一般常識からすれば、松永氏が松永氏本人のWikipediaの項目に、自ら手を下して編集するというようなことは原則として好ましくないのである。もちろん、松永氏周辺の人物が参与することもである。
それは自伝であって、誰がみても客観的な記載ではなかろう。
プライバシーの観点から、実名を記載しないよう「ノート」辺りに申し入れることは妥当としてもである。

まして、彼が半ば敵対視している野田氏の項目を立ち上げ、それが事実に基づいているからと公開するのは(全ての事実ではなく松永氏が取捨選択した事実であることに注意)、どう考えても一線を超えているものと考えられる。
我が国ではそれを「節度」という。
そうなれば松永氏に対して、Wikipediaを半ば私物化し、プロバガンダの道具として使っているという批判が浴びせられるのはこれまた当然のことだろう。

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思い起こせば、「夜話」では昨年の秋から一貫して松永氏のWikipedia編集について疑問視してきた。
http://kurosaki-yowa.seesaa.net/pages/user/search/?keyword=Wikipedia
「ミットモナイからおよしなさい」と忠告したこともあった。
松永氏とその周辺は勿論聞き入れなかったのだが、今にして思うとWikipediaと例の自分史は、彼にとって極めて重要な意味を持っていたのだと推察される。
これはセットで捉えてもいいのかもしれない。
松永氏が「松永」という筆名で、ひとつの物語を構築するための有力なツールと考えると分かりやすい。

ここで私は読者にひとつの疑問を提示してみたい。
オウムの信者は多くいた。万という単位だったと言われる。
修行の最中に亡くなったり、今も社会復帰が難しく苦しんでいる方は多くいる。
また「アーレフ」と名前を変えてからも、信者が決して少なくない人数残っていることもご承知の通りである。

その中で、ネット上でこのような活動を行っている人間はどれくらいいるのだろう。
http://www.aleph.to/
「アーレフ公式サイト」
例えばここに居る彼らは、他のブログに対してどういう姿勢を取っているだろうか。
Wikipediaなどに対してもである。

posted by 黒崎 at 11:00 | TrackBack(0) | 夜話「豪雨の前兆」 | 更新情報をチェックする

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