2007年07月13日

流れる 3

黒崎@流れる 3


幸田文さんの「流れる」での視点を理解するには、同じく「あとみよそわか」などに目を通しているとわかりやすいかもしれない。
露伴に掃除の仕方、生活の些細なところを躾られた回想の物語である。
拭掃除の時のバケツ。水を一杯に入れて使ってはならない。取り替えることを惜しむな。
「水はこわいものだよ」
と露伴は娘に教える。

この時の仕込みが「流れる」の中で、目利きとしての作者の視線を形作った。
芸者置屋の主人がうなっている義太夫の勘所がわかる。
受け取りの手跡がどうにも見事である。
「あんた、何ものなの」と誰もがいぶかるのだが、このとき幸田さんは独身に戻っていた。

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いわゆる山の手文化というものが仮にあったとして、それは中産階級の成立と時を等しくしている。郊外に伸びる沿線。例えば応接間のある文化住宅。
それを映像の世界で表現していたのが小津安二郎監督だったりするのだが、小津監督の描いたそれも、当時既に喪われた風景であった。

異なる文化、階層からの旅人。
ハードボイルド小説における探偵は、いくつかの街と住人たちを行き来する。それは都市の成立と成熟が前提となっている物語だからだ。
ひとつの事件が終わったとしても、街そのものは変わらない。

posted by 黒崎 at 10:39 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

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