2006年10月13日

Masuqurade 2

黒崎@Masuqurade 2


ここから、ネットが「仮面舞踏会」であるという流れにもってゆくのは簡単だが、些か品がないのでやめておく。

白金台の庭の見えるところにホテルがある。
その二階は作家・開高健さんの定宿であった。
確か葉山の辺りからグラビア誌の編集のために時折上京し、ここに泊まっていたのだと何処かで読んだ覚えがある。「太陽」の特集号だったかも知れない。開高氏の奥様は詩人。「太陽」では冒頭にやや難解な追悼文を載せていた。
開高氏の死後、娘さんが鉄道事故で亡くなる。
確か数年前だと思うが、奥様が葉山のご自宅でお一人で亡くなっているのが発見される。
仔細は忍びないので省くが、その記事を読んだ時、なんとも言えない気分になったことを覚えている。

私は開高さんのあまりいい読者ではないのだが、「ずばり東京」というルポは高く評価している。高度成長真っ盛り、東京オリンピック界隈の東京の変貌を週刊誌に連載していたものである。
後の「ベトナム戦記」も密度が高い。
どちらかと言えば小説「夏の闇」あたりよりも良いもののような気もする。
ベトナムでいわゆる解放軍兵士が、痛いとも苦しいとも言わず、あたかもアリか虫のように死んでゆく様を記述しているところなどは、宗教・文化の違いというだけで片付けていいものか。
後のキューブリックの映画を思い出したりもした。

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開高氏は、途中から書けなくなったと自分で何度か告白されている。
昭和30年代後半と言えば、例えば実存主義などが全盛で、作家も社会参加をすることが要求された。「何でも見てやろう」の小田実氏などが絶え間なく元気だった時代でもある。
例えば日活映画、裕次郎主演の文芸作品などでも、安保闘争のデモが点景として登場するのだから、政治参加というのはひとつの風俗にまで至っていた。
この辺りの事情は、第一次大戦後のヘミングウェイやフィッツジェラルドなどが半ば徴兵逃れのために従軍していった経緯とも重なってくる。
従軍は彼らにとって、何処かロマンチックだったのだ。
「あなたたちは失われた世代なのよ」と語ったパトロンヌの名前がすぐに出てこない。
ドルが強かった頃、作家の卵たちは欧州で遊んでいる。
ヘミングウェイの孫、モデルをしていた彼女の最後については、コピーライターの秋山晶さんが興味深い一文を書かれていた。

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白金のそのホテルには地下にバーがあって、髪を後ろに縛ったバーテンダーがやや大振りなグラスでマティニなどを作る。
大振りが好まれるのは、正確に量を調整しなくてもいいからだと私は想像していた。
葉巻も置いてあるが、ダビドフとコヒバくらいなもので、葉巻を入れてある杉の木箱を細かく切って置いてあったりはしない。それで火を点ける遊びは割愛である。

作家であれ誰であれ、個性というものがひとつの商品になっている世界がある。
皆が皆、踊らなくてもいいのだが、それをせよという声も聞こえる。

posted by 黒崎 at 15:55 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする
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