黒崎@余話の手前
江川紹子さんの「『オウム真理教』追跡2200日」(文藝春秋社刊)をぱらぱらと捲る。
一気に読み通せるかというとなかなか密度があって、寝そべりながらでは厳しい。1995年に初版であるから、もう12年も前になる。
この頃の江川さんはバリバリと言いますか、身体張ってるというか、バトルモード全開である。
ホスゲン撒かれたりもしましたし。
二日酔いの時に傍で原稿書かれたら、疲れるかなあ、とか思いながら読んでいた。
それくらい、当時の江川さんの筆には気合が入っている。
さておき。
中に95年5月と7月に記載された一文がある。
サブタイトルに「信者へ」「再び信者へ」という題がついた原稿である。
中からいくつかを抜粋してみる。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
○志はオウムの中で本当に生かされたか
○オウムの密告システム
○オウム信者はまじめで純粋
○現実を見つめ直して欲しい(「95年5月」)
○殺された庶民たちの無念を思ったことがあるのか
「つまり、その人が今までの人生でいろんな幸福を感じてきたわけだけれども、尊師から与えられた幸福が、その一切を上回る大きさだった。
これは事実だと。内的な世界だから、現世的な価値観、つまり一般社会からの非難というものを、普通の人よりも強く受け止めないというところもあると思います」(492頁)
「オウムの元信者に会っていても、時々気になる発言をする人がいる。
いろいろと問題はあると思うし、自分には納得できないところがあって辞めましたけど、私はオウムで酷い目にあったわけでもないし、オウムに別に恨みもない。
私はサリンを作ったわけじゃないし、まいたわけでもない」(494頁)
○自分の位置を見つめ直して欲しい
「
今のあなた方にとって、一番必要な修行は、現世に戻って、普通の生活をしてみることかもしれない。現実の社会には、オウムに対する憎悪、好奇の目が満ちている。その中には、誤った情報に基づく偏見も含まれているだろう。しかし、オウム自身が行った行為が、今のあなた方への視線を作ってしまったことも事実だ。
そういう社会の中で、あなた方が本来目指したはずの、自分自身の向上と社会をよりよく変えてゆく行動を、どれだけ貫くことができるのか。それが試されるだろう。
と同時に、社会がなぜオウムに対して厳しい対応をとるのか、身をもって理解することができるだろう。これまでのあなた方や教団の考え方や行動のどこに、どんな問題があったのか、自分自身で検証するきっかけになるだろう」
(前掲:95年7月:498頁)
――――――――――――――――――――――――――――――――
抜粋なので、分かりにくいのは承知であるが、取り分け後段である。
本件について示唆に富む一文だと思っている。