リアルな世界では、隣に不思議な男がいれば脇へよける。
「不思議」の基準はひとそれぞれであるが、大通りでテストの点数を口にしたり、自己啓発本の翻訳が自分の実績になると思っているような傾向も含まれるだろうか。
自分史を執拗に編集することも、自称ジャーナリストからインタビューを受けることも根は一緒である。
世間はある種の娯楽としてそれを眺めたり遊んだりしているだけで、共に酒を嘗めようという気にはならない。
面白いのは、それをほぼ実名で為していることで、ある種向こう岸に渡った人たちにとっては抑止力にならないことを示唆している。
妙齢が電車の中でアエラを読む。
その傍らでSPAを眺める男たち。
ネクタイ500円であっても颯爽とすることは可能だし、そんなものは女から貰えばいいのだが、なかなかそうもゆかないのが現実だろう。
女にモテルには、なんてことを決してモテそうもない方が書いていたりするのだからブログの世界はフラットだと思える。
この構造は、借り物の車の横でポーズを取りながら文化を語る車雑誌の編集者とも似ていて、一夜明ければ寂しいものなのだが、それは言わない約束になっていた。
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ひとつのモデルケースとして眺めているところがある。
こうすればこうなる、というサンプルである。
彼らがどうなろうと、こちらの人生には影響がないのであって、その意味では全くの他人事であった。
ネットで踊り続けることは、そう簡単なものでもないんだな。