あちこちで子供の理屈のような論が繰り広げられている。
座談会の政治的な意味を再考しようとする動きもあるようだが、その前にオウム真理教の行った無差別大量殺人の実態を、きちんと再確認すべきだろうと思っている。そのためには基本的な文献のひとつくらいには目を通した方がいい。
そこが弱いものだから、社会的正義とか世論とか世間など、言葉が変遷してゆくのである。
表現の自由も信教の自由も、どちらも重要な基本的人権の核ではあるが、他人の生命を意味なく奪うというところまでは許されていない。
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