2007年02月11日

豪雨の前兆 22

黒崎@豪雨の前兆 22


崎山氏からコメント欄に解説をいただいた。掲載する。
http://kurosaki-yowa.seesaa.net/article/28954224.html#comment
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○Wikipediaの差分の見方を間違えていませんか?「一例を挙げ」たところは松永バージョンから存在する部分。
Posted by 崎山伸夫 at 2007年02月11日 04:52

○どうもお疲れ様です。
確かに松永バージョンから存在します。私は崎山さんが全てこの部分の原本を書いたとは言ってはいません(そう取れましたらごめんなさい)。修正について触れています。
しかし、野田氏の記述を修正するからにはwikipediaのルールに基づいた資料を崎山さんも入手されてのことでしょうから、それをお聞きしたかったのです。
また、当時の松永氏の実名使用が「教団方針だった」ということも、客観的に証明できる資料はあるのですか?「前兆 11」
Posted by 黒崎 at 2007年02月11日 12:00

○一行ごとにソースを書くと繁雑になるのでやっていませんが、「国賠裁判を支援する会」の中の裁判資料を用いて加筆しています。原告側のみではなく被告(国)側の準備書面も参照しています。会は、本人に非常に近い立場のものなので、本人提供資料に準じた扱いでいいと考えています。裁判の結果や国一合格などはESPIO(メルマガとサイトの両方)。

松永氏が最初に書いたものは「ストーカー野田」を強調しているという意味で中立的とはいえないので、公調 vs 野田の対立のエスカレートの中で2度の事件があったとわかるようにしています。

資料批判的な水準で私の記述が不適切であるとすると、そもそも野田氏の2度の事件を記述するのがどうなんだろう、という感じですかね。彼の活動のなかで重要なポイントではあるので書かないということはしたくないし、公調側の行きすぎた監視についてふれないのは問題が大きいので難しいところです。

松永氏の実名使用が教団方針だったかどうか、については、彼個別ということではなくて、全体の方針について公調の「内外情勢の回顧と展望」から引用しているとおりで、その引用部分については公調が見解を述べているという性質ではなくて単なる事実を書いている部分だから、なんら問題なく客観資料と言っていいのではないかと。
Posted by 崎山伸夫 at 2007年02月11日 15:56

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無理を承知で結論を先に書くと、私自身はWikipediaにおける野田氏の項目というのは、そもそも立てられるべきではなかったと考えている。
「豪雨の前兆 10」や同じく11で他の方が指摘しているように、もとより松永氏の動機が不純だからである。
http://kurosaki-yowa.seesaa.net/article/32852452.html
http://kurosaki-yowa.seesaa.net/article/33065193.html

「ウィキペディアは何でないか」を眺めていると、
「○いかなる種類の宣伝(プロパガンダ)や擁護の場でもありません。
あなたが支持する人物や団体、思想や信条を宣伝するためにウィキペディアを利用してはなりませんし、逆に対立する相手や不愉快なものを非難・攻撃したり、あるいは読者を扇動するためにウィキペディアを利用してもなりません。もし、本当にあなたの主張を他の人々に広めたいなら、例えば外部の電子掲示板やブログをご利用ください」

と、明白に規定されている。
いびつなスタートラインから開始された言論を、その後修正してゆくことが如何に困難であるか。上記コメント欄で崎山氏が述べている通りである。

とは言っても、一度立てられた項目そのものを削除するということは、余程のことがない限り難しいのかもしれない。Wikipediaでのその辺りのルールについては私は不知である。
しかしながら、現実社会の反射的効果として、ここで松永氏の実名掲載の可否が再燃してくることも確かだという予感もある。

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ここで話は飛ぶ。
「松永英明」の本文履歴、2007年2月5日分で、松永氏本人は以下のように記載していた。
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9D%BE%E6%B0%B8%E8%8B%B1%E6%98%8E&diff=10495082&oldid=10440826

「 2007年1月 - 公安調査庁の発表した「[http://www.moj.go.jp/KOUAN/NAIGAI/NAIGAI19/naigai19-00.html 内外情勢の回顧と展望]」2007年版において、2006年のオウム関連問題として一切松永に関する言及がなされていなかった。これにより、「教団としての政治への接触」や「偽装脱会による情報操作」あるいは「民主党との関係」など、申し立てられた疑惑について公的に否定された」(松永英明記載)

これは次の版では削除されている。当然であろうかと私は思う。
公調の「内外情勢の回顧と展望」というものが、果たしてどういう性質のものかを少しでも想像すれば分かるように、これは一々細かい事案について触れる性質のものではない。
仮に内偵の最中であっても、内偵中であるなどとは書かないものである。
保守政党への接近は、政局問題に繋がる可能性があるから、仮に問題になったとしても水面下で処理されていると考えるのが無難だろうか。
公安調査庁それ自体も、そう規模の大きな組織ではないことも覚えておいて損はない。

であるから、松永氏の論は非常に表面的、そして幼稚な組み立てをしているものだと私は半ば呆れていたところだった。

例えばこんなところもである。
「また、公安調査官や公安警察官との接触も多い」
それは単純に考えて、一定の監視下にあるという意味ではないのか。
今は組織を離れたとしても(仮定である)、一定部分で泳がせ、様々な情報を取得しようとしているからではないのか。
素直に読めばそのようになる。
決して身許が保障されている、脱会していることの補強材料にはならないのである。

posted by 黒崎 at 19:32 | TrackBack(0) | 夜話「豪雨の前兆」 | 更新情報をチェックする

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