2006年05月22日

ジフロ 5

黒崎@ジフロ 5

緻密だがどこか荒唐無稽。あるいは行き当りばったり。
これがオウム真理教信者、または周辺者の特徴のひとつであると言われる。
松本サリン事件の際に、眼くらましのためにレーザ光線銃を使ってみたり。
それがほとんど効果がないことが判明して、急遽別の方法を泥縄で考えてみたり。
地下鉄サリン事件でも、サリンの入ったビニール袋を新聞紙でくるむ訳だが、敵対していた創価学会のしわざに見せかけようと、当初は「聖教新聞」を選ぶ。
が、それでは出来すぎていると反省し、そのため「赤旗」を使うことになったのだと。
これは林被告と新実被告とが相談した上でのことであった。

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http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_1538.html#more
翻って本件である。
緻密な弁明のようにみえて、なんだかどこか現実味がない。
まず、BB氏に詰め寄られたからといって、最終仕様書のPDFを掲載する必要が本当にあったのか。しかも、一番肝心な部分を削除してである。
BB氏には、その趣旨の引用か、あるいは似たような構造のもの(模写)を掲載していただきたいものである。これで次の手ができました。

>1ページ割愛されたのは予算書の部分で、umeさんとあなたの人件費や工数が書かれたスケジュールも記載されています(BB氏サイトより)

ume氏が単なる「手伝いである」と泉氏は明言していた。
http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_21df.html#comments
>umeさんは私のお手伝いであって、報道機関の中で働く予定はありませんでした。
投稿 泉 あい | 2006/05/19 14:42:43

それが今ではこうである。
>報道機関の企画では、私が出す漠然とした企画をシステムで実現できるように提案されることと、いただいたアドバイスをヒントにシステム的に実現できるコンテンツを検討して、草案書や企画書に盛込む作業を私と一緒にしていただきました。
投稿日 2006年5月21日 (日)

人件費と工数が書かれているということは、単純に「手伝い」であるとは言いにくい。
ume氏は有償で働くつもりでいた。ギャラを貰ってである。有償ということは仕事であって普通の日本語ではこれを「手伝い」とはなかなか呼ばない。
設立後の報道機関の中で働く予定はなくとも、立ち上げの時に労働をする予定であったことは客観的な事実だろう。
ume氏が、自らが主張するように指紋認証のあるような大手企業に勤めていたと仮定するならば、その社ではこうした社外業務に対しての規則はないものだろうか。
一般的には禁止されているものである。

また、面白い記述もある。
>*『Grip 報道メディア設立 企画書(公開用).pdf』の著作権は泉あいに帰属します。著作権者の許可を得ずに無断で複製・複写・転載・再配信等の行為は禁止します。

ここに(公開用)と書いてあることに注意。
するとBB氏の手元にあるものは公開用ではないのだから、含まれないことにはならないか(笑)
これは、黒崎が以下で公開していることに対しての対抗措置だとは思われる。
http://kurosaki-yowa.seesaa.net/article/17921014.html
しかし、今の場合自らのサイトで前述ファイルを公開しているのだから、この但書きは意味をなしていない。黒崎も前記ファイルを掲載する必要を感じない。各々のハードディスクに落とし、現行著作権法上許される適切な引用を行えばいいだけのことである。
それ以前に泉氏がするべきは、黒崎の前記ふたつのファイルの公開に対し、著作権法違反ということで抗議することではなかろうか。
最も巨大掲示板では工作員が懸命にそれを主張していたが、「オープンソース・ジャーナリズム」と泉氏自らがインタビューの手法などで明言している以上、説得力は乏しかった。

黒崎はもちろん確信犯である。法令を遵守する期待可能性がない。

黒崎の個人情報を教えろと始めは恫喝し、その後何度も話し合って富士通提供のインタビュー番組を制作・公開しているのだから、彼ら(参加者)は計画的であった。
訴訟をするためではなく表に引きずり出すことが目的であると、工作員がその本音を巨大掲示板に書いている。
http://kurosaki-yowa.seesaa.net/article/17700135.html
こういうものは非常に悪質で、なるほど黒崎は電車のホーム、その端を歩けなくなる。
車であっても同じこと。それは家族にも及ぶ。
その被害の実態は既にまとめてある。いつでも関係各機関・方面に提出できる。

#期待可能性論
というのがオウムの裁判では弁護側から主張されていた。これはまた後で書く。
それにしても、40キロ制限のところを80で走っていて、車線変更禁止の黄色い表示だけは守ろうとする心の動きというのは面白いなと思っている。
40キロオーバーは既にしているのだが。
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それにしても。
この何処か現実感のない対応と弁明はどうにかならないものだろうか。
懸命に否定すればするほど、そこに核心があるのだと読者(世間)は考える。
時事通信編集委員の弁明と総括も、よくできた安い感動の物語だという印象があったが、それとも似た不思議な後味である。

滝本弁護士とのインタビューの後、掌を返したかのように政治家へのインタビューを試みようとする。舞台を変え。しかも、始めが新党大地の鈴木宗男議員である。
鈴木議員は堀江被告逮捕の後、ライブドアPJニュースなどでも顔を出していた。捜してみてください。
すぐに政治家に接触しようとすることは、様々な意図があるのではないかと疑われるものだが、どうもそれが理解できない。
そして、例えば滝本弁護士の顔もある面では潰していることにも気が付かない。
この場合「自己責任」という言葉が全て自分にかえってきてしまっている。
先生は坂本弁護士(オウムによって家族もろとも殺害された)と同じ38期か39期だったと記憶しているが、大人だから口に出さないだけかもしれないと、私などは推察している。

関わるひとたちをどこかで利用しながら、弁明の物語を構築する。
弁明の中心にいるのは誰なのだろう。
が、その構造が透けて見えることも事実で、思った程の効果はないのである。
当事者であるBB氏が口を開き、耐震偽装関係で公開質問を行った鮫島氏が動き出す。
新しいサイトのコメント欄には、予め予定された方々のみがコメントを書く。
本来のサイトでは、黒崎が書かずとも既にして本質的な質問や意見が並ぶばかりである。あそこではコメントをちょこちょこ削除していると、このブログの「お手伝い」をしてもらっている甘木君が電子的に言っていた。

#ジフロ 了
posted by 黒崎 at 08:17 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

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