2006年10月30日

捨てる

黒崎@捨てる


ひとつエントリーを書くと、その断片を引用して巨大掲示板に煽りが現れる。そこで自演しているという触れ込みである。
彼らが何処を引用し、そしてしないのかを眺めてゆくと、ナルホド琴線に触れたのがどのあたりだったのかが分かる仕組みになっている。
ブログの世界では、数日後にちがう形で顕れる場合もある。

黒崎が掲示板に書き込みをする必然性は乏しい。
やろうと思えばできるのだがしないことを、一般に美学という。
Wikipediaの編集は誰がしてもいいが、そこに本人もしくは極めて近い人間が参加することはやはり恥ずかしいことである。
民主主義と衆愚とまで言っていてそれはないだろう、と一般には呆れても良いものと思える。
自分のサイトに自分史を書けばいいだけのことだった。

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であるから、どうも最後のところでいわゆるプロ意識というものが希薄なのではないかという気がしてならない。
自らの個性を殺すこと。場合によってはより便利な道具(この場合には筆名)を使うこと。客観的に死んだブランドは捨てること。
そうした発想に至らないのは、ネット上での自己同一性に必要以上に拘っているからでもあるのか。
これを自尊心と呼ぶひともいるが、職人とは本来無名のものである。
posted by 黒崎 at 23:12 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

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