2006年10月28日

シビルシック

黒崎@シビルシック


十一月が近い。
僅かに街路が色づいているが、東京ではまだこれからで、晴れているとすこし汗ばむ。

暫くネットを離れていると、成程ここは特殊な世界ではあるのだなという何百回目の感触を抱いた。
よくやるよね、君たち。ひとのことは言えないが(以下リフレイン)。
どうでもいいよね、そんなこたあ。

ニート40のブルースというものがあって、社会に受け入れられない悔しさを特定の対象にぶつける。誰々と知り合いであることを誇らしげに語り、一日中ネットにへばりついているらしいのだが、ああ母校は泣いているぞ。親もですが。
その友人にしても似たようなもので、テクニカルライターであるのだが、三文文士であるとノベル。とっちゃん坊や丸出しの顔を出したりして、手元にリモコン抱えていればムーの少年読者には受けるだろう。
それにしても、やることなすことセルフ・ブランディング失敗の見本のようなものであるが、今まではなんとかなってきたんだろうなあ。
ま、いいんだけど。もうすこしやり方もあるだろうにと他人事ながら思う。

それにしても、これらを「知的な階層」と評するセンスはいかがなものか。
朝日社説を笑えまい。

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コップの中の嵐だと、隣のコップが言う。
ブクマがどうしたこうしたという話も、ブロガーとしての芸風の限界を露呈したようなもので、例えば無理したダダイズムのようなものかと私には映った。ダダというのは既成秩序をひっくり返すことを目的としていた芸術運動のひとつであるが、それがひとつの技として定着してしまうとほとんど伝統芸能である。中年以降のダダは、無残な結果になることが多かった。
すなわち本質的に青年期の文芸・芸術なのである。

例えば女を買うことを主題のひとつにしているブロガーがいるが、今の時代、買われる立場に立ってみるというのも一興だろう。
一見毒があるように見えながら、実は食い足りないところがあって、それが何故なのかを考えると、地の文章の背後にある無意識の対立軸、それから二枚目意識ではないかと思えた。

と、芸もなく安い毒を並べてみる。
真面目に文を書く場合でもなかろう。

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posted by 黒崎 at 11:25 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする
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