黒崎@他者なき物語
「私にとってオウムとは何だったのか」(早川紀代秀 川村邦光著:ポプラ社刊)という本があるが、実はこの本には極めて巧妙なオウム擁護論が含まれていると批判されている。
宗教弾圧の歴史から始まり、戦前の日本人の心性にまで言及しながら、「オウムは我が隣人」というばかりではなく、私たち自身でもあると川村氏は明言していた(前掲:318頁)。
「夜話」の読者には、この理屈がネット上の何処かで聞いたことのあるものだとすぐに想起されることだろう。
一般にこのような問題に関して宗教学者が書いたものを読む場合、論文としての歴史的事実の列挙以外の記述には十分注意する必要がある。
何故なら、宗教学というものが仮にあったとして、それはその守備範囲から世界を眺めるからである。
分かりやすく言えば、例えばユングがその理論で世界の全てを語ろうとし、結果的にナチズムと同調していったという歴史的な事実を指摘すれば良いだろうか(#ユングはナチへの協力を戦後極力隠蔽しようとしていた)。
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前掲書、早川被告の書いた部分を読んでいると、奇妙な幻視感にとらわれる。
夢の中にいつまでも漂っているかのような、不思議な現実味のなさである。
逮捕後10年獄中にいるのだが、その故か、事件の個別的な部分では時折反省もするのだが、また何時もの思考に逆戻りしてしまう。
それは真理への追及であるとか、グルへ自らのエゴを預けた心性の解析であるなど様々であるが、一言で言うと決定的に他者がいないのである。
興味は自分の精神そのもの、その推移であって、最後までそれに拘ってゆく。
例えば林邦夫の「オウムと私」(文春文庫版)を読んでいても、何処か似たような感触は残った。前半部、生い立ちと学生時代、そして出家の辺りまでは実を言うと比較的に退屈である。懐かしい記憶をなぞっているかのようでもあった。
ようやく読み応えが出てくるのが、逮捕されてからの内省で、ここで始めて他者というものが林被告の意識の中に浮かび上がってくる。
それは担当刑事であったり検事だったりもするのだが、具体的な他者との接触によってようやく麻原を相対化する発端に辿りつく。
早川と林被告も、共に女装をして逃亡していたのだが、あ、オカマだと指さされたことや、全く意味のない指紋除去のための手術を回想する場面は、オウム特有の何処か失笑を誘うような行動様式、現実味のなさも漂っていた。
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翻って、松永氏の物語に戻る。
今の段階では生い立ちと学生時代、そして出家とその直後辺りまでが描かれている。
途中何度もノベルス作家にもう少しでなれたことを繰り返し、お世話になった方やその社のことを実名で記している。その方々に万が一の迷惑がかかるということは全く想定していなさそうであった。これには実は大きな意味がある。
私が感じたキーワードはいくつかあるが、例えば松永氏は祖父の姿を半ば精神的な支えにしていたような感触も残った。
それは、我が国近代化の過程の中で、いわゆる史的唯物論が果たしてきた役割と存在のあり方を問い直す契機に繋がるのかも知れない。
歪んだ系譜としてのオウム。やや難しく言うと「逆行したモダニズム」である。
これは吉本隆明などが一時、社会変革の思想としてオウムを美化していたことなどを想起させる。
それらはさておく。
今の松永氏の現状では、この続きを書くことはかなり困難だろうと思われる。理由はいくつもあるが、まず書くためのモチベーションが何であるのかを想定しなければなるまい。
しかし松永氏はこう書いている。
「退会後、信者にはいくつか方向性があるけれど、教団を批判することで社会に認めてもらおうと必死になるのはちょっと自分には合わないと思ってます。悪口をいうことが免罪符ってのはどうも気持ちが悪い」9月12日追記分
http://aum-aleph.g.hatena.ne.jp/matsunaga/20060318いかにもの言い方である。
残念ながら今の段階ではこの程度の認識しか持てないのだな、という気分も個人的には残った。
ことさら批判のための批判をする必要はない。そんなものは為にするものだと分かるものである。
だが、自らが信じていた教義を社会の中で相対化し、麻原を再評価することは、必然的に教団の教義や活動への批判的な視線を含むものであることはほとんど自明だろう。単純に何々派への批判には留まらない。
そしてそれは、自らの再構築の過程でもある。