ネットの世界は、ゆるやかに実名の方向に向かっていると私は感じている。
それがいいことかどうかは別にしてである。
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市民ジャーナリズムと呼ばれるところの記事をいくつか眺めていて、最後まで読めた試しがない。飛ばし飛ばし、ヘッドラインだけで十分という気になってしまう。いわゆる「つかみ」があるとかないとかの話でもない。
書き手の個性、顔が推察できないのだった。
これは多くのブログにも言えることで、日記と称しながらも具体的な匂いが乏しい。食事のことを書いても、女にモテるには、のことを書いても、いつもどこかで見たことのある切り口と結語である。
誰が書いても同じ。街角に置かれている、広告付フリーペーパーの如くであった。
ではフィクションかというと、それだけの飛躍も乏しかろう。
一冊本を読めばそのことをすぐに書く。
読んでどう考えたのか、他の本と比べてどうだったのか、醗酵させることが難しいかのようである。
日々消費されることは結構なことだが、昼間もそうで夜も同じというのでは水も流れまい。
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