3000年05月15日

豪雨の前兆 52

黒崎@豪雨の前兆 52
「オウム特有の話術の集大成」


「オウム真理教の実態と『無差別大量殺人を行った団体の規制に関する法律』の解説」
(治安制度研究会編著:立花書房:平成12年 2000年発刊)に以下のような記述がある。

「信者の公判状況
組織犯罪に関与した信者に対しては、平成11年10月までに起訴された189人のうち、160人が懲役刑、86人が執行猶予付懲役となっている。(法務省まとめ)#
公判廷での信者は、地下鉄サリン事件における殺人・殺人未遂等6事件で起訴され(「従来の基準で言えば死刑以外にあり得ない」とまで言われながらも)無期懲役が確定(平成10年6月)した元医師・林郁夫(判決時51歳)にみられるように、判決において「凶悪な組織犯罪の全容解明につながる刑法上の自首にあたる供述をした」、「将来その組織犯罪防止に役割を果たした」との評価を与えられ、さらに他の被告の公判に証人出廷している例もある。

一方、地下鉄サリン事件等で八事件で起訴されている元教団顧問弁護士・青山吉伸(昭和35年生)にみられるように、「オウム特有の話術の集大成といえるやりとりで、責任転嫁と話題のすりかえ、自らこそが被害者との主張、120%の権利主張と社会的責任感の欠如、やたらと長い自己主張、前提を説明するフリのごまかし、教義や修行の話に持ち込む」といった特徴を見せる者もいると伝えられている(「週刊読売」平成10年11月29日号、もうひとつの証人席:江川紹子)」
(前掲:14頁)

#平成12年の段階であることに注意。
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前掲書は、その性格からして主に警察関係者にとっての定本、教科書のような存在である。
立花書房のサイトでは「公安・警備関係」と分類された中に位置していた。
http://www.tachibanashobo.co.jp/blog/category09/

さて引用部の後半、分かりやすくするために改行を加えてみる。

オウム特有の話術の集大成といえるやりとりで、
責任転嫁と話題のすりかえ、
自らこそが被害者との主張、
120%の権利主張と社会的責任感の欠如、
やたらと長い自己主張、
前提を説明するフリのごまかし、
教義や修行の話に持ち込む


―――――――――――――――――――――――――――――――――

青山吉伸の公判の印象を、江川氏は端的にこうまとめている。
警備・公安関係者と江川氏は、必ずしも全ての局面で友好的であるとは言いがたい。
そのことを思い出していただけば、前掲書において、ほぼ例外的に本文中に引用されていることの意味もお分かりになるだろうか。
立場は微妙に異なっていても、上記指摘が一定の普遍・妥当性を持つものであることは言を待たないのである。

私はこの箇所を読んだとき、なるほどそういうことであるのか、と合点がいったことを覚えている。
今にして思い返せば、これらの指摘はほとんど全て、本件における松永氏の言に当てはまるものだった、という印象が濃い。#

#後の読者に。
「夜話」内 カテゴリー「豪雨の前兆」を遡るとその主要部分が理解される。
http://kurosaki-yowa.seesaa.net/category/3467066-6.html

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2007年05月18日

豪雨の前兆 54

黒崎@豪雨の前兆 54
「世界の方が動いている vol.2」


全く個人的な感想だが、松永氏も御堂岡啓昭も、例えば本件によく名前が登場する崎山氏も。
付随して何人かの方々にとっても、その原型期あるいは青春の記憶の原点は90年代後半、例えば97-00年時分にあったのではないかという気がしている。
「10年の後」あるいは「10年」で「夜話」内の検索をかけられるとお分かりになるかもしれない。
その差分と分岐である。

松永氏に関して言えば、2002年から03年前後。すこし遅れて04年。
試みに彼のサイト内を検索してみれば「はてな」というシステムの中でどのように好き放題していたかの片鱗が伺える。

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一体に認識というのは現実そのものよりも遅れてくるものだ。
自分たちが思っているよりも世界の進み方の方がはやい。

例えば御堂岡啓昭を代表とする「荒らし」の手口は既にして古くさい。
工作とは裏でなされるから有効なのだが、その場所の全てに今や監視カメラが付いているご時勢である。
#参考http://beyond.cocolog-nifty.com/action/2007/05/kddi_c487.html(開示請求)

同様に【黒鮫】ことのは関連総合4【連邦】
http://ex22.2ch.net/test/read.cgi/net/1179130911/
こちらの書き込みのペースがとたんに落ちていることも面白い。質的な変化もおきている。

簡単にまとめてしまっていいかは疑問だが、例えば「アンダーグラウンド」のヒーロー、ある種イコンのような存在が、今や成り立たない時代になっているのではなかろうか。
ネットは単にインフラである。大学、シンクタンクなどが啓蒙していた90年代後半とは全く事情が異なってきている。
どちらかといえば、最も安価な娯楽。
階層の逆転現象が起きているのかもしれない。
そして、ブログ・ツールのエバンジェリストという立場も、またその社会的使命を終えてゆくのである。

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豪雨の前兆 53

黒崎@豪雨の前兆 53
「世界の方が動いている」


Wikipediaの2006年12月28日板より「松永英明 活動の内容」を引用する。
この日付を選んだのは「ノート:松永英明」における、Nonki 2007年2月19日 氏の発言に準拠してみた。内容の正確さは保障の限りではない。
「松永英明氏本人の書き込み状況から見て、2006年12月28日 (木) 19:15の版に記載ある程度の内容については問題視していないと思われます」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E6%9D%BE%E6%B0%B8%E8%8B%B1%E6%98%8E

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http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9D%BE%E6%B0%B8%E8%8B%B1%E6%98%8E&diff=10349776&oldid=9715675
「活動の概要
○河上イチロー
河上イチローは、当初名乗っていた河上一郎に対して、他のサイト管理人がイチローと表記したものをそのまま採用してペンネームとしたものである。総合情報サイト「Der Angriff」の管理人として著名だった。

日本における1990年代後半のインターネットは、多くの個人向け商用インターネットサービスプロバイダが生まれたにもかかわらず、2006年現在の状況と比べれば、インターネットを利用する個人ユーザは社会のごく一部、という状況であった。こうした状況で、当時の個人サイトの流行のひとつが、アンダーグラウンドな内容を扱うというものであった。
当初は、市民運動的な趣で破防法反対サイトを立ち上げていた河上であったが、扱う話題を付設の電子掲示板での話題にあわせて軍事・諜報関連やネットの規制問題や、マスメディア批判の内容へと拡大していくにつれ、こうした流行に乗ってアングラ的表現を強めたサイトへと変化させていった。それが、ヨーゼフ・ゲッベルスが創刊したナチス機関誌Der Angriffの名前をそのまま借りたDer Angriffへのサイト名変更へとつながった。このとき、それまで複数あってそれぞれ異なる名前がついていたサイトを、Der Angriff のブランドのもとに集めた。これは、「マスコミで扱えない情報を扱う」サイトに、ドイツでは違法とされ日本では合法ではあるものの「不謹慎ネタ」として騒がれる親ナチスの名前をつける、というブランディングであったと言える。これは成功し、Der Angriffはアングラ色を醸し出しつつ有名サイトとなった。

こうして有名サイト管理人として著名となったのち、河上は「サイバースペースからの挑戦状」と「サイバースペースからの攻撃」の2冊の書籍を執筆した。このタイトルでわかるように、サイバースペースは、当時は実社会とは別のもの、と認識されていた。そして、その内容は、実際にはサイトで扱っていたようなアングラな内容それ自体が主体というわけではなく、多くのネット上で有名な個人サイト開設者や、あるいは実社会的に有名でネットも積極的に使っていた人物との対談と、ネット上での情報収集・発信のハウツーを記した、ネットの魅力を語るものとなっていた。

こうした動きにあわせ、河上はNシステム全国マップサイトや紀宮清子ファンサイトを作ってマスメディアに注目をされるようになっていった。また、自著で対談相手となった宮崎学とは、宮崎の対談連載に河上が登場して後に単行本に収められるなど、継続的な関係を築いていた。

ところが、一転して2000年に入ってからの河上の活動は不活発なものとなり、9月にサイトの譲渡を多くの常連に対して提案して作業を始めた。個人サイトの管理者が情熱を失ってサイトをやめる、ということは特に珍しくもないことであり、また、当時の Der Angriff は情報の集積や掲示板でのコミュニケーションから河上個人サイトという以上のものになっていたことから、提案を受けた人々もとくに不審に思うことなく作業にかかわった。

そして、2000年10月に河上はサイト引き継ぎのためにコーナーごとに順次閲覧停止にしていったが、それを受けて実はオウム真理教の現役信者である、ということを暴露され、やむなく急遽サイトすべてを閉鎖するという形で河上イチローの活動は終焉した。そして、河上が創刊時から関与し常連寄稿者となっていたサイバッチから独占インタビューが公表された。このなかで河上は、2000年に入って教団に復帰したことやその経緯、オウム真理教ダミー企業の一つであると報道されていたなあぷるが自らの仕事の場であり、そして話題となっていた「週刊光源氏」を企画したことなど、それまで明らかになっていなかった事柄について本人の立場から明らかにした。このインタビューで河上は、2000年の教団復帰までは教団からは離脱しており、また、なあぷるは教団を離脱した元信者とそれ以外の教団と無関係な社員で構成されていたもので教団のダミー企業ではないとしている。

しかしながら、Der Angriff の主要コンテンツのひとつにオウム真理教情報サイトがありそのなかで滝本太郎弁護士を批判・攻撃していたことや、河上が教団離脱前に執筆していた機関誌『ヴァジラヤーナ・サッチャ』に反ユダヤ主義的陰謀論に基づく特集記事があり、Der Angriffという名称が由来からして親ナチスすなわち反ユダヤ主義の要素を含んでいたこと、そして、なあぷるで仕事をしていたこと及びなあぷるのダミー疑惑が河上の説明だけでは払拭されないものだったことなどから、河上イチローとしての活動と教団の関係を疑う声が滝本弁護士や、有田芳生などオウム問題に取り組むジャーナリストから上がることにもなった。

○アーレフ時代
オウム真理教改めアーレフに復帰したのち、教団方針で実名でサイト「半跏思惟」を開設し、のちに閉鎖した。その内容は教団方針に則るものであって、特筆すべき内容はなかったが、「世界がもし100人の村だったら」への批判的な議論や「奇跡の詩人」問題における独自の観点からの言及を行うなど、前後の時期と共通した要素も見られた。アーレフでは上祐史浩代表の書籍を刊行する東山出版の社長を務めた。

○松永英明
2003年、松永英明として文筆業を開始、サイトも開設してブロガーとなった。このとき、過去の活動は全て伏せていた。

河上名義の活動の時期とは異なり、この時点ですでに日本におけるインターネットの普及率は十分に高く、すでに個人サイトにおいてもインターネットとアンダーグラウンドを結びつけるカルチャーも主流とはいえないものとなっていた。アングラサイトを作っても有名になれない時代となっていたのである。こうした中で、松永は新しい名前でサイトを始めたが、たまたまブログツールを採用したところ、それがブログ流行の少し前のタイミングであったため、ブロガーとして認知されるようになる。その後、ブログ記事において、また執筆活動を通じて、多くのブログ入門記事を書いて日本におけるブログ普及に貢献していくことになった。

こうしてブログを中心としたCGMが社会的な存在感を増していき、松永もブログ関連書籍の著者として著名になっていくなか、2005年の耐震偽装問題をきっかけに、きっこの日記が有名となり、その正体探しがマスメディアとネット上の双方で流行した。松永もこれに参加したが、そのためにDer Angriffの常連でもあり、サイバッチ関連でのつながりもあった野田敬生の注目を集めることとなり、最終的に2006年3月に過去を週刊誌で暴露され、自らも教団との関係については認めるという事態に至った。これは、松永がその名義の活動ではまったく関係させていなかったものの、アーレフからの脱会(の開始)が2006年2月と遅く、松永名義とアーレフ所属の事実が並行していた時期が長かったこと、そして、アーレフ所属のまま、2005年10月の民主党のブロガー懇談会に出席していたことによる。ただし、同記事中、民主党との関係や、きっこ=松永説については事実に反する。

こうした経緯を経て、松永は河上イチロー時代に強硬に対立していた滝本太郎弁護士とも会って脱会についてのアドバイスを受け、正式な退会届の提出や東山出版社長の退任手続きを行い、2006年6月までにはアーレフ脱会を確実なものとした。これは、公安調査庁に提出される教団からの活動報告から完全に名前が削除されていることで公的に証明されている(この活動報告は、虚偽があれば教団の活動停止処分等につながる重大なものであり、信憑性は極めて高い)。また、公安調査官や公安警察官との接触も多い。しかしながら、インターネット上で「偽装脱会」疑惑を書き立てるという誹謗中傷・名誉毀損が恒常的になされている状態である。
なお、松永名義での執筆活動は、ブログ関連のほか、女子十二楽坊関連、成功哲学関連(訳書)がある」

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冗長な物語である。
ここで記載されていることの真偽はともかく。
注目していただきたいのは、その年号である。
90年代後半。2000年。2003年。
上記では「Der Angriff の主要コンテンツのひとつにオウム真理教情報サイトがあり」と書かれている。
つまりはクリッピング。
そこへゆけばその筋の情報は大まかに拾えるというものだった。
当時を知る方々は、いわゆるリンク集というものがどのサイトにも付いていたことを想起されるかもしれない。「yahoo Japan!」の検索はまだ人力で、多くのテーマ別サイト紹介ムック本があちこちから刊行されていた。
いわゆる「ネット・イエロー・ページ」である。

クリッピングとは情報処理能力である。四谷大塚的才能と言っても良いだろう。
そこに一定のセンスなり編集が加わって、読者を知らずに一定の方向に導いてゆく。
編集とはそういうものだから、それ自体が悪いことだとはあながち言いがたい。
問題はその方向であるが、それはまた別の話である。

が、しかし。
例えば「はてなブックマーク」などが開設され、それが機能し始めたのは何時頃からだったろう。yahoo ! のエンジンが替わり、例えばグーグルに関する新書が相次いで出されたのは何年頃からだったろうか。
一日中ネットに繋いでいることが普通になった。
システムそれ自体が自動でクリッピングなり編集をしてしまう。
勝手にTBも打たれ、自らが閉鎖したサイトそれ自体もアーカイブで読まれるご時勢。#
となると、どうなってゆくのか。

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http://kurosaki-yowa.seesaa.net/article/34086809.html
元サイトのエントリー自体、残っていることに注意。
posted by 黒崎 at 05:29 | TrackBack(0) | 夜話「豪雨の前兆」 | 更新情報をチェックする

2007年03月23日

豪雨の前兆 51

黒崎@豪雨の前兆 51
「花の影」


「夜話」内部で「豪雨の前兆」を検索すると以下である。
http://kurosaki-yowa.seesaa.net/pages/user/search/?keyword=%8D%8B%89J%82%CC%91O%92%9B

「豪雨の前兆 50」
http://kurosaki-yowa.seesaa.net/article/34454307.html
が物語のラストで、どうにも重い気分で5分ばかりで仕上げた。

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じきに桜も咲くが、その下を歩いている男の姿を想像することがある。
未だ強がっていて、そのくせ眠れず、夜をうろつく。
仮に本当に心療内科などに通っているだとすれば、ひとまずそれは安心で、ようやく細い道ができたということだろうか。
特定個人ではなく、社会全体の受け皿というものをぼんやりと信じる。
「子守唄」
http://kurosaki-yowa.seesaa.net/article/25623472.html

一時、鈍くなったとしても、それはそれでかまわない。
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2007年02月23日

豪雨の前兆 50

黒崎@豪雨の前兆 50
「誰に降る雨」


向こう側に黒い雲があって、ゆっくりと西へ流れている。
その下は強い雨なのか、時折稲妻が光り、そして近づく気配はない。

私は海の方向へ車を走らせていた。
サンルーフを1/3開き、95年の Pat Metheny を聴いている。
三曲目だったか「To The End Of The World」というものがあって、タイトルが好きではなかった。
トンネルに入る。
耳の辺りが押される。

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何時だったか上海で、元紅衛兵だったという男に会った。
今でも語録を持っているか、と尋ねると、勿論そうだと言う。
あれはひとつの物語。甘くて苦い夢のようなものだった。
外灘(バンド)の雑踏の中で、彼はそういう。
それからどうしたの。
友達は沢山死んだ。わたしの子供も。
それから地下道をくぐり、彼のパサートに乗り込む。
上海の雨は土に染み渡り、それが水路になってゆく。
猿のような顔をした男や女が、信号で停まる車の傍にかけよって小銭をせびる。

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ワイパーのゴムが汚れている。
少しだけ吹き残しがある。
そうは言っても、物語は終わっている。
ここから先は未練とか自分だけはという、とるに足りない虚栄の世界に入ってゆくのである。


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2007年02月21日

豪雨の前兆 49

黒崎@豪雨の前兆 49
「被害者の生活」


例えば前述の検索で、こんな記事が出てきた。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-02-28/03_01.html
2004年2月28日(土)「しんぶん赤旗」
「○遅れる公的救済 「アフターケア」制度も知らされず
地下鉄サリン事件の被害者の女性は後遺症がひどくて働けず、障害年金と生活保護を受給。被害者への損害賠償金を受け取ると、生活保護を打ち切られ、返還も要求されました。女性は厚生労働省などに働きかけました。やっとの思いで賠償金を収入と認定しないことになり、生活保護費の返還をしないですみました。

「犯罪被害者がなぜ、このような仕打ちをうけるのか。体を元に戻して。それができないなら少しでも救済することが国の責任」―女性は、これまでの本紙の取材に幾度となく、訴えました。
オウム犯罪被害者への公的救済や支援は大きく立ち遅れたままです。
一連の事件の被害者にたいし、出された犯罪被害者給付金総額は六千六百万円。対象が被害者が死亡した場合と重度の障害を負った場合だけだったからです。

地下鉄サリン被害者にたいし、国は労災認定をしました。が、その対象は被害者約五千五百人のうち七割弱。その労災認定被害者の後遺症対策である厚生労働省の「アフターケア」制度利用も現在までわずかに十二人です。多くの被害者が制度の存在すら最近まで知らされず、利用支給額は、九七年来の合計で百九十万五千円にすぎません。

○健康被害も深刻 「後遺症の訴えに耳傾けてほしい」
健康被害もいぜん深刻です。サリン被害者救済を続けるNPO法人「リカバリー・サポート・センター」(東京・新宿区)はアンケート調査(発送千五百七十三人中に有効回答が四百三十人)をおこないました。身体症状の上位三位は(1)体が疲れやすい(2)体がだるい(3)頭痛がする▽精神症状では(1)体が緊張している(肩こり、手に汗をかく)(2)忘れっぽい(3)気力がなくなった、憂うつな気分になる――でした」
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この政党特有の言い回しがあって、全部読むのはくたびれるものだが、事実関係がそうだとするならば、続報を調べてみたい気もする。

一般に我々は狭いブログの世界の声だけで自足しがちだ。
「脱会者の社会復帰」と言えばその通りなのだが、一方で多くの被害者の社会復帰、もしくは生活そのものも想像しなければ総体としてバランスは取れないだろう。

ある特定の人物を「脱会者」の代表のように捉えるのは危険である。
ブログも書かず自己宣伝のような自分史も残さず、ましてWikipedia「上祐」の項目を編集したりせず、実社会で様々な齟齬に苦しみながら生活している元信者は大勢いることを忘れない方がいい。

あたかもアレフコメンテーターであるかのように、あちこちのブログに自説を残し、「教義はまちがっていなかった」などと書いていた人物はごく限られていたのである。

#「真夜中は別の人」で興味深い考察が続いている。
http://d.hatena.ne.jp/yetanother/20070220
http://d.hatena.ne.jp/yetanother/20070213/1171381629

posted by 黒崎 at 21:18 | TrackBack(0) | 夜話「豪雨の前兆」 | 更新情報をチェックする

豪雨の前兆 48

黒崎@豪雨の前兆 48
「生活費がなければ働く」


例えばグーグルに「生活保護 オウム」と入れると、
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rls=GGLD,GGLD:2005-04,GGLD:ja&q=%e7%94%9f%e6%b4%bb%e4%bf%9d%e8%ad%b7%e3%80%80%e3%82%aa%e3%82%a6%e3%83%a0
二番目あたりに「夜話」が出てくる。
これは昨年の5月12日に書いたものだった。
http://kurosaki-yowa.seesaa.net/article/17699870.html
#再掲しておく。
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黒崎@どうでもいい

http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_b52b.html
滝本弁護士のインタビューを興味深く読んだ。
結論から先に言うと、これは泉氏もしくはその周辺が考案した、巧妙に仕組まれた弁明の物語であるという印象が強かった。

泉氏のブログでのカテゴリーはこうなっている。
「現・元オウム信者と社会の関わり」
始めからこのテーマ・命題で書いている訳で、必然的に社会復帰などが重要な課題となってゆく。つまりテーマの立て方・命題の中に一定部分の結論が含まれているのである。
信教の自由、あるいは我が内なるオウムといった論の後に、松永氏のオウムからの脱会、その定義と難しさなどがテーマになってゆく。そして社会復帰と。
それはそれで構わないのであるが、原点に戻る。

実を言うと私は、松永氏がオウムから脱会しようがしまいがどうでもいいと思っている。
滝本氏は「麻原を観想しないことがオウムからの脱会である」と定義されているが、これに対しても微妙な疑義が残る。だが、それについては今は触れないでおく。

松永氏がライターとしてはもう終わりだという声もあるが、それは個人的な事情であって誰のせいでもないだろう。仕事は他にもある。
才能を惜しむ声もあるが、松永氏はオウムの中では明らかに特権的なエリート層であって、問題は更に底辺や周辺にいる信者ではないのかという気もする。
オウムというのは極端な階層社会だった。学歴やその容姿。支配と被支配の関係の凝縮された集団でもあった。グルのしもべ達。
松永氏のオウムからの離脱、そのいきつもどりつを、ひとつのモデルケースとして論じることはある意味で危険だと思う。
これについてはゆっくりと書いてゆく。

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一方滝本氏は、オウム信者は通院歴があったりすると比較的簡単に生活保護を受けることができると言われていた。その制度を悪用して分派が形成されていたりもするという。

ここで私は「ワーキング・プア」という言葉を思い出した。
これは簡単に言えば、働いてはいるものの生活保護基準以下の生活水準にある世帯を指す。ある学者の指摘によれば、東京・横浜など大都市周辺であると、一世帯年収500万円がひとつの基準とされるという。子供が9歳と4歳。
夫婦揃って500万の収入から、公租公課その他の経費を差し引くと、大体生活保護基準の生活扶助、教育扶助、住宅扶助などとほぼ同程度の額になるのだという。
様々な試算はあるものの、平均して全世帯の1〜2割の家庭が、このワーキング・プアに該当しているのではないかという指摘もあるという。
実感としてそれはあるのかもしれない。
具体的に就業構造基本調査でみると、15〜34歳の男性の収入は正規、非正規をとりまぜて250万未満が28.1%。200万以下が14.8%(2002年)。
2級地の1の単身者の勤労者額面換算の生活保護基準は210〜220万。
すると15〜34歳の男性のほぼ2割ほどがワーキング・プアであることになる。

働いても生活保護以下の暮らししかできない。ということになれば、これは資本主義社会のモラルハザードをもたらす。それに対しては、生活保護の水準を引き下げるという方向で見かけ上の解消を図ろうという動きが次第に強くなってきている。格差は下部に向けて広がっている訳である。

ある層に関して言えば、働かない方が暮らしやすい。
例えばそこにオウムからの離脱者が入り込み、ネットなどで活動をくりひろげたらどういうことになるのか。
滝本氏の指摘は、そんな想像を広げさせてくれた。
(再掲:ここまで)
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その後、若干認識の進展はあるものの、枠組み自体を大幅に修正しなければならないとは考えていない。

生活費がなければ働く。
これは多くの方が身をもって実感していることで、現世とはそれでできている。
誰しも、必ずしも自分が望む仕事についている訳ではない。
作家だからライターだから特別ということもないのであって、それとて一定の商業主義の枠の中で絶えず評価されるものだろう。
こうした当たり前のことがおざなりになっている議論というのは不毛だと思える。

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一方、暫く前から泉氏のところが「Archives」と名称が変わっていた。
http://gripblog.cocolog-nifty.com/
報道機関設立企画というものも、結局はそれによって複数の人間の生活費を捻出しようとするベンチャーだったのだが、そういえば一昨年の12月くらいまでその首謀の方には「スポンサー」がいたと書かれていた記憶がある。本人がである。
それがどういう性質のものだったのか、今となっては不分明なのだが、上記サイトもいわゆる過去のものになったようである。
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豪雨の前兆 47

黒崎@豪雨の前兆 47
「黒崎十一金融」


○matsunaga 「手記をすぐに終わらろというなら100万くれ。4か月分、他のことをしなくても食えるだけの生活費だ」

松永氏はこう書いた。
これを書いた時点で、様々なものが終わってしまったのだと私には思える。
ここでそれをいちいち説明しないが、例えば「証人」を守るとか言われていた方は具体的にはどうするのかといぶかしかった。

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20070212/1171279360
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20070220/1171933982
この辺りのコメント欄も歴史的な動揺である。
かといって、結局は自分のことしか心配していない。

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豪雨の前兆 46

黒崎@豪雨の前兆 46
「観念の遊園地」


春が近い。
夜の梅などが白く光っている。
あるときには植え込みに、沈丁花が咲いていた。
私はといえば、とある会合に出て、その後車を拾い、坂の上の酒場で煙草を吸った。COHIBAというキューバのものである。
ぬるいギネスとラムをもらい、暫くぼんやりとした。

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ネットの一部で今起きていることは、退屈な茶番である。
二度と使えない手を使い、上目遣いに廻りの反応を眺めている。

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2007年02月20日

豪雨の前兆 45

黒崎@豪雨の前兆 45
「一次情報にあたろう」


松永氏は「稚拙な印象操作を駆使する記事には、『一次情報』に当たることが重要」というエントリーを挙げている。
http://www.kotono8.com/2007/02/20originality.html
2007年02月20日00:53|記事内容分類:メディアリテラシー
「私は常に「一次情報に当たろう」と言い続けている。少なくとも、書き手としてはその姿勢は絶対に崩せない」
「パクリ劣化コピー知ったかぶりが増えるのは迷惑だが、他のブロガーたちが見て有益だと思う情報であれば、たとえ「単なる紹介」であっても憶せずに公開してもらえればと思う」(松永氏エントリー)

内容自体はよくみかける自画自賛記事であるが、彼はこれを書いた40分後に以下を掲載していた。
http://d.hatena.ne.jp/matsunaga/20070220
「■精神的苦痛 01:33
疲れた。あまりの悪意の強さに。
あのような真っ黒な思念を放つことができるとは、かわいそうな人だ。どこまで自らを卑しめ貶めていけば気が済むのだろう。
その毒気に当てられて、生命を失うかと思った。奴は殺生石だ。
私はもう生きていけないかもしれない。
生命欲が消えていくのが感じ取れる。
そこまで私の存在が許せないのか。
私は存在していてはいけないようだ。
あなたの勝ちでいいよ、黒崎。
私はそもそも勝ち負けなど興味ないが、
あなたは徹底的に私を葬り去りたがっている。
だったら、あなたの願いを叶えてあげよう。
人一人を殺させてやろう。
徹底的に人をたたきつぶす嗜虐の喜びを味わわせてやろう。
さあ、包丁を持ってうちにおいで。
私は抵抗しない。
頸動脈でも心臓でも好きにすればいい。
私は生きる意思を失った」

「■遺言書 02:12

(あまりにクーダラナイので略)

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資料というのは一次情報である。

posted by 黒崎 at 08:09 | TrackBack(0) | 夜話「豪雨の前兆」 | 更新情報をチェックする

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