2006年05月12日

わたしだけ

黒崎@わたしだけ


「実を言うと私は、松永氏がオウムから脱会しようがしまいがどうでもいいと思っている」と、前のエントリーに書いた。
生活ができないとか自暴自棄とか様々に言われているが、例えば今日の日本は一日に200人からの人間が自殺を図っているという。
そのことを頭に置くと、またその意味は違ってもくる。

松永氏の脱会はあくまで氏の人生の選択、個別的な問題である。
脱会をなしたからといって、そのことだけで彼のしてきたことが減罪される訳でもない。現役オウム信者の時に、民主党や自民党のブロガー懇親会に参加したこと。
その中心点に泉あい氏がいて、泉氏のオウムに対するスタンスを黒崎が問うたこと。
その過程でume氏なる人物が黒崎を訴訟すると脅してきたこと。
そしてそれは今も続いていること。

時事通信社の編集委員湯川氏は、ume氏と何度も話し合った末、例のインタビューを掲載している。オウムと疑われていて職場を退職したというume氏の主張に対し、湯川氏は名誉毀損としてコメンター、つまりは黒崎を訴えるべきであると盛んに主張した。
しかし、湯川氏はそのコメント欄自体を読んでもいなかったのである。
そのインタビューはスポンサーである富士通に削除され、湯川氏の弁明と総括はその前提からして虚偽のものであったことが明らかになった。
編集権は残ったものの、スポンサーロゴは外れ、ネットにおける信用は地に落ちていると言って過言ではない。参加型ジャーナリズムを語る本のタイトルが「ネットにやられてたまるか」などと編集者に推されているに至っては、半ば無残さを記録するための本であるかと皮肉を言われても致し方ない段階に入ってしまっている。

中心にいたのは泉あい氏である
彼女に関わった男達は皆、相当に惨い目にあってしまった。
前回のインタビューで中心的な役割を果たしたジャーナリストの佐々木氏、元業界誌記者で現在は教育関係の企業に勤めるアルファブロガーのR30氏などは、湯川氏の周辺で廻る広義の同業者であるが、今回の滝本弁護士のインタビューでは滝本氏に痛烈に批判されてしまっている。
それはある意味では当然のことだが、泉氏は彼らに対しての弁明をすることはなかった。ひとりでは松永氏のインタビューなどできる能力もなかったのだと何故言わないのだろう。

ネットの浮遊層は、泉氏のオウムに関する認識が深くなる紆余曲折をジャーナリズムと呼んでいる。
教え諭すように滝本弁護士は泉氏に講義をしていたが、なに、前のインタビューでもR30氏の言葉に深くうなづいていたのは泉氏であった。
オウム信者の特徴のひとつが「幼稚さ」であると滝本氏は看過していた。
それを追う自称ジャーナリストもまた幼稚である。

そのことを自覚しているのか、眼を見開き曖昧に言葉を濁す。そうしたニュアンスは、例のインタビューで、湯川氏が語りかける口調などにも現れていた。
性差別ではないのだが、これが39歳の男であったらこうしたやり方は社会的にも文化的にも許されないだろう。
この場合、泉氏は女性であることで客観的には大変得をしているようにみえる。そしてその姿勢は、バブル期に大量生産された民放の女子アナ、その地方版というか新小岩辺りでの劣化コピーを見ているかのようでもある。

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泉氏は以下のように言っている。

>滝本 :その前に泉さんはオウムなんて全然想像もしなかったんでしょう?

>泉  :そうです。だから当初は公私混同していた部分があったと思うんです。だけど、世間からの批判を見ていく中で、オウムの問題は今もこんなに大きな問題なんだと実感して、もっと見方を変えなくてはいけないんじゃないかと、たった数ヶ月の間に考えが変わっていくわけなんですが、そういうことを松永さんは11年間経った今でも整理できていないというのは、やはり自分にとってのプライドやなんかなのでしょうか。

滝本氏のこの質問は隙をみせたのか、リップサービスなのか(笑)
世間からの批判。たった数ヶ月の間に考えが変わる。
それにひきかえ松永氏は‥‥プライドが高いからなのか(おいおいそれはないでしょう)。
この辺りの論理のすり替えというか「わたしだけ」がベースになっている弁明の仕方を読者は記憶に留めておいていただきたい。

私がここで言っておきたいのは、泉氏のオウムへの見解、そのスタンスを始めに問うたのは黒崎であるという事実である。
なんだったら発言、再掲しましょう。


posted by 黒崎 at 08:35 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

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