あくまで個人的な感想である。
松永氏が、松永という筆名で従来通りの社会的な活動を続けてゆくのは、既にして無理であろうかと思われる。
理由はいくつもあるが、煩雑になるので全てを記さない。
ただひとつ言えば、公私の区別が曖昧だったな、ということ。
どちらに徹することもできなかった中途半端さが、いわゆるセミプロに近かったのだろうか、という印象を今の段階で私は持っている。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
「夜話」の読者の為に少し説明してみる。
例えばブログから本を出す実験というものが「文芸フリマ」である。
オーマイ・ニュースで一度だけ取り上げられた記事はその文脈のものだった。
SNSのシステムをサーバーに入れてみたりもする。次を模索するためである。
こういったことはテクニカルライターであるならば誰しもすることで、そう珍しいことでもない。
一般にデザインに対価もかけられないものだから、見た目は仕方のないものになる。
「ことのは」のデザインは正直言って見られたものではない。
が、こと無料ブログを使っているユーザー相手ならばそう問題もないのだろう。
松永氏のテクニカル・ライターとしてのスタンスは、どちらかと言えば素人さん相手、コンシューマー向けのものであった。
そこを押さえておくと、反射的に、今どういう隘路に陥っているのかが見えてくるのである。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
【関連する記事】