2007年03月23日

片目を開けた厄介

黒崎@片目を開けた厄介


やはり対象と自分が、社会という平面の中で動いているひとつの点でしかないと捉える視点が必要になるだろうと思っている。
「平面の中の点」
http://kurosaki-yowa.seesaa.net/article/31333682.html
つまり、そのバランスが肝要なのであって、まずは特定個人の社会復帰ありきではないのだった。
「豪雨の前兆 49 被害者の生活」
http://kurosaki-yowa.seesaa.net/article/34346052.html
●「地下鉄サリン事件被害者の会の声明」高橋シズヱ氏
http://blogs.yahoo.co.jp/whitecat12browncat12/7332962.html

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これは視点を変えると、いわゆる「父性」というものに繋がるのではないかという気がしている。
受容と切断。それはやってはいけないことなのだと示唆するのが父性でもあるが、昨今それは戯画化されてしまって旨く機能していない。
本件のプロセスの中に含まれていたある種の情緒性、そこから生まれる著しい軸のブレというのは、踏みとどまることのできない不安からくるものだろう。つまり「父性」というのは、ある時は悪役を演じ、担うことも要求されるからである。
posted by 黒崎 at 06:04 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

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