2006年10月01日

10月はふたつある

黒崎@10月はふたつある


さて、貧乏臭い話ばかりで飽きてきた。
貧乏と貧乏臭いというのは明白に違うが、高い酒を飲んだ後、なんとなくファミレスに入り、ドリンクバーを馬のようにお代わりするのが過酷な青春の名残というものである。

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E500では数百キロ走った。
ローで70.セカンドで130程。DOHCのV8は音もなく廻る。
直角にハンドルを切ると、すこし湿った感じで尻が流れる。そのままだと横になってゆくのだが、一瞬ESPが点滅した後、若干のカウンターを当てるだけで速度が上がる。
ブレーキはAMGよりもよく効いた。AMGではステンレスホースに換えてあっても、踏み始めの辺りが僅かに曖昧で、空冷時代のカレラと似たような感触が残る。
124メルセデスのボディを振り回すのは、まず無理だと考えていた方がよく、スタジアム横のコーナーでもフェイントをかけたりはしない。あそこはよく滑るのである。

初期型の500Eの試乗記がCGに載ったのは確か91年の秋くらいで、当時の編集長の熊倉さんがドイツに飛んでものにしている。写真はあまり旨くなく、走るのに忙しくて小型カメラで撮ったかのような出来であるが、この発色はコダックだっただろう。
124のボディに500SLのV8を押し込んで、内部を徹底的にチューンする。友人の260や320には何度か乗ったことがあったが、ちょっと別次元の剛性感である。とりわけハンドリングはメルセデスの常で安定志向に振られているが、その奥に不思議な味がある。40で走っていても100を超えていても、路面の状態が伝わってくるのである。
この車がマニアからある種神格化されているのも分からないでもない。

ただ、一度500Eや後期型E500に乗ってしまうと、メルセデス欲しい病は大分治まるという話もあって、それも理解できないこともなかった。
325馬力で0−100が6.1.それより速い車はいくらでもあるが、4人が確実に乗れて内装もそれだけのものに仕上げようとする、ある種民族的な完全主義には向き不向きもある。
T-34に影響を受けて出来たパンターではなく、どちらかというとタイガーみたいなものかと思ったりもしていた。
それをもっと過剰にしたAMGの6.0もあった。確か60台輸入されているという。AMGジャパン立ち上げに関わった彼が、当時のカタログを見せながら言っていた。

車なんてのは男の玩具か見栄の道具である。
昨今は女性にも当てはまるだろうか。
ヒールを脱ぎ、靴を履き替えた妙齢がいて、あやうく惚れそうになったことが30代の頃にあったが、賢明にも思いとどまった。
タイト・スカートだったからだったかも知れない。
彼女はルノーの速い奴に乗っていた。

C2のループコイルのないところで何キロ出たとか、首都高速池袋線、ホテル「ルミネン」のあるコーナーをどれだけで曲がったとか、何の得にもならない。
が、そういうことに一定部分で血道をあげる時間というものもあって、つまりは無駄である。
先のそれは「ルミネン・カーブ」と北の方に生息している奴等は呼ぶ。
西へゆくと「ホテルニュー京浜」前は直線なのでそういうことにはならない。

昨今、腕時計がそうした世界に入ってきている。
例えば酒場で何を頼んだかということも似たようなもので、隣に妙齢がいればと夢想させるのは雑誌作りの定番でもあった。社会復帰は酒場から始まる。

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posted by 黒崎 at 09:15 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

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