続けてみる。
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ここを眺めると、全てが同じ平面で語られている。
松永という筆名を筆頭に、「河上イチロー」というオウム信者だった頃の成果も、ほとんど同じ次元・同列に扱われている。
作ったのは松永氏本人らしいのだが、ダイジョブなのだろうか。
本人は自分のライターとしての歴史、単著もある、ということを示唆したいのかも知れない。
気持は分かる。冷蔵庫が壊れてもいる。
が、傍から眺めていると、松永も河上も実は同一だと。
そして少し調べてみれば、河上イチローはオウムの悪名高き活動家であったという検索結果が出てくることになる。まとめサイトに限らない。
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この辺りの感覚、センスのずれ。
何処とズレているのかと言えば、一般社会の感覚とである。
例えばコンシューマー向けブログムック本は、単著ではなく、何人かのライターやデザイナ・写真家、編集者などとの合作、集合的な仕事であろう。
それが「河上イチロー」と同列のところにまとめて置かれ、心よく思う共同作業者の方々が何人いるだろうか。
当時カミングアウトしていなかったのであれば尚のことである。
可能性の話であるが、例えばこうしたムック本が学校機関等での副教材になったとして、後からそれが知れた場合、選択した立場の方は説明に窮する。
「過去がどうであれ、今の仕事の質が高ければそれで良い」
とでも言わざるを得ない。何処かで聞いたことのある台詞だが。
それも大人の説明でしてね。
内心、困ったもんだと考えるのが普通である。
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つまりこれは、何時完成するか分からない、例の自分史の補完資料として位置付けることができる。
自尊心や自愛の感情を別として、本人は将来の仕事に対する宣伝・実績一覧のつもりでいるのかも知れないが、実は逆効果であった。
焦る気持はよく分かるのだが、自分の頭の中でだけ一連の流れを位置づけず、社会との関係の中で相対化する作業を薦める。
バランス感覚に優れた友人をみつけ、これはどうだろうかと尋ねてみることも必要だろう。
貧すれば鈍する。
頭のキレだけでどうにかなるものでもない。
暫く先のURLを眺めていると、ある種グロテスクなものが、ムックの明るい表紙からゆっくりと浮かび上がってくるような気がして、私は少し困ったのである。
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