2006年10月30日

ニート40のブルース

黒崎@ニート40のブルース


#どうしてこうなったんだと、枕を濡らす夜もある。

これはなかなかの名文句である。

なーんで なんで なんでー
どーして どーして どーして
僕の恋人 東京へいっちっち

という歌が高度成長真っ盛りにあったが、私は今、ピーナッツの歌を聴きながらそのCDを捜しているのだった。

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posted by 黒崎 at 23:31 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

捨てる

黒崎@捨てる


ひとつエントリーを書くと、その断片を引用して巨大掲示板に煽りが現れる。そこで自演しているという触れ込みである。
彼らが何処を引用し、そしてしないのかを眺めてゆくと、ナルホド琴線に触れたのがどのあたりだったのかが分かる仕組みになっている。
ブログの世界では、数日後にちがう形で顕れる場合もある。

黒崎が掲示板に書き込みをする必然性は乏しい。
やろうと思えばできるのだがしないことを、一般に美学という。
Wikipediaの編集は誰がしてもいいが、そこに本人もしくは極めて近い人間が参加することはやはり恥ずかしいことである。
民主主義と衆愚とまで言っていてそれはないだろう、と一般には呆れても良いものと思える。
自分のサイトに自分史を書けばいいだけのことだった。

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であるから、どうも最後のところでいわゆるプロ意識というものが希薄なのではないかという気がしてならない。
自らの個性を殺すこと。場合によってはより便利な道具(この場合には筆名)を使うこと。客観的に死んだブランドは捨てること。
そうした発想に至らないのは、ネット上での自己同一性に必要以上に拘っているからでもあるのか。
これを自尊心と呼ぶひともいるが、職人とは本来無名のものである。
posted by 黒崎 at 23:12 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

底の個性

黒崎@底の個性


http://www.aleph.to/saint/100/index.html
あるときここを暫く眺めていると、薄っすらと見えてくるものもある。
ライティングに注目していただきたい。
一方でこれが、別のかたちを採った場合、あるいはその原型の個性というものが、あれやこれや水増しされて繰り返されているのだと思うこともある。


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posted by 黒崎 at 21:05 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

ヤメ記者は語る

黒崎@ヤメ記者は語る


http://d.hatena.ne.jp/gatonews/20061015/1160931317

ガ島通信氏が久しぶりにガ島節をかなでている。
読者は注意深く読んでいただきたい。
結構な煽りと申しますか揶揄が連なっていて見物ではある。

一見味方のフリをして巧妙に足をひっぱる。
彼はかつて、自民党がこの選挙で圧勝したのは利益団体である労働組合が崩壊したからだと、いかにもNTTの関連に転職した人間が会社から誉められそうなことを書いていた。某議員にも擦り寄る。

旨く立ち回ったツモリなのだが、まあ手の内バレてますから、緩やかにそうもゆかない。
それよりも私は、この世代、いわゆる仁義というものが皆無なのだなという印象を持つ。指折り数えて、いやそれはブログブームに乗った彼等だけだったかも知れないのだが。


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posted by 黒崎 at 20:57 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

半月

黒崎@半月


つまりは野暮なんだな、ということであろうか。
粋と野暮のあいだ、というのは判別し難く、野暮を恐れていてそれにはならないが、かといって岩波に線を引いたから理解できるものでもない。

ここで具体例を挙げるのは酷だろうが、例えばWikipediaの芸名を本人自らが執拗に編集する行為は明白に野暮である。
その癖、かつてのプロバガンダ的思考は今はないのだとノベても誰も信用はしない。
一緒に飯を喰った友人に代行させればいいかというと、それも人選で、本人は「はてな」のキーワードで延々と自画自賛をしていたりする。
こういった遊び、あるいは狭い世界でのぐるぐる巻きは、遠くから眺めていると非常に切ないものがあって、だいじょぶですか、と問いかけたいところもあるが、聞く耳を持たないブクマ450であるから致し方ないようだった。
我等のブクマヒーローは、肌もすべすべなのだと自分で書く。
こうなると、野暮というよりもまた違うニュアンスが滲んでくる。

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posted by 黒崎 at 18:46 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

ぬるい水

黒崎@ぬるい水


旅が続いたのですこし疲れた。
最低のことだけをして漠然としている。
先日は5分で放置車両のシールを貼られ、要は外界に対しての注意力が低下しているのだろうとおもわれた。
ま、人生とはこんなものである。

中国本土の国が出来た祭というのがあって、そのコースを食べる。
時にはそういうこともする。
数人でウィスキのボトルと同じくらいであるのだから、そう無駄であるとも言い難く、この辺りが歳を取った証であるのかも知れない。
とあるホテルでは別館のバーカウンターが禁煙になって、その癖シガーを売っているのだから面白い。

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いわゆるブログ界というものに、少し飽きてきていた。
巨大掲示板では相変わらず「黒鮫乙」と「大黒乙」であるが、黒崎も鮫島もこの名前で仕事をしている訳でもない。勿論この二人は別人である。
仕事あるいは商売でサイトもしくはブログを使うとするならば、それなりのデザインを施すだろう。名刺に携帯番号だけやフリーメールだけを書くことはしない。最低限度ドメインを取るものである。
そうした観点から眺めると、いわゆるブログ界の言論というのは複雑な構造になっていて、大まかに言えば既成の無料プラットフォームの上で遊んでいるに等しい。そこで争われるのは、ひとつのコップの中のゲームである。
自分の入っているコップが無意識にデフォルトとなるのだろう。

例えば切り込まれた級長の如く、一時はそこから滲み出して外界を語ることもあるだろうが、長い目で眺めると元の木阿弥と申しますか、半ズボンに戻ってゆく。悪いが今、新書にも色物はある。

一般論であるが、大体にして「知的」という単語には気をつけた方がよく、頼まれもしないのに学部から院へというような私語りをするコメンターが集まる。
そうした動機は、自らは知的だと思っているのにそれに相応しい処遇が実社会で得られていないところからくることも多く、文中に必要もないのに書籍からの引用を繰り返し張ることで知れたりする。
引用も構わないのだが、それが肉声になっていないところが困る。

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posted by 黒崎 at 18:00 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

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