2006年10月14日

大人たち

黒崎@大人たち


続ける。
上記が9月頭の発言だということを踏まえた上で、では何のために書きそれをネット上で公開してゆくのかという疑問も生じてくる。
初稿が書かれたのは春先の極めて早い時期だった。
それには既に答えがあって、先の「夜話」のエントリーの引用部、
「もう開き直って、こういうキャラとして生きていくしかない」
に繋がってゆくのだが、要は従来のままの状態をネット上で維持・発展させてくれ、ひいては社会的にも認めてくれということでもあろうか。


この辺り松永氏は、周囲のオトナの対応として再三言及している。

「実社会における俺の周辺の人たちはみんなオトナの対応をしてくれてるために、特に問題になってはいない。それが最大の強みかもしれない」
http://d.hatena.ne.jp/matsunaga/20061011#1160568837

「現実世界での関係者は、仕事先なども含めて、ほぼすべての人が私の説明に納得してくださってます。直接話してないのに、この辺の騒動を見て、その上で「弁明の機会を与えられないかな」とか動いてくださっていた方もあったり。いきなりマイミクを切ってきたのも数人(知り合って1か月程度の人たちの一部)で、それ以降また増えたから、結局騒動前より増えてます。だから、「世間が説明を求めている」と言われても、その「世間」とは実はネット内の一部であって、それを無視するつもりはないけれど、最優先事項というわけではないというのも事実です」9月12日追記分
http://aum-aleph.g.hatena.ne.jp/matsunaga/20060318

誠に結構なことで慶賀の至りなのだが、こうしたことをあえて書かなければならないということにある種の実態もある。
何故なら、
http://kurosaki-yowa.seesaa.net/article/25430747.html
この冒頭にある氏の発言と幾許かの矛盾があるようにも読めるからである。

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一般に、前の経歴がどうであれ、という世界はこの社会に存在している。
それは広く芸の世界であって、例えば作家の安部譲二氏を見出して世に出したのは「室内」の山本夏彦さんであった。
邦画ファンにはお馴染みの安藤昇氏も、かつては本職の安藤組組長である。
あるいは「天皇ごっこ」の見沢氏なども数えられるだろうか。
その意味では、松永氏がウェブに再帰する可能性はない訳ではない。
やりようによっては、という声があることも事実である。
私も半ばそう思いたいところもある。

そうこうしていると、オーマイニュースに松永氏へのインタビューが掲載された。
http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000002238
早速いくつものコメントがつき、コメント欄は閉鎖された。
記事そのものは、取り立てて特徴のないものなのだが、目を引いたのはそこに掲載されている写真である。
「松永氏がこれまでに書いたブログ系書籍・雑誌の山 撮影者:松永英明」
とキャプションにはある。
それを暫く眺めていると、不思議に一抹の寂しさが浮かんでくる。
やや稚拙なインタビューを読んでゆくと続けてこう規定もしていた。

「松永:主な仕事はライターですが、ジャーナリストでもなければ芸術家でもありません。依頼された内容について、わかりやすく読みやすい文章を作る「職人」のようなものです」

アルファブロガー、Web2.0.
そうした単語が無条件に散見してもいる。
この文脈での世界、その中での松永という名前なのだろう。彼にとってそれはある種の暖簾であり、手に入れたブランドのひとつなのだ。
それは悪いことではないが、セルフ・ブランディングというのはそれなりに難しいということも付け加えたい。

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大人の対応については、思うところもあるが今は書かないでおく。
先の「夜話」を参考にされたい。
http://kurosaki-yowa.seesaa.net/article/25311059.html

posted by 黒崎 at 02:28 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

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