2006年05月12日

どうでもいい

黒崎@どうでもいい

http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_b52b.html
滝本弁護士のインタビューを興味深く読んだ。
結論から先に言うと、これは泉氏もしくはその周辺が考案した、巧妙に仕組まれた弁明の物語であるという印象が強かった。

泉氏のブログでのカテゴリーはこうなっている。
「現・元オウム信者と社会の関わり」
始めからこのテーマ・命題で書いている訳で、必然的に社会復帰などが重要な課題となってゆく。つまりテーマの立て方・命題の中に一定部分の結論が含まれているのである。
信教の自由、あるいは我が内なるオウムといった論の後に、松永氏のオウムからの脱会、その定義と難しさなどがテーマになってゆく。そして社会復帰と。

それはそれで構わないのであるが、原点に戻る。
実を言うと私は、松永氏がオウムから脱会しようがしまいがどうでもいいと思っている。滝本氏は「麻原を観想しないことがオウムからの脱会である」と定義されているが、これに対しても微妙な疑義が残る。だが、それについては今は触れないでおく。
松永氏がライターとしてはもう終わりだという声もあるが、それは個人的な事情であって誰のせいでもないだろう。仕事は他にもある。
才能を惜しむ声もあるが、松永氏はオウムの中では明らかに特権的なエリート層であって、問題は更に底辺や周辺にいる信者ではないのかという気もする。
オウムというのは極端な階層社会だった。学歴やその容姿。支配と被支配の関係の凝縮された集団でもあった。グルのしもべ達。
松永氏のオウムからの離脱、そのいきつもどりつを、ひとつのモデルケースとして論じることはある意味で危険だと思う。
これについてはゆっくりと書いてゆく。

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一方滝本氏は、オウム信者は通院歴があったりすると比較的簡単に生活保護を受けることができると言われていた。その制度を悪用して分派が形成されていたりもするという。

ここで私は「ワーキング・プア」という言葉を思い出した。
これは簡単に言えば、働いてはいるものの生活保護基準以下の生活水準にある世帯を指す。ある学者の指摘によれば、東京・横浜など大都市周辺であると、一世帯年収500万円がひとつの基準とされるという。子供が9歳と4歳。
夫婦揃って500万の収入から、公租公課その他の経費を差し引くと、大体生活保護基準の生活扶助、教育扶助、住宅扶助などとほぼ同程度の額になるのだという。
様々な試算はあるものの、平均して全世帯の1〜2割の家庭が、このワーキング・プアに該当しているのではないかという指摘もあるという。
実感としてそれはあるのかもしれない。
具体的に就業構造基本調査でみると、15〜34歳の男性の収入は正規、非正規をとりまぜて250万未満が28.1%。200万以下が14.8%(2002年)。
2級地の1の単身者の勤労者額面換算の生活保護基準は210〜220万。
すると15〜34歳の男性のほぼ2割ほどがワーキング・プアであることになる。

働いても生活保護以下の暮らししかできない。ということになれば、これは資本主義社会のモラルハザードをもたらす。それに対しては、生活保護の水準を引き下げるという方向で見かけ上の解消を図ろうという動きが次第に強くなってきている。格差は下部に向けて広がっている訳である。

ある層に関して言えば、働かない方が暮らしやすい。
例えばそこにオウムからの離脱者が入り込み、ネットなどで活動をくりひろげたらどういうことになるのか。
滝本氏の指摘は、そんな想像を広げさせてくれた。

posted by 黒崎 at 06:30 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

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