2006年09月30日

トホー

黒崎@トホー


あらちがうわよ。
わたしのところではこうよ、という声があった。

やめてよして触らないで 垢がつくから
あんたなんかキライよ 顔も見たくない
フン

思いっきり鼻を上に向けるのだという。
前からじゃなくてカ。
垢がつくって、また具体的な。
いずれにしても、トホーに暮れる秋なのであった。

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手品師の自滅

黒崎@手品師の自滅


「完全敗北」と書かれた手品師は、負けるものかと再挑戦した。
でも、手口が読まれていることに気づかなかった。
ぼくは作文が得意なのに。もうちょっとで作家だったのに。
電子的なガリ版の作り方だって旨いんだ。
缶ジュース一本で借りられるサーバーだけど。


やめてよして触らないで ビビデバビデブ
あんたなんかキライよ 顔も見たくない
フン

リズミカルに歌いながら女の子達が坂道を下ってゆく。
そこまで言わなくたっていいじゃないか。
ないてやる。

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posted by 黒崎 at 14:59 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

オウム真理教大辞典・河上イチロー

黒崎@オウム真理教大辞典・河上イチロー


河上イチロー【かわかみいちろー】

いわゆる「ネット有名人」のひとり。左翼的な言動で中立を装い、オウム擁護の言動を行い、それのみならず、幅広い教養で、皇室ネタ、エシュロン等、様々な分野のホームページを作成し、一部のネットワーカーで話題に。
アングラ系ネットを紹介する出版物にしばしば登場し、自著を出すほどの勢いだった。
しかし、正体が「オウム真理教のサマナ」であることが「週刊新潮」の記事で発覚して、瞬く間に「過去の人」に。

上祐体制の下、住民運動の窓口になり、現在は、上祐本を出版するアーレフ直営企業「東山出版」の社長。本名・○○○(註:伏字にしておきます)。京都大学文学部中退。1992年5月出家。
「日刊スポーツ」が「なあぶる」という出版社がオウム真理教の経営であることをスクープしたところ、河上イチローが「あの出版社は脱会者による出版社だ」と猛反発。
後に分かったのだが、何てことはない、河上がその出版社の社員だっただけの話。

(「オウム真理教大辞典」2003年10月31日第一判第一刷 38頁:発行:東京キララ社:発売:三一書房)

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2006年09月29日

(笑)

黒崎@(笑)


http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9D%BE%E6%B0%B8%E8%8B%B1%E6%98%8E&diff=7957366&oldid=7854336


がんばれ自分史クン。


#できたら横に、オウム関連年表があるとヨロシ。
追記
posted by 黒崎 at 19:06 | TrackBack(1) | 夜話 | 更新情報をチェックする

ワンルームの賢者

黒崎@ワンルームの賢者


何故だか分からないが風邪を引いている。
であるから、こうしたことはとてもクーダラナイことのように思えるのだが書いておく。
http://d.hatena.ne.jp/matsunaga/20060928
>Wikpedeiaの限界
Web2.0の例としてあげられるWikipediaであるが、多数の人が一定のルールのもとで編集に加わることによって見えるモノは、決して「真実」ではない。それは「現在認識されている情報の集積」にすぎない。「議論」は真実を発見するのに重要な役割を果たす過程であるが、「真実」にとっては必要条件でもなければ十分条件でもない。「議論」は「解釈」を深めるものである。ガリレオの時代にwikipediaがあったらどのような記述になるかを想像してみればいい。

>要するに
民主主義は至上の理想ではない。大衆がすべて賢者にレベルアップしない限り、民主主義・多数決は衆愚である。
とか書くと、俺を「大衆蔑視者」「選民思想」呼ばわりする大衆至上主義者が来るんだよな。

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限界があると承知しているところに、2回も書き込んでいたのは誰だったろう。
巨大掲示板などでの一連の経緯、そしてこちらは親しい友人である。
http://d.hatena.ne.jp/requiem7/20060924
そのような退屈な操作・工作が繰り返され、これ以上は誰が見ても本人に有利に進まないと判断される頃合、上記のような理屈が出てくる。
つまり「Wikpedeiaにおける完全敗北」が前提にある。

オウムはかつて、選挙戦を戦った。
惨敗し、その後急速に陰謀論へと傾いていった。サリン事件などはそうした一連の流れの中から出ていることである。

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簡単に言えば、子供である。
ガリレオの時代にWikpedeiaがあったら、と仮定するなら、その時代にブログがあったら、または異教を唱えてみたらどうなったかも想像してみたまえ。
まずは生命の危険があるはずである。

賢者へのレベルアップ(自分が賢者だと設定している)。
そのためのツールとしてのブログ。
後半のブログ論は半ば修行と置き換えることもできる。
思考パターンはあまり変わっていないようでもあった。
ムー。

しかしまあ、丁度いいタイミングでこういう分かりやすいことを書いてくれるから面白いと申しますか、以下略にしておきましょう。
posted by 黒崎 at 08:41 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

2006年09月28日

風に葬え

黒崎@風に葬え


小嵐九八郎氏に同名の作品がある。
氏は馬場方面で先鋭的な活動家だった。初期の頃である。そのことは何度も作品の中に書かれている。
「風に葬え」という本は、確か「テロリストのパラソル」が直樹賞を取った辺りに書かれたものだが、作品の質という観点からはテロパラよりも遥かに上だと個人的には考えている。氏は何度も候補に挙がっていた。

中年の主人公が組織に追われる。
裏切りやシンパ達とのやりとり。ラストでは主人公の全身に鉄パイプやバールが打ち下ろされる。
ハードボイルドの体裁を取っているが、読後に苦い、そしてある種の祈りにも似た浄化を覚える作品だった。鎮魂歌と言ってもいい。
小嵐氏は歌人でもあり、その底には歌うこころがあるからだろうと私は思っている。


地下に潜る時期というのが誰にもあるのだという。
当時の大卒は今とはまた違い、かなりのエリートではあったのだが、真面目に活動をしていると、例えば数回の逮捕歴などがあると、まともなところには勤めることができない。
まともとは何か、という問いもあるが、それもさておく。
終身雇用が大前提になっていた時代である。島耕作などがひとつの美化された典型だろうか。対極として。
彼らは夜警をしたり深夜数交替での工場に勤めたり、あるいは小さな業界紙の編集などに流れたりもしていった。あまり語られることはないが、その中で作家修行をしていた方々もいて、そのオトシマエを作品の中でつけてゆこうとする。
北方氏などもそうだった訳だが、手法を身につけるまで長い潜伏期間を費やした。
その間のシノギもである。

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ここから何かを導きたい訳ではない。
女との交情。生まれてくる愛情に似たもの。
そんなものは信じられるかと否定しながら、自分を救うのは案外に単純なものだったりもする。

posted by 黒崎 at 08:04 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

カルマ権力闘争

黒崎@カルマ権力闘争


まず今の情勢のおさらいをざっと。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/aum/

本人の切なる希望はともかく、例の物語には文学的な密度というものは乏しかった。
それは自らと社会を対象化する視線を育んでこなかった帰結である。
これについては後でも述べるが、例えば本人以外の登場人物で、いわゆる「顔」のある人間、具体的に声や匂いを文章から想起できるような記述はひとつもなかった。
その時の風景や季節も、具体的に浮かび上がってはこないのである。
これは読み物としては致命的な欠点で、沢山の本を読んだからといってそれはまた別のお話であろう。


では資料としての価値はどうか。
というと、それも一部の方が考えるほど期待できないものだと今の段階で私は推測している。
それは、Wikipediaで本人が書き換えた部分、その意味を探っていけば容易に理解できる。9月12日と22日、2回の修正を行っているが、22日は以下。

http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9D%BE%E6%B0%B8%E8%8B%B1%E6%98%8E&diff=prev&oldid=7821039

兵隊としては下っ端だったのだと言いたくて仕方がない。大したことはやっていなかったのだと。
戦後、ドイツや日本で行われた軍事裁判の被告の姿にも似ているのだが、そういう連想を浮かべることは無礼だとはいえまい。

一般にこういった種類の手記の場合、内面やその言い訳はともかくとして、特殊な立場にあった人間が赤裸々にその知りえることを書くところに世間の期待は集まる。
それが資料性ということなのだが、勿論リスクもあって、知りえたことを全て書けば巨大掲示板で知人か友人が図らずも自白してしまっているように、もうひとつの分派から追われることもありうる。
かといって、肝心なことを書かなければ資料的な価値も少ない。
この矛盾にぶちあたるのは、目に見えていた。

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そもそも何故、ネットで公開しているのかということである。
誰に対してのものかということでもある。
初稿は極めて早い時期に書き始められていることにも注意。
泉氏とのインタビューをもう一度読み返すと、そこには分裂騒ぎの予兆が含まれてもいた(いちいち該当箇所を指摘しない)。

歴史を振り返ると、例えば山村工作隊など中国の影響下、武力闘争を標榜していた非合法時代の共産党や(いわゆる六全協前である)そのシンパがいくつもの分派を作り、それが新左翼の一部に流れたりしたことを想起すれば、今起きていることの一部は容易に想像できるのかも知れない。
近いところでは、新左翼、過激派が分裂派生していった過程である。
分派闘争というのは元が一緒なだけに愛憎半ばし、熾烈なものであった。
「中核VS革マル」という本を覚えている読者もおられるだろう。
その中の登場人物のひとり、とりわけネット上で宣伝・広報が得意だった人間だと俯瞰的に想定すれば、その立居地が理解しやすいだろうか。
となれば、自ずから中心的に書くべきことは決まってくる。

簡単に言えば、本人の主観や対外的な理由はともかくとして、組織内部でいわゆる権力闘争に敗れたのではないかという視点もありうるのである。内部情勢の変化から、居場所がなくなる。
これは厳密には主体的な離脱ではないことに注意しなければならない。


二重三重の意味で、物語の完成には時間がかかるだろう。
ネットでの反応を見ながら書き直す。
新しいサーバーを借り、そこでコンテンツの再構築を図る。
そのために時間を稼がねばならないのだが、ひとりの人間として考えた場合、その前にしなければならないことも勿論あるのだった。
posted by 黒崎 at 07:14 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

2006年09月27日

ゲッペルズの自転車

黒崎@ゲッペルズの自転車


夜半思い立ち、地下へ降りてゆく。
前に308のXJRが停めてあったところには、今はBMWの740か750がある。ひとつ前のものだ。
ひとつ空いてその隣には124の300SEのクーペがあって、こちらは洗車して二週間。
薄っすらと埃がついているが、地下にあるので雨の影響はない。
10数年は経っているのだろうが、しみじみ金のかかった車である。
タイアはミシュラン。PS(パイロットスポーツ)。グリルだけが600のものだった。

996カレラの横をすり抜けるようにしてドアを開け、E500のキーを廻す。
暗くてみえねえ。
この場合、アクセルは踏まない。
くぐもった音が暫く続いて、もう駄目かなと思った頃合、火が入る。
鉄のサンルーフを開けて煙草を半分吸う。
水温が60になった頃、ハンドルを切って地上へ昇ってゆく。
なんということもない標準のステアリングである。
シャッターが上がる間、シート・ベルトをつける。

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暫く流し、産業道路まで出てゆく。
途中、肉まんをひとつ食べた。アクエリアスが125円だったのでそちらにした。
金のあるときはヘルシアの水にするのが最近の常だが、節約である。
事情あって乗っているE500にはレーダーが付いていないので、ほとんど流れのままであった。ミラーが小さく、後ろはほとんど見えない。ブラインドがついているからだ。
ブラインドは本来であればモーターで下がるのだが、この場合、カタカタ言ってままならない。芝浦にあるディーラーのステッカーが黄ばんでいる。

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グロッサー・メルセデスというのがナチの高官達が乗っていた車だった。
ゆっくりと走ってもオーバーヒートしないよう、巨大なラジエターが付随している。
これに類するものは、60年代半ば、縦目600のプルマンである。
創刊して間もないCG(カーグラ)で、小林章太郎氏がついその平均速度を書いたことが若干の問題になり、以後、実速度は書かない慣わしになったという。
国産車の最高速が、かなりサバを読んで150とかだった時代である。
街には車高を落としたベレGが走り回っていた。例の、コーナーで急にオーバーステアになるサスのそれである。BMWはまだ02のシリーズを出していない。
そんなことを思い出しながら、音のしない金庫が滑るよう移動してゆく。
posted by 黒崎 at 21:27 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

ネタバレ地蔵

黒崎@ネタバレ地蔵


ま、ここ数日巨大掲示板の当該板は独演会であった。
こういうひとたちはこれからどうやって生きていくんだろうカ、と他人事ながら面白かった。ネットがあって良かったね。

例の掲示板というのはややアンダーグラウンドのところがあって、いずれ板は流れる。
それを見越して好きなことを書くのかも知れない。
自演乙。とか何人も黒崎や鮫やBB氏がいたりして、それもまた興味深いものだが、私はあそこには一回も書いたことがないのだった。
よほど憎たらしいんだろうなあ。
わかるんだけどね。


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posted by 黒崎 at 07:14 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

サティアン酒場

黒崎@サティアン酒場


暫くすると団塊酒場というものが確実に流行るのだという。
おお、君はブントか。羽田闘争の時、俺はあそこにいたんだ。
69年の平凡パンチが置いてある。吉本全集などもある。
背後にはオールナイトニッポンの第二部が流れている。
入ると好きな色のヘルメットを貸してくれる。
革マルと中核、そいでもって元祖赤軍。
こちらにおわすはノンセクト・ラジカル。
セクトごとにいいかげんに分かれたボックスで睨み合うのである。
やや離れたところに、後の精神世界の礎「遊」を黙々と読む一派がいた。
酒は始めの一杯だけが白である。
勿論白いギターも置いてある。
常連の間では「自分史」をまとめるのが流行り始めている。
閉店の音楽は「いちご白書をもういちど」であった。


時は過ぎ、一部マニアがサティアン酒場をつくる。
そこではホーリーネームで呼び合い、白装束を羽織ったりする。
座る順は、兵隊の位の通りである。この辺りは厳格であった。
脇には自作パソコンもあったりして、なるべく無表情に組み立てる。
地下鉄のゲームがインストールされていた。
模造のAK47をバラしたものも奥にはあるが、まっすぐには飛ばない。
若き日の修行を追体験できるコーナーもあってそちらも人気である。
記念撮影したりする。
壁に貼られているのは誰であろうか。流派によって違う。勿論アイドル萌え。
時折トイレあたりから異臭がすると、米軍の陰謀なのである。

サティアン酒場。
そこはかつて個人的真理と世直しを目指した者たちの憩いの場であった。
こちらはほとんど酒が売れない。代わりに当時と同じ定食がよく出る。
違う流派のところに入るとムゴーイ目にあう。
すぐに掲示板に一日中書かれたりする。
もちろん自分史を綴ることも流行っている。
表紙は萌えである。


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#当然フィクションであります。
posted by 黒崎 at 06:12 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

2006年09月24日

ニート40

黒崎@ニート40


愚連隊と呼ぶと何処かロマンチックである。
全ての権威に反発するんだという彼らは、それなりの仁義があって、勝手なことをやっては暫くして滅びていった。
私は阿佐田哲也さんの「麻雀放浪記」は掛け値のない名作だと思うのだが、一方本名で書かれていた色川名義のそれも大層なコクがあって好きである。
本職の女の所に遊びに行って、馴染み、朝方味噌汁にハムのぶつ切りを入れられて困惑する若き日の色川さんの姿は、自分のことのように困る。
私の場合ベーコンだったのだが、とりあえず細かく刻んであった。
乾燥した蜆も入っている。
精一杯のところだったのかも知れない。
私は全部飲んだ。

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いずれにしてもだ。
ネットだけで遊んでいる30代後半から40過ぎという男達が確実に存在している。
一定の学歴とそれに対する自負があるものだから始末に負えない。
中くらいの理論武装をしてくるのだが、では君、昨日何を食べた。この場合どうなっているのと極めて具体的な話をしてゆくととっちらかってゆく。
アイドルに萌えたりもしている。

これは構造的なもので、私の同期にも中途で入った会社の上司が自分よりも偏差値の低いガッコだったから言うことをきいてられるかと真顔で言っていた彼がいて、今も親元に住んでいるという。
彼と面識はないのだが、友人の会社に、お前儲かっているらしいから使ってくれよと訪ねてきたのだそうだ。何時だったか酒場のカウンターで、黒崎おまえならどうするよ、と聞かれて返答に困った。
タクシーが儲かるっていうから、別の都市で働くとか言っていたぜ。
ヤロー、運転できるのか。できるんだろうな。
えらく金のかかりそうな女が隣に来たので、話を打ち切る。
鮨食わせろとかいうから、仕方なく廻るそこに連れて行った。

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その後、話題になっている彼がどうしたかは知らない。
大体はそんなもんなんである。
大学入試の試験問題をそらんじていたり、あの時のサークルがどうしたとか言っている彼に限って、今どうしているかを口にしない。
突然電話がかかってきて、これからゆくとかいう。
あるいは電話もなしにオフィスや自宅の傍で待っていたりする。
彼らは決して用件を言わないのだ。
名刺はインクジェットで印刷したそれで、話している間中携帯のメールが受信されていたりもする。来週のアポの数を言う。忙しく席を立つ。

posted by 黒崎 at 07:45 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

校舎裏から

黒崎@校舎裏から


社会から闇の部分が消える。
それはそれ、退屈で詰まらない世界と人生である。
しかし、ネットがかつての一部草の根ネットや掲示板のまま推移する訳ではないのであって、電気やガスと同じく我々の生活に欠かせないインフラのひとつになっていることはまぎれもない事実だろう。
量が質の変化を促すという。そういった段階に入りつつある。

前のエントリーで書いた「かれら」の居場所は、確実に狭まってもきている。
当時企業にはコンプライアンス事業部などというものはなく、クレームに右往左往していた訳だが、今はそれ専門の担当者が一日中ネットで自社情報を収集もしている。
代理店などでは、それをまとめて報告せねばならない。
でなければ、例えば大手電気メーカーが、ほんの半日やそこらで当該記事を削除するというようなことは起こりえないのである。
それだけネットにおける言論や風評というものが、個人や組織の存在のあり方に影響しつつあるとも言えるだろうか。

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ここからは車マニアの話になる。興味のない方は飛ばしてください。
例えば80年代のAMGというのは、ドイツにおける裏社会そのものであった。
全てブラックアウトされた些か品のない外装とゴツゴツと突き上げる足回りは、茨城や博多の族車そのものである。
日本でもその筋のひとたちによく受けた。ワルそのもの。といった風情。直線番長。べらぼうに高い。
ところが92-3年頃だったか、C36というコンプリートマシンが出る。
C202のホワイトボディをメルセデス本社から取り寄せ、メルセデスの上級車種のブレーキ・足回りなどを組み込んだそれである。ベースは2.8リッター。それでも十分に速いのだが、それを3.6リッターNAで280馬力、約40キロのトルクに増大する。当時のポルシェ・カレラのATとほぼ等しい性能である。振り回してもバランスが取れていた。フルで4人乗れる。リミッターがあるから250.

ドイツ裏社会から進学校の不良へ。
当時BMWのM3などは極めてジェントルな仕上がりをしていたものだから、それと真っ向からぶつかる車だった。当然人気を博し、その後C43,55と連なってゆく。バランスは若干崩れてゆくもののそれはそれである。
それからE50やE55。
E55はジャガーのXJRと並んで、とてつもなく速い実用セダンと相成った。SOHCなのが退屈とも言えるのだが、あのボディで275は出る。XJRと違いそれほど壊れもしない。
AMGはメルセデスという保守本流の世界で、一定の位置を占めたのである。
メルセデスはいわば裏社会を内部に取り込むことによってブランディングを図ってもいた。底辺にAクラスを配置する。中身はビッツやホンダの方がいいんだけどね。

昨今、Gクラスにまで同じエンジンが積まれ、スーパー・チャージャーなどでドーピングが行われた。見た目の馬力ばかりを重視したせいか、かつての不良のイメージは随分薄まってもいる。
コンサバと不良のバランスが取れた界隈。
90年代から00年頃にかけてのAMGというのは、そんな魅力があるものだと私個人は感じている。
今、事情あって94年頃のE500に乗っているからそう感じるのかも知れない。

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ええと。
この辺りから昭和30年代始めの日活映画の話になってゆき、裕次郎と旭などについて膨大に書いたのだが、今回は割愛する。
市民社会と不良。
そして愚連隊が駆逐されてゆく過程。

posted by 黒崎 at 07:44 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

ドリームランド

黒崎@ドリームランド


極めて具体的なことを言えば、今綴られている「物語」は、文学的にはなかなか厳しいだろうと私は予想している。
奇特な編集者が読み、いずれは本になることも全くないとは言えないが、何故なら今は比較的簡単に本が出るからだが、それによって作者が物語作家として成り立つかというと極めて疑わしいものだと思っている。
では資料として読めるかというと、本人は離れた組織を悪く言うことは避けたいとも書いている。
半分は保身も含まれていると考えるのが普通である。


「夜話」のコメント欄「FIVE MINUTES MORE」の後半で、数人の方が例の物語に対しての評を書いていた。
http://kurosaki-yowa.seesaa.net/article/22825303.html#comment
ちょっと引用・再掲してみる。分かりやすくするために冒頭に印をつける。

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●松永氏の自伝。
あれは、私小説。
というと私小説をバカにするから、
ぶっちゃけ言うと、物語作家が余興で語る
青春エッセーに過ぎないですね。で、彼は物語作家じゃない。
ただのライター。でも、ブログ世界を読んでいる人には感銘を与えるんじゃないかな?

チンケなブログ世界w

Posted by 匿名希望 at 2006年09月21日 20:18

●「未だ幻想の森の中」って感じなんですよねえ。

ホーリーネームは正確に記述できるのに、西暦の10年ズレはBBさんの指摘後も何度も間違えてしまうある種の悲しさ。

出家信者達は本名ではなくホーリーネームで表記するのに、好意で原稿を読んでくれたノベルズ編集者の実名は出す、バランス感覚の無さ。

月も見えない夜に、ため息をつきながら読んでしまいましたよ。

ハー
Posted by 鮫島 at 2006年09月21日 22:53

●ま、生ぬるい世界の位相がちょっとばかり変わっただけでしょう。
自分の問題だと気づけばいいんだけど。

Posted by papersearcher at 2006年09月21日 23:32

●文中に「○○社ノベルス」という単語が何回でてくるか数えてみましょう。
いい迷惑だと思うんだが‥‥あの界隈も。

Posted by 黒崎 at 2006年09月22日 01:03

●ここ、空気が濃いのであまり近寄りたくはなかったんですが(汗)。
とりあえず、はじめまして。
松永氏の文章、あれはまだデータベースの段階ですよね。
とりあえずすべての事柄を書き出した後、出版社なりに持ち込んで、体裁(編集)を整えるおつもりではないでしょうか。

私はいわゆるオウム世代ですから、彼の思考回路が、とりたてて特筆すべきものにも思えないのです。
私がいちばん知りたい部分、私(たち)はなぜ俗世に残って、彼(ら)はなぜオウムに入ったのか、という違いが、あの文章ではわからない。
今のままでは、甘えと失恋が出家の原因であるかのように読めてしまう(笑)。
そのほか、けっこう大切なことが抜けている気もしますから、「この先は本を買って読んでください」ということになるのかな。

でも、あれだけの長文を書かれる体力には素直に感服します。その点だけは、こちらに集う皆さんとは一線を画しておきたいところです(笑)。

Posted by S@傍観者 at 2006年09月22日 03:22

●どうもです。なにやら結界があるとかいう声もあるようで(笑)
色々論点が出てきましたですね。何のために書いているのか。何故ネットに公開しているのか。DBなのか既にして作品の草稿なのか。オウム世代の特質とあれこれと。
ライターと作家の違い。あれが作品の原型と呼べるかどうか。
人生が四谷大塚と、人生がドリームランド。
サリン事件の林郁夫の「オウムと私」(文春文庫)を読んでからあれを読みますと、似ておるところもあり、また違うところもあるんです。密度は林氏の方がある。緊迫感というかですが。

Posted by 黒崎 at 2006年09月22日 07:28

●しかしいただけないのは、Wikipediaの修正とその後の操作ですね。まだこんなことをやっているのかと。あれは逆効果なのよ。氏は抗議した方がいいくらい(マジです)。
それからWeb2.0とECなどのシンポに参加して営業の下ごしらえをしておりますが、気持は分かるんだけど、今この時期にはそう簡単にはゆかないかも知れない。
社会復帰というのは、何もあの筆名でライターとして活動するということだけではないんです。自分がなりたくてもなれないもの、今は一旦は諦めねばならないものというのはあるんじゃないですかね。
本当に才能があれば、そして他人を感動させるに足る作品を書くことができれば、誰かが見ているし評価もする。文芸とか芸術の世界ってそういう公平なところがあるもんだと思いますが。

誰かが言っていた、ファンタジー小説を読んでいるような印象というのは同じ。現実感が極めて薄いです。

Posted by 黒崎 at 2006年09月22日 07:49

●ただこれがなにやらの「療法」であると仮に想定するならば、その視点からは一回目はあんなものだろうと。
現実(ネットの声も含む)にぶつかり、今までのようにはゆかず、さてそこからだと。
一般に新しいところにいこうとするときは、啼かず飛ばずの時期が何年かあるもんです。一旦後ろに下がることもあるでしょうね。
まだ40前なんだしさ。
と、たまには優しい黒崎w それで後で後悔もするんだが。

Posted by 黒崎 at 2006年09月22日 08:17

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posted by 黒崎 at 05:31 | TrackBack(1) | 夜話 | 更新情報をチェックする

アンダーグラウンド

黒崎@アンダーグラウンド


政党とのブロガー懇談会などというものは、ネットが社会的なインフラとして認知されてゆく過程での泡沫的イベントであった。
例えばNPO、NGOと名前が付けば、皆ちゃんとした組織や活動をしているものと錯覚していた時期があったことを想起されたい。
ブロガーという呼び方も、一年前にはそれに似た捉えられ方をしていた。

その後の顛末はご存知の通りである。
「参加型ジャーナリズム」から、すべからく「広報」に対象がシフトしている方がかなりの数見受けられる。
それが前記懇談会の本質を暗示している。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

ここからweb2.0なるものの虚妄について流れるのが筋かもしれないが、今はやめておく。前述、そうした懇談会にオウム信者それもかつて広報を担当していた立場の人間が参加していたという事実は、様々に論点を拡散させながら議論を今日までに至らせている。
過程で、何人もの人間がネット上で致命的とも言えるほどその信用を減じてしまった。
一々例は挙げない。
そしてその結末はそろそろ本人の言動に集約されそうになってもいるのだが、ここで前のエントリーに戻ってゆくことになる。

私は、今回のWikipediaの編集、操作は致命的な分岐点になるだろうと思っている。
巨大掲示板などでは、盛んに独演会が開かれ、当該の方の会社に乗り込むなどと息巻いてもいるのだが、工業地帯にあるそこには何人も警備員がいることをご存じない。
所轄は恐らく裏に栄町のあるところだろうか。
事情聴取で、記事の本人自らも参考人として呼ばれることは十分に考えられるのである。
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これから社会復帰をしようとする人間が、どうしてそういう危ない橋を渡るのだろう。
友人なり知人なりだとして、何故それを止めないのか。
見ず知らずだとしても、不快感の表明は簡単である。
それを放置することが自分にとってどういう意味をもたらすのかを想像できない。

まだ夢から醒め切っていない、という声もある。
本質が変わらないのだ、とする声もある。
どちらも正しいのだろうとは思うのだが、私には非常に馬鹿げた時間稼ぎにしか見えないでいた。
つまり、実質的には結論は出ているのである。
posted by 黒崎 at 05:26 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

ワンルームの手品師

黒崎@ワンルームの手品師


「二流の人」という本が坂口安吾にある。
「黒田如水」を描いたものだが、安吾特有の史観・人物像を敷衍した佳作であった。
今、捜してみようかと思ったのだが、面倒になって止めにした。

例えばこんな情報が寄せられる。
http://www.zakzak.co.jp/top/2006_09/t2006092201.html

あるいはこれである。
http://d.hatena.ne.jp/requiem7/20060922
http://d.hatena.ne.jp/sakichan/20060921/p1

これらはWikipediaの編集を巡っての争いである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%B0%B8%E8%8B%B1%E6%98%8E

また、2000年にはこんなインタビューも為されている。
http://www.makani.to/cult/news/2000/cy1030.html

―――――――――――――――――――――――――――――――――

自分で頭がいいと思っている人間は時に信じられないミスを犯すものだが、Wikipediaの編集については、ほとんど致命傷だと個人的には感じている。
本人が二度も関与し、そしてツレというか友人が悪質な工作を広げる。
自分ではないから関係がない。という言い方で騙されるのは婦女子だけで、行為は総合的に眺められる。
例えば、ナチのSSその他に属していたことを隠し、あるいはその時の階級がそれ程でもなかったのだと戦後執拗に隠遁工作する人たちがいたものだが、そんなことも思い出されていた。次元も程度も全く異なる話ではあるのだが。

大雑把に言って、こうした操作・工作をせざるを得ないというところが、いかにも子供っぽいのである。ゆっくりと結果を待てない。
掲示板やその他で騒いだり、時には訴訟をちらつかせたりして相手を威嚇する。
確かにそうしたことが有効だった時代もあった。

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世間の人間が不気味に思うのは、地下鉄サリン事件や坂本弁護士一家殺害事件など、実際にテロを行ってきた記憶が生々しいからである。
すぐに訴訟すると、例えば当時の青山弁護士や上祐氏が凄んだりしたからでもある。
ただ、今日その手口はある程度知られてしまっていた。

そして、背後に組織が全くないと知られた以上、単独で、あるいは数少ない友人・知人との連携プレーだけが頼みの綱になってしまう。それは主にネット上でのことだった。
一般に組織を離れたハグレ者が一番厄介だというのは、裏社会での常識のひとつだとされる。しかし、報復の現実的可能性が薄いと知られればそこまでである。
訴訟をするには一定の経費もかかる。その資力や時間。
それを持っていると見せなければ少なくとも圧力にはならない。
何を食べた、買ったなどと仔細に書いてゆくことで博打のタネ銭がないことが知れるのである。
(#読者はここで、PHSの非通知900分を思い出されるだろうか。ちなみに私のところには2回非公開のコメント欄への書き込みがあっただけでその後一切の連絡はない)。

一方、かつて関わったことのある組織の名前を暗示させたりしてゆけば、こんどは逆の力も働いてゆく。そちらかも追われる立場になるのである。


00年と06年とでどのように客観的な情勢が変わったのか。
オウムに関わることだけではない。
ネットそのものの体質や存在のあり方が微妙に変化している。
このことをもしかすると、忘れているのではないかと思うこともある。
時間がとまってしまったかのようだ。
posted by 黒崎 at 05:24 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

2006年09月23日

ミットモナイカラおよしなさい

黒崎@ミットモナイカラおよしなさい


もっとデッカイこと何故できぬー
という歌がクレイジー・キャッツにあって、ま、そういったことである。

Wikipediaの該当項目の修正につき、9月22日AM04:09に再びご本人がじたばたをされていた。
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9D%BE%E6%B0%B8%E8%8B%B1%E6%98%8E&action=history
「履歴」を参照
本人、出てくるなよなあ。
友人だかツレだか知らないが、編集した方への嫌がらせも同時に行われている。
水面下で何が起きているのか、大体どういった事情なのかというのはこちらを眺めると大筋で分かる。
http://d.hatena.ne.jp/Fukui_Toshiki/
http://alephblogger.blogspot.com/

特に上のものは重いのであるが、半分も字面を追ってゆくと、成程常習なのね、いわゆるネットの裏社会、そういったお歴々がいるのねということが伝わってくる。
どうりで八月の末あたりから、巨大掲示板の該当議論板も、ことさらお話しにならない流れであったことも推測できるのである。

彼は、彼等にとってある種「希望の星」であるのかも知れない。
かれら希望の星。

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「黒崎夜話」のコメント欄「FIVE MINUTES MORE」の後半で、数人の方が例の物語に対しての評を書いていた。
http://kurosaki-yowa.seesaa.net/article/22825303.html#comment
私もやや踏み込んだことを書いたのだが、伝わらないだろうなという予感もある。


#参考まで「カルマの果て」
http://kurosaki-yowa.seesaa.net/article/17872057.html
posted by 黒崎 at 12:29 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

2006年09月22日

金曜の朝

黒崎@金曜の朝


スポンタ氏が、いい資料を提示されている。
http://plaza.rakuten.co.jp/sponta/diary/200609200001/
(分析においては、ともいえるな)

http://d.hatena.ne.jp/yetanother/searchdiary?word=%2a%5bOhmyNews%5d
こちらも地道な資料と考察である。「真夜中は別の人」

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んでもって、泉氏はコメントをいくつか消した(#ごっそりである)。
http://gripblog.cocolog-nifty.com/

私としてはこちらを再読していただきたいものだと思う。
http://madammizushima.seesaa.net/article/23216655.html
(デザインが秋)

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はてな界の重鎮、またの名をサーバー前の神主は以下のごとく。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20060921

「ベタな虐殺」という表現に極めて感じ入った。
極東の方はいまひとつ。
実は最後まで読めたためしがない。
posted by 黒崎 at 09:04 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

十六夜

黒崎@十六夜


いざよい、と読む。
すこし遅れて昇る月。

posted by 黒崎 at 08:30| Comment(105) | TrackBack(0) | ひとごと | 更新情報をチェックする

2006年09月21日

道化の華

黒崎@道化の華


太宰に同名の小説があって、心中をして生き残った男の独白である。
心中では言葉が美しすぎるということで、幕府からその使用を禁じられ「相対死」(あいたいじに)と呼ばねばならなくなる。それが元禄期の頃だといわれる。

相対死とは言っても、本質は一人が他殺で一人が自殺である。
近松ならば大概「つっころばし」の男が軸になっていた。
遊女が付き合う。

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そこから何かを導きたい訳でもないが、いくつもある物語を眺めていると、その山場での心理描写は、心中小説のそれと薄く似通った印象を受けた。
この男はただの俗物ではないのか、と躊躇う場面がある。

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昨年だったか、作家の見沢知廉氏が亡くなっている。
私は氏のサイトや著作を時々眺めていたので、そうだったのかと思った記憶がある。
文脈は全く違うのだが、今なんとなく思い出してもいる。
そういえば、先日赤坂で「一水会」と書かれた会合の席と隣り合わせだった。
posted by 黒崎 at 17:39 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

分かるんだけどね 2.0

黒崎@分かるんだけどね 2.0


いや、ちょっとというかかなり呆れているので少し記録。

ttp://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%9D%BE%E6%B0%B8%E8%8B%B1%E6%98%8E&diff=7796561&oldid=7642793

(コピーして冒頭に h を入れてください)

この「履歴」を仔細にみてゆくと、色々と透けて見える訳であります。
わっかりやすいよなあ。

外部リンクが2つ削除されているが、それもご本尊によるものだという。
http://alephblogger.blogspot.com/
http://d.hatena.ne.jp/Fukui_Toshiki/
気持はよーく分かるんだけどね。
不毛な戦い、という気がしないでもない。

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ちなみにBB氏が挙げている例の課題はこちらである。
http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2006/07/post_e63f.html

追記 あるいは余話
posted by 黒崎 at 16:59 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

2006年09月20日

差分について

黒崎@差分について


人生に乾いているとき、人はネットに深入りをする。
最も手軽で、時間とデジカメさえあれば十分に遊べるからだ。
デジカメは携帯のもので良い。社説もネットで読める。
朝から晩までブログを更新している人生というものが果たしてどういうものか、少し考えると分かりそうなものだが、それを口にすると実も蓋もない。
惻隠の情を持って眺める場合もあるだろうが、それはそれ。
似た者も集まってくる。


例えばブログのデザインはタダではない。
プロに頼めばそれなりの対価を取られる。それは当たり前であって、酒一本持っていってこれでどうにかしてくださいと言えば相手にはされない。
新しい会社の社名ひとつ。そのロゴひとつ。ネーミングとコンセプトとで、二桁三桁はゆくのが通常である。
長くブログなどの世界で遊んでいると、そうした基本的なことを忘れてしまう。
それで良いのだと思ってしまう。全ては無料で転がっているのだと。
自分は勤め人であるから、もしかすると広報ができるかも知れない。
君ねえ、広報とは自分を売ることではないのだよ。


ゆるやかに。
アクセスが多いからアルファだと。それが何を生み出したかというと、せめて本が一冊出るだけの話だろうか。
それで食べてゆけるかどうか。名刺を印刷することとそう変わりはないのだが、それが欲しい人もありがたがる人もいる。マイミク500人。

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posted by 黒崎 at 18:43 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

ぼぎちん

黒崎@ぼぎちん


という題の小説がある。
バブル真っ盛りの頃、登場人物は女子大生と株の相場師。
確か解説は福田氏だったと思う。
大江戸線の開通する前、まだ麻布十番が半ば陸の孤島だった頃合。
いつだったか私は、銀座で小さな店をやっているママにその界隈まで送らされた記憶がある。金がなかったので、かなり痛かった。
礼というかなんというか、後でラーメンを奢ってもらった。

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主人公は男遍歴を繰り返してゆく。
だが、通して読むとそれはある種教養小説になっていて、愚かさを繰り返しながら少しづつ成長してゆく。物の見方や人生に対する姿勢が微妙に変化してゆくのである。
ひとつにはある種「父親像」を求めての遍歴なのだが、それに気づくにはNYにまでゆかねばならない。NYでもなす術もなくSEXに溺れる。黒人も白人も。
一般に味を覚えてからの女性は貪欲である。
無闇に上になろうとして、それは掴みかねているからなのだが、そう焦らずとも良いことを知るにはかなりの時間と元手が必要なのだ。
この場合、元手とは自らの肉体である。

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ネットというのは、ある個人にとって、通過儀礼、教養小説類似の役割を果たしているのではないかと思うことがある。
自分が何者かを捜す。あるいは転職のため。恋の相手を探し、また別れるため。
人生の節目節目で、必要なものはネットに転がっている。
ブログであったりSNSであったり、占いも恋愛相談も、結婚の紹介から成約後の式場選びまで。子供ができれば病院毎にコミュニティがあった。「中高年のための出会いと植毛」というサイトもあって、成程旨くできているのだなと感心した覚えもある。

かつて、無料レンタル・サーバーでサイトを作っている彼等がいた。
比較的簡単にサイトができたのである。例えば今の無料ブログと同じように。
その頃、素材集というものが大流行だった。つい数年前。
掲示板で仲の良い者達が集まってオフを繰り返す。
そこから恋が生まれたことも、そうでなかったこともある。
いずれ、更新されなくなって別のところにいったのだと分かる。

posted by 黒崎 at 18:28 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

ひとつふたつ

黒崎@ひとつふたつ


倫敦橋氏のところで以下。
http://belena.blog70.fc2.com/blog-entry-185.html
具体的には、

>さて、オーマイニュースの現状は (コピーのこと)
ttp://www.alexa.com/data/details/traffic_details?
&range=3m&size=large&compare_sites=www.janjan.
jp&y=r&url=www.ohmynews.co.jp#top


そして19日付けで採用情報更新。
http://www.ohmynews.co.jp/omn/generalHTML.aspx?File=RECRUIT
Web2.0 という単語が一回出てくる。

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一方、泉氏の仕事ブログは、現在更新が止まったままである。
http://voice.fresheye.com/ais_eye/

posted by 黒崎 at 18:24 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

2006年09月19日

旅について

黒崎@旅について


あらかじめ用意されているものが世界だと思ってしまう。

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posted by 黒崎 at 20:39 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

細い月

黒崎@細い月


坂道を昇ると植え込みで虫が鳴いていた。
秋の灯には、ひとなつかしさがある。
何処かで子供の泣き声がする。


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posted by 黒崎 at 20:38 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

日経テンデン

黒崎@日経テンデン


http://d.hatena.ne.jp/yetanother/searchdiary?word=%2a%5bOhmyNews%5d
いいエントリである。

写すものが、日経の経済記事でないところが成程である。
私は思うのだが、暫くすると大掛かりな梃子入れが行われるのではなかろうか。
つまり人事である。
まっとうな組織、ビジネスにしたいと考えるならば、しばし様子を見て、具体的な数字が出た段階で動き始めるのだろう。
個人的な感想でしかないが、その際、スタッフは完全な黒子に徹する。
俺が俺が、は別のところで。
仕事とはスタンド・プレイの場ではないのであって、名前を売りたいのならば勤め人を辞めざるを得ない。
契約か年俸制は、そういった文脈のひとつなのだが、安定した立場にありながら、別のものになれると考えている方々がかなり多く、ま、そう旨くはゆかないよと常々考えている。

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posted by 黒崎 at 08:19 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

愛の不遇

黒崎@愛の不遇


自分よりも馬鹿は嫌である。
偏差値で決める訳でもないが、では本当に頭がいいかどうかを見定める策もない。
収入があまりに乏しいのも考えモノである。
仮にネクタイが500円であったとしても、颯爽としていてもらいたい。

貧乏と貧乏臭さというのは違う。
別の言葉で言えば、イケた風味の野暮ったさ、ということなのだが、昨日まで参加型ジャーナリズムを論じていたひとたちが、右へならえでネット広報に流れる。
広報ほど曖昧な世界はないのだが、ついでにコンプラもそうなのだが、広告とも純粋な法律の世界とも違う「周辺領域」である(#鍵括弧。覚えておいてください)。
もしかすると自分にもできるかも知れない。と、考える。

例えばPCに詳しくもない。未だ自らのデスクトップに買った時からついてきたプロバイダへの接続ソフトが残っているような段階で世界を語ろうとするには、曖昧な能書きが通じる世界しか残ってはいなかった。
PCは携帯のようなものでブログやSNSも同じである。予め用意されている世界の中で遊んでいる。外に出ない。古くなれば次があると考える。
様々に誤解を招く発言ではあるが、私は「はてな」とSNSは本質的に同じ思想ではないかと疑ってもいた。

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話が逸れた。
つまり、チャンドラーに倣って言うならば、リンダ・ローリングとマーロウとの関係である。
あなたは遊んでいていいのよ。僕は檻の中の猿だ。
マーロウの屈折は、対極にあるとされるハメットの作品そのものではなく、その実生活と相通じるところがある。
リリアン・ヘルマン。マッカーシズムの奔流の中で仕事を喪ったハメットを支えたのは彼女だった。

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暗闇坂の彼女に私は携帯メールを打った。
おい、高い卵なんだろう。香辛料いくつも買っただろう。
そうよ。どうしてくれるのさ。

posted by 黒崎 at 08:17 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

男はみんな馬鹿ばっか

黒崎@男はみんな馬鹿ばっか


ある30代前半、妙齢の口癖である。
彼女とは、暗闇坂のたいして旨くもない癖に値段だけはとんでもないところで時々会う。
その店は若造がこの料理はこれこれでと薀蓄を並べるのが鬱陶しい。
分かったからこの灰皿換えてくれ。

さておき。
上から下まで結構なブランド物で決め、年に数回はお決まりの海外にゆき、週末は白金台から広尾界隈でエステにゆく。
あなた次はX5がいいわよ。カイエンだとありがちじゃない?
そういえばカイエンって、海猿って書くのよね(#かきません)。
んー。それもいいけど餃子喰いてー。
私はうんざりもするのだが、たまに会うのはなんのせいか。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

それは何処か愛嬌があるからである。
ヒルズの傍に24Hの高級スーパーがあり、紙袋に丁寧に入れてくれる。
男女雇用均等法ができてから、女性が深夜立っていることもあって、大変だなと思うのだが、その店で最も売れているのは実は弁当であるという。
何故なのかはヒルズに勤めてみればお分かりになるだろう。

私はそのスーパーで小型のフライパンを買う。398円。
面倒なのでいくつか買って、トランクに入れておく。
はいお土産、と帰り際に渡すのだが、暫くして携帯にメールが入った。
オムレツは難しいという。仕方ないからパンに挟んだわよ。
それはそれとして。
どうしてわたしみたいないい女が休日にこんなことしていなきゃなンないの。
ここでキャッチ(#表題)に戻る。

posted by 黒崎 at 07:10 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

わたしを受け入れて

黒崎@わたしを受け入れて


物語というのは書き出しの数行でそのほとんどが決まる。
一行読み、数ページを捲り、その世界に引き込むことができれば作品としては半ば成功したに等しい。
最も分かりやすい例で言えば、漱石の「坊ちゃん」の出だしと末語は見事なまでに調和が取れていた。
ラストシーンはほとんどチャンドラーである。
ここで俳句を想起した方はほぼマニアだろうか。

となると、全体が出来上がるまで待たなければいけないということはない。
それはそちらの事情であって、世間はなにかと忙しい。

ありがちなプロットとフロイト式10年の空白。
これは実質的に時間が止まっているということを示唆している。
何処でもいい。ネットで数行を斜め読みして、引っかかるものがひとつもなかったとすれば全体もまたそうである。
グーグル時代というのは、そういうものだと誰かも書いていた。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

個人の問題と、社会全体のそれを混同する。
「わたしを受け入れるべきだ」という流れに知らずに持ってゆく。
若い読者はご存知ないだろうが、かつて「無知の涙」という本があった。
永山某という殺人犯の物語である。
金ナニガシというあれこれもある。
当時の自称進歩的知識人は、そこから自らの望む方向に話を持っていった。
いわゆるありがちな階級論、差別・被差別のお話である。
疎外論とかね。
俺は疎外されているのだと叫ぶのは、一時の阿佐ヶ谷・烏山界隈で流行った。
分かるワカル。わたしもそうなのよね、と低血圧の女が頷いてもいた。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

社会復帰できるかどうかということは、個々人の問題である。
本人が望むような立場や位置では難しいこともあるのであって、それはハローワークに行ってみれば知れる。
そこでは親がどうだったかなどということは聞かれない。今何ができるか、そしてできないかだけである。後は年齢と顔だろうか。淀む者と次へゆく者。
もっと分かりやすく言えば、新自由主義というのは個人の可能性ではなく、今使えるパーツを捜しているのだった。
あなたが便利な無料ブログ・SNSを選ぶこととそれは似ている。


#どうでもいい パート3
posted by 黒崎 at 06:43 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

2006年09月18日

二枚目意識

黒崎@二枚目意識


女を買うのは誰にでもできる。
買われるのは、顎が尖っていて髪を下ろしていればどうにかなる。
あ、でちゃった。
と、言うことが二回続いて、その後は旨くゆく。
もう駄目かと思ったけど、俺はいけるぜ。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

毛を毟られた鶏のように、女の部屋に通っていたことがあった。
彼女達はそれを受け入れてくれただけである。
朝方、味噌汁が出てきて、そこにはベーコンが入っていた。
それを飲んで、安いドアを開ける。

posted by 黒崎 at 07:43 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

黒崎@妹


おにいちゃん。
と、声をかけてきた。
その顔が思い出せない。

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posted by 黒崎 at 07:21 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

勝負下着とリムジン

黒崎@勝負下着とリムジン


例えば出会い系というのは、ネット世界の先端を走っているものだという説がある。
ドブ板営業という言葉があるが、マーケティングの基礎はあれこれそこにあるともいう。今となってはやや酷なのだが、泉氏がメール・レディのアルバイトをしたと書いたことはある意味ではネットの本質を付いていたところもあった。
そこから彼女が某かを対象化してくれれば良かったと、その時私は思った。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

例えば結婚であったりしても事情はそう変わりがない。
始めに学歴と年収を書く欄があって、まあ適当にやっているとする。
するとそれに応じた相方が、自分の携帯にオペの女性から繰り返しかかってきたりするのである。
ネクタイ幾らのものを主に絞めてらっしゃいますかぁ。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

「君のパンツは普段いくら?」
世間では勝負下着と言うけれども、あれは元町にあるレース屋のそれにも似て、ぴらぴらが渦を巻いていて街中では難しい。
車に例えれば、AMGでもM3・M5でもなく、XJの狭さでもないのだろう。
退廃は困るからランチアでもなく、どちらかというとNYで雇えるリンカーン・リムジンの後部座席だろうかといういう気もした。
ドアは2枚ではいけない。
できれば背の高い彼に、ドアを開けてもらえたらなんかお得。

posted by 黒崎 at 07:18 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

捨てたつもりで

黒崎@捨てたつもりで


私は、山頭火があまり好きではない。
自分を捨てたつもりで、そこにだけ戻ってくるからだ。

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つげ義春さんの作品に「池袋百人会」とかいうものがあった。
義春さんの漫画は多分に私小説的だという評価もあるが、水木さんのアシスタントをしていた経験もあって、なかなかどうして。十分にデフォルメもされていて嘘八百である。
時々、匂うようなエロが混ざっているところなどは読者サービスの一貫でもあろう。
別の作品だが、同棲相手が浮気をする。
「一回だけならいいと思ったが、三回だったらもう駄目だと思った」
とか言って、主人公が自殺未遂を図るのである。
しくじって、看護婦に放尿を手伝ってもらう。
顔にかかったりする。

posted by 黒崎 at 05:59 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

スケッチ・オブ・スペイン

黒崎@スケッチ・オブ・スペイン


秋から冬にかけてよく聴く。
最後に入っているそれが、例えば男の生理前といった按配であった。
向こう側にいってそれから戻ってくるかのような、着実なリズムとその上のあれこれである。

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何時だったかマゾの気の強い女と千葉の辺りにいった。
遊園地の裏手にはガスタンクがあり、車を停めてそれを眺めていた。
女はひとりでに話し始める。
自分のことだけを。

posted by 黒崎 at 05:46 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

九月の雨

黒崎@九月の雨


一日雨である。
私は仕事をしている。
時にはそういうものなのだ。
それから酒を嘗め、矩形のスペースにうつぶせになろうとする。

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posted by 黒崎 at 05:43 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

2006年09月16日

ネットとカルト

黒崎@ネットとカルト


の親和性について。
あるいは自らの未解決の課題を投影してしまうことについて。

時々私は、そのモデルケースを眺めているのだと思うところもある。
めがねとかげ。ありくい。土豚。
飛べない梟。

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posted by 黒崎 at 19:56 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

おまえだけ

黒崎@おまえだけ


独身のあいだは、各地に妙齢を複数配置しておくものである。
人間の屑と呼ばれながら、おまえだけや、と関西弁でイウ。
それによって、風邪やその他で倒れた場合、命永らえることもあるのだと伊勢崎町で遊んでいた年上の彼等に教わった。

酒の混ぜ物は1/3まで。半分になると別物になってしまう。
ガソリンを盗むのは軽のトラックが一番で、そのためにホースを積んでおけ。
ただ、ガソリンそのまま口に入れるなよ。喉が焼ける。
逃げる時にはナンバーにガムテープを貼ればいい。
そんなことを聞きながら、ひとりが乗ってきたマセラティのクーペを見送った。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

坂道を昇ってゆくと、妙齢が運転する紺のクアトロポルテが駐車場から出てくる。
私は間を空け、先にゆかせる。
車自体は手に入るが、維持するだけで100や200はすぐに飛ぶ悪女だ。
タイト・スカートの尻のような形をして、そのまま右折してゆく。
確かステッドラーの色鉛筆にそんな色があった。


posted by 黒崎 at 03:05 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

東京流れ者

黒崎@東京流れ者


タモレタモレ愛してタモレ
俺は悲しいひとりものー

という歌があって、谷啓さんが歌っていた。
流れ者にゃ女は要らねえんだ。
とか言ったのは「東京流れ者」での渡哲也である。
ま、裏返しなのであるが、どちらも正しいともいえた。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

あんた彼女いないんかい。
とか聞かれ、実は深く心に期すものがあった誰かもいたようだが、まあレツを組んでいる面子を眺めると致し方ないところもある。
匍匐前進、次いこう。

posted by 黒崎 at 02:34 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

2006年09月14日

ぬけられ升

黒崎@ぬけられ升


「よど号」乗っ取りの彼等が、ある種英雄のように見られていたことがあった。
周辺部、いくつかの手記が出ていたりもするのだが、独立した作品として読めるものは少ない。
文章は達者であっても、細部に現実味は乏しかった。

夢から醒めるとまた別の夢を捜す。
醒めた訳ではなく、自分の人生を物語化してゆくのだが、そのベースは案外に子供っぽく表紙にイラストが載っている。
そんな風に歳を取ってゆく。仲間とともに。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
posted by 黒崎 at 15:43 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

その魚

黒崎@その魚


水に沿った道を、水の流れに送られるように歩いて行く。水はどんどん彼女を追い越して行くので、前に歩きながら、後ずさりしているような錯覚に囚われる。

「黒髪」という大岡昌平さんの短編の一節である。
大岡さんは、いわゆる花柳小説というものをいくつか書かれている。
私は「花影」という作品が好きで、季節の変わり目に棚から拾い出してきてぱらぱらと眺める。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
戦前から戦後にかけての、いわゆる「転向文学」というものを昔少しばかり読んだことがあった。読み通せるかというと、それが難しい。最後には放り投げてしまった覚えがある。
本人がエリート意識を忘れてしまっている。それでいて貧困を語るのであるから、何処か乖離してしまっていて、そこに気が付いていてくれれば良いのだがそうもゆかない。
女性が出てくることもままあるが、彼女達は何かロマンチックなものを見るかのように芝居に参入する。欠落を埋めようかとする。
posted by 黒崎 at 15:20 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

2006年09月13日

秋雨の夜

黒崎@秋雨の夜


遠くで虫が鳴いている。
私は二日酔いで、デスクの上のシュークリームを眺めている。

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退屈な告白

黒崎@退屈な告白


一部でそういうものが続いているようであるが、ほとんど興味がない。
自分と世界を対象化できていないからである。

同じやり方が通じないから転機というのだ。
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2006年09月10日

時期を待てない

黒崎@時期を待てない


簡単に言えば、反旗を翻すには早過ぎるということである。
結果をすぐに欲しがる人間は、実は足もとが不確かだったりもする。

ええとね、夜話では「東方会議」で検索して欲しい。
利権を巡っての繰り返しでもある。

posted by 黒崎 at 08:06 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

いずれ消えゆく人 3

黒崎@いずれ消えゆく人 3


ベンチャーとジャーナリズム。
そしてベンチャーとボランティア。
社会参加。
私の○○物語。

これらが混然として互いに未分化の状態に陥っているのが今のオーマイニュースであろうか。
見えにくいが、勿論根底には新自由主義があって、全ては自己責任である。
かろうじてのセーフティ・ネットが上限50万という記者側の訴訟負担だが、これとても保険会社の算定によるものではなかろう。
先日、保険の未払いで営業停止をもらった社もあった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

勝手な想像ではあるが、鳥越氏には今、IT関係に詳しい側近がいないのではないかと考えている。
TVであれば優秀なスタッフ。週刊誌であればデータとアンカーに該当するものだ。

編集次長の平野氏は、広報コンサルが得意であると言われるが
(#黒崎夜話:コメント欄参照:http://kurosaki-yowa.seesaa.net/article/22825303.html#comment)、
意図的かどうか、今回の早稲田でのシンポにおいてそれは全く機能していなかった。
意図的でないとすればその腕も問われよう。
佐々木氏の発言を抑えることもできず、ボスである鳥越氏に対しても公の場で一枚岩でないことを繰り返し暗示している。
実質的に冷笑を浴びせるような誘導もある。
果たしてこれが広報の重要な目的のひとつでもある「ブランド戦略」に沿うものか、私ははなはだ疑問であった。
通常の組織、ある程度お堅い会社であるならば、その責は後に問われても不思議ではない。

一方、先日の早稲田でのそれは、巧妙に仕組まれた鳥越オロシだったという声もある。
若い読者には理解しがたいだろうが、60年代末、いわゆる団塊世代の大学では「糾弾集会」というものが日常茶飯事だった。
あらかじめ動員をかける。サクラも忍ばせておいたりして「ナーンセーンス」と叫ぶのである。
壇の上で巧妙にアジを飛ばす奴もいて、労組青年部出身者というのはオルグだけは得意だ。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

冗談はさておき、現実に戻る。
オーマイニュースは、ボスが鳥越氏でなければ機能しない。
その先もないものと思われる。


鳥越氏は自らを広告塔、品なく言わせてもらえば、ある種の客寄せパンダであるということを十分に自覚されているだろうと私は思っている。
何故引き受けたのか。それはそれ、氏の生き方・内面の問題でもあろう。
また、その内容に異議はあるにせよ、端的に言って各界の著名人に氏以外の誰が「対等に」インタビューできるものだろうか。
鳥越氏は読売社主、渡辺氏とも語り合える可能性がある。
かつて朝日系の筑紫氏が自分の番組で実現したかのように。
それはオーマイという看板ではなく、鳥越氏個人の実績からくるものだ。

ここで余話になる。
うろ覚えであるが、鳥越氏はかつて車雑誌の中でこう書いていた。
各界著名人の車遍歴を特集するコーナーである。
そこで氏はBMWのオープンZ4に乗り、丸いサングラスをかけてポーズを取っていた。
新聞社に長く勤め、もらった退職金が三桁いかなかった。それで免許を取り、BMWを始めて買ったのだと。
だからどうしたということはない。しゃらくさい部分もある。
しかし、少なくともビュアル的にその記事は絵になっていた。
スタイリストが入っているのは当然であるが、問題は顔と声である。

フリーの立場にとって、外からどう見えるかということは決定的な意味を持っている。
それは「セルフ・ブランディング」の一環なのだが、例えば五木寛之さんは雑誌に載る自らの写真を厳密にチェックしていた(#確か「深夜草子」あるいは「風に吹かれて」だと記憶している)。
呆れる程の大衆消費社会において、作家にとって顔も商品だと自覚されているからだが、これが今から30数年前の話である。その先見性には頭が下がる。
昨今の作品それ自体の評価は別にして、氏の書籍が書店から途切れない理由も分からないでもない。五木さんに限らず、どの作家も大なり小なりそれらは意識しているのが現代だろうか。

さて、翻って彼らはどうだっただろう。
編集部が一枚岩ではないこと。
公の場でセカンドがボスを遠まわしに揶揄すること。
そういった姿勢は、ボランティアで運営される集団ならともかく、ビジネスの世界では厳しくツケも廻ってくる。
いずれ消えゆく人が誰であるか。
近いか遠いかは不分明であるが、仮に鳥越氏が去った後、そこに求心力はあるだろうか。
代わりにどなたかの顔がTopに掲載された場合、一般読者がついてゆくのだろうか。


____

##先週は忙しくへろへろである。エントリは後で修正する。
posted by 黒崎 at 07:48 | TrackBack(1) | 夜話 | 更新情報をチェックする

ベンチャーとボランティア

黒崎@ベンチャーとボランティア


オーマイの準備ブログを眺めてゆくと、スタッフ紹介がいくつか並んでいる。
若者、女性。
それぞれに夢や熱意をもって参加されているようである。
とりわけ、女性は献身的に働くことが多い。

誠に失礼な連想で申し訳なく、それゆえ具体例は出さないでおくが、暫く眺めていると、私は先に書いた選挙の際のボランティア、もしくは災害時のそれを思い出してしまった。
田中前知事は、阪神大震災の際、被災地を原付で廻り、それを書籍化している。
氏に限らず、ボランティア活動が清潔な経歴のひとつであると、それを前面に出して人気を得た政治家も実は多くいる。

オーマイの仕組みが、微細とは言え原稿料を支払うものだということは知っていた。
であるが、その実は多くの方々のほぼ無償に近い労力・情報を吸い上げることで成り立っているという側面も、また否定しがたいものだと私は感じている。
ビジネスだからだ。そういう形態の。
例えば訴訟リスクに対しての規約、それをじっくり眺めていればお分かりになるだろうか。あれは50万を上限とする自己負担、自己責任をベースにした訴訟保険のようなものだろう。
あえて飛躍した事を言えば、スタッフの給料も公開し、それで市民記者の原稿料もしくは訴訟リスクとのバランスが取れる、という声があがってもそう不思議ではない。
今の段階では想定しにくいだろうが、仮に訴訟が起きた場合、スタッフの管理能力その他が問われるケースもあるだろうか(#規約そのものの有効性が争点になる可能性もない訳ではない)。

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ここで私は、堀江氏がいた頃のライブドア、その個人投資家の集団を思い出している。
BB氏が「堀江ライブドアと何が違うのか--自由の名のもとに」
http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2006/08/__ad59.html
で疑問を呈しているが、実はこの問題は構造的なものでもあった。

ライブドアを支えていた個人投資家達は、お年寄りから若者、広範囲に及んでいた。
学生でも買えた訳である。彼らはあくまで「個」であった。個が支援したのである。
なにか大きな「物語」に自らを仮託し、その流れに乗ろうかと考えたのか。
総括については様々になされているし、まだ係争中でもあるが、かといってその根底にある風潮が収まっているとも言い難い。この余波は長引く。

それにしても、果たして彼等は何を買ったのだろう。

posted by 黒崎 at 07:29 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

わたし幻想

黒崎@わたし幻想


>「市民」という日本語があまり好きではありません。先入観かもしれませんが、政治的な色がついてしまっている気がするからです。

オーマイニュース編集次長の平野氏はこのように書く。
この言葉が想定しているのは、いわゆる「プロ市民」という呼び方、存在であろうか。
市民運動、市民運動家。一部のNPOやNGO。
そういった方々に対する拒絶反応だとすれば、ある意味では分からないでもない。
ここで、伝統的な左翼陣営からは「階級性の欠如」であるという批判がくるものだろう。それがなかなかこないところがテイタラクではあるのだが、それもさておく。

ところが実際には、保守政党などの方が「市民」という言葉を多用しているように思える。多用というよりも旨く使っているというところだろうか。
参議院議員候補、あるいは知事や大きな都市の市長候補のパーティなどに義理で顔を出さねばならないことがあるが(えっと大人ですから)、会場でそれを身をもって感じることもあった。
これには仕掛け人が実はいて「○○連」とか「勝手に応援の会」など、一種の祭に仕立ててゆくのである。中心となる人物が応援した当選者は、選挙後、実際の政策施行上で類似点を打ち出したり、提携したりしていた。なるほどそういった水脈もあるのかと感心した覚えがある。

若者が壇上で踊る。選挙期間はボランティアで、終わった時には感極まって涙する男もみかけた。
「居場所を与えてくれてありがとう」
彼は本気でマイクに向かって叫んでいた。
今、実質的に市民に右も左もない。あるのは意識だけではなかろうか。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

ところが。
自らが、働かねば食べてゆけない立場であるとすれば、その実態は労働者・勤労者である。
労働者の中でも、正規と臨時雇用や派遣、そしてアルバイトなどの雇用形態とでは明白に断層があり、ほぼ同じ仕事をしていたとしても年収や待遇その他で圧倒的な格差がついているのがここ10年程の流れであった。
新しい階層社会の出現である。
ワーキング・プアの問題は、水面下で圧倒的に広がっている。
小子化も未婚率の問題も、元を辿れば経済的な側面が強いのだが、あまりそういうことは意識されない。私たちは自らに都合の悪いことは見ないことにしているからだろう。

ここ夜話を読んでいる方々は実感を持って体験されていると思うが、仮に正規雇用であったとしても明日会社自体がどうなるか分からない、というのが今の日本社会である。
持ち株会社・分離統合。
一年で年収が200下がるということもそう珍しいことではなくなった。CEOの解任なども茶飯事である。とりわけIT企業の多くでは、創業時のメンバーが残っているところはそう多くはない。
同様に前にも書いたことがあるが、例えば大手ポータル社員の勤続年数・継続率はかなり低いところにある。突然こなくなる人間が案外に多いのだという。
よく言えばステップ、悪く言えば携帯の型番のようなものだろうか。

雇用の流動化はほぼ限界まで進んでゆく。
その中で自分たち、つまりわたしが何者であるかを捜し・立証してゆくことは難しい。
そこにまず「わたしの物語」が求められる下地があるのかも知れない。
posted by 黒崎 at 02:53 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

2006年09月09日

ベンチャーとジャーナリズム

黒崎@ベンチャーとジャーナリズム


簡単に言うと、その相克が水面下で行われているのだろうと感じている。

http://www.ohmynews.co.jp/blog/archives/2006/07/post_70.html
この後半部分を引用させていただく(準備ブログはいずれ閉鎖される可能性がないとは
言えないため。著作権上指摘があれば対処します。非公開コメント欄へ)。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

>ところでオーマイです。鳥越編集長の下で、青木さんと一緒にこのサイトをリードしていこうとしているわけですが、編集チームは一枚岩では全くありません。
たとえば鳥越さん、青木さんが事件・事故・戦争・国際ネタという、いわば「派手目」なネタを取り扱ってきたと想像されるのに対し、私は東京、大阪、福岡の産業部、証券部、西部編集部という部署で、一貫して、民間企業を素材にニュースを書いてきました。つまり「仕事」という日常行為を対象に、そのなかからネタを発掘する仕事です。目線はかなり低めです。

以前勤務していた新聞社では長年、官庁ネタが大きく扱われてきました。その“官尊民卑のカルチャー”に抗い、民間企業ネタをどんどん大きなニュースにしてきた一員だと自負しています。

その企業ネタも過去10年、有名大企業から中小、ベンチャー、スタートアップへと対象はシフトしました。最近は会社という器よりも、そこで活躍する個人や、経営の方法、ビジネススキルへと関心は移っています。マクロからミクロ、さらに、ミーへの流れです。オーマイのマイは「私の」のMy。「!! 私のニュース」です。ですから大所高所からではなく、自分の周辺から面白い話、役に立つ話を発掘し、それをみんなで共有する。そんなメディアにしたいと思っています。

一方、政治スタンスについても、編集チームは一枚岩ではまったくありません。たとえば私は「市民」という日本語があまり好きではありません。先入観かもしれませんが、政治的な色がついてしまっている気がするからです。特定の支持政党はありませんが、周囲からは「あいつは最近かなり右」と思われているでしょう。韓国ドラマ・映画に涙腺は緩みますが、『嫌韓流』にも大いに共鳴します。

米国にいるとき、韓国、中国の友人から日本について、相当いい加減なことを言われました。「お前ら、ふざけんな!」と適切に言い返し、ときに喧嘩もして、自分の立場を主張しなければならないことは多かった。けれども、そんなやりとりをしながら実際には仲良くなっていく。

彼らとはそもそも視点が違うし、頭のなかにある物語も違う。言い合いをしながら相手の先入観を修正し、自分の思い込みも正す。その過程こそが友人になる方法だと信じています。

日記にこう書きとめてありました。(略)
(科学と科学的客観性は、科学者ひとりひとりの客観的たろうという意思から生まれるのではない。多くの科学者が友好的に、敵対的に協業することから生まれるのだ)

科学哲学者カール・ポパーの言葉です。

科学ですらこうなのですから、ジャーナリズムならなおさら。数多くの人がそれぞれの視点で見聞、観察、体験を発信し、そこから真実が浮かび上がってくる。そんなメディアにしたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。

投稿者 OhmyNews : July 12, 2006 12:08 PM
―――――――――――――――――――――――――――――――――

ご説ごもっとも。
というところもある。が、仔細に眺めてゆくとなかなか面白い。
市民メディア、私メディアの集合体。
例えば半径数十キロを対象にしたメディアに、ケーブルTVがあった。第三セクターで経営されているところもある。
地域性によるのだが、その経営者は地元の市長選挙に出馬するとかしないとか、ライオンズ倶楽部の会員だったりもする。
そこには、地元キー局を辞めたカメラマンが転職し、地元ニュースを流したり、地方紙の支局記者が時事解説をする枠があったりした。
30になるかならないかの若い記者が、時事ニュースを語っている姿はやや異様なのだが、地元で記者というと、本人もいっぱしの文化人のつもりであるから仕方がない。
視聴率はともかく、そういったものがなければ放送局と言い難いところもある。
安価になったビデオでの投稿募集。それを集めたコーナーもあり、それが「市民による手作りニュース」と呼ばれたりもしていた。
半径数十キロにある大学、その市民公開講座なども同じ流れである。
独立法人化を踏まえ、大学は自らが営業をしなければならなくなって久しい。
その文脈の中で、地元メディアとも密接に関係を持つようになっていった。

ネットの黎明期、そうした試みは盛んに行われた。NPOやNGO、また研究会なども雨後のカエルのように発足してまた消えた。
「○○から世界へ」という掛け声を懐かしく思い出す方もおられるだろう。
いわゆる町おこしとも絡んでいるのだが、その流れは昨今の市町村統合の中で構造的な枠組みも変わってきている。
代理店や旅行会社出身の広報課長もしくは部長が、任期二年ほどで地方自治体に雇用されたりするケースも出てきているのはご承知の通りである。

とりあえずそれらは置いておく。
●すこし不思議だったのは、平野氏は何故「月400万PVいかないと広告が入らない」など言ってしまったのだろう、ということである。

#BB氏の名エントリー
「ゴミため」から投げつけられた毒饅頭----オーマイニュースは大丈夫なのか(1)
http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2006/08/post_9069.html#more
には、プレスリリースとBB氏によるビジネスモデルの分析が掲載されている。

PVに関することは、本件のような場合結構な守秘義務があるのではないかと外野からは思われる。仮に朝日や読売など新聞社系サイトのPVの実態を把握するには、専門の業者を経由しなければならない。そしてそれは社外秘である。
立ち上げ時期の広報という側面からの発言かも知れないが、いぶかしい部分は残った。
そしてPV命だとすれば、実名、匿名の扱いも同じ文脈で理解されるものだろう。

もうひとつ素朴な疑問を呈すれば、佐々木氏はいかなる流れで唐突に編集委員という立場で我々の前に姿を現したのか。
有給なのか無給なのか。
鳥越氏はそれを知っていたのか。
つまり人事権は誰にあるのだろうということである。
微細な額であっても有給でこの発言は、平野氏も苦労するわなあと思う次第。
ま、でも、仕方ないところもあるのだろう。

posted by 黒崎 at 19:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

いずれ消えゆく人 2

黒崎@いずれ消えゆく人 2


さて億劫なのだが、すこし書いてみる。
http://www.ohmynews.co.jp/blog/archives/2006/07/post_70.html
こちらに、オーマイニュース編集次長の平野氏が自己紹介をされていた。
すこし引用させていただく(問題あればコメント欄へ)。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
1985年に大学を卒業して、日経新聞に入り、2000年夏まで取材記者とデスクをしていました。退社翌日の便でサンフランシスコに飛び、その秋から2年間ビジネススクールに留学。2002年5月に卒業した後もベイエリアに残り、東京との間を往復しながらジャーナリズム活動を続けてきました。今回、縁あってオーマイ日本版創刊に関わることになり、6月末に米国を撤収してきたところです。

留学時代の2年間については『日経ビジネスアソシエ』に体験談(「大志養成学校奮戦記」、2002年10月−2003年3月号)を書いたので省略しますが、過去4年は基本的に2つのことをしていました。

ひとつは雑誌への寄稿です。ダイヤモンド社発行のした『ループ』、日経BP社『日経ビズテク』という志の高いMOT(技術経営)誌に創刊時から関わる機会を得ましたが、残念ながら両誌とも休刊になってしまいました。直前までは『アエラ』や、日経BP社の他の雑誌などに米国ビジネスネタを書いてきました。

もうひとつは広報コンサルタントの仕事です。旧知の友人が経営する会社の社員として、メディア相手にインタビューをしたり会見を開いたりするときの事前トレーニングを、日本の外資系企業幹部の方を対象に実施したりしてきました。取材する側とされる側、両方から情報の作られ方・発信のされ方を体験できたのはとても貴重でした。新聞社勤務時代には見えにくかったことです。

過去6年経験し習得したことは自分なりにメソッド化して本にしました。3月に三笠書房から出版された、『「物語力」で人を動かせ!』がそれです。マーケ、広報、セールスの方たち、さらに日々情報発信して人を動かそうとしていらっしゃるリーダーの方たちにぜひ読んで欲しいと思っています。以上宣伝で失礼しました。

投稿者 OhmyNews : July 12, 2006 12:08 PM
―――――――――――――――――――――――――――――――――

結構長い自己紹介というかなんであるが、仔細に眺めてゆくといくつかのポイントが含まれている。
この方もいわゆる「ヤメ記者」のひとりであった。
ITバブル真っ盛り、2000年の頃に動かれてもいる。
記憶によれば、ちょうど時事通信の湯川氏が社員として日本に戻ってきた頃でもあろうか(仔細は氏の「ネットは新聞を〜」の後書きを参照)。
その後はライター。米国のビジネススクールでの経験を生かし、何処の社だったかは書かれていないが、社員としてコンサルなどを歴任。
いわゆる企業広報の一環に携わったという。

『「物語力」で人を動かせ!』という本を私は読んでいない。
タイトルだけでその先に進む気がしなかったからだが、この「物語」というフレーズは一時、広告・広報関係者の中では定番のように使われた。
「私の○○物語」、ビールなどのネーミングにも使われている。
同じく「○○力」というのも、ある種定番である。

「わたし」性。私を前面に出してのマーケティングや広報というのは、このところ随分と言われていることである。
大衆から分衆、それでも捉えきれなくなった市場動向を「個」あるいは「わたし」という観点から、把握しなおそうという仮説である。
そこには「わたしにとっての○○」という、ある種「物語」が含まれてゆく。
個々人の体験であるとか思索、その時間軸に注目するのだ。
物語の蓄積の中で、商品やサービスを反射的にアピールしてゆこうとする。
恐らくそこには「感動」「自己実現」などのキーワードが入るのだが、それはそれとして。

――――――――――――――――――――――――――――――――

さて、オーマイニュースの「ブロガー×オーマイニュース」
http://www.ohmynews.co.jp/HotIssue.aspx?news_id=000000000617
あるいはBB氏のレポートの2
http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2006/09/post_7eb0.html#more

こちらを元にして話をすすめてみる。
#前者は公式版であるし、後者は聴衆の立場から、最もバランスよくまとめられたものと考えられるからである。
ここで仮に重大な齟齬があれば、元ソースに当たればいいのだが、今の段階ではその必要性は薄いものと考えている。

平野氏の発言を拾ってみる。

>平野氏
「実名については、(鳥越さんはああ言っていましたが)我々はかなり柔軟に考えています」

>平野氏
「(タブーに挑戦とは)掲げてまで出すことかなーと個人的には思う。ジャーナリズム=反権力ではない。正義の概念は昔と変わってきているのではないか。マスコミの権力化がむしろ批判されている。若い記者の型どおりの正義感というかそういうのを見ると違うよと言いたい。だから安易にキャッチにいれるべきではないと思う」
「もっとも鳥越さんのような人も編集部にはいますが」(会場笑)

>平野氏
「目標としては市民記者年内5000人、PVで月1500万ですね。月400万PVいかないと広告が入らない。今はなんとか(話題になったので)そのペースは越えている。」

―――――――――――――――――――――――――――――――――
ね、なかなか面白いのである。
以下、雑感形式でぼちぼち続けてみる。期待しないように。
posted by 黒崎 at 17:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

2006年09月08日

追浜のZ

黒崎@追浜のZ

この場合にはS30である。
Sの130でもまだ良い。
Lの六発。一番バランスが取れているのは2800辺りで、ソレックス、タコ足、デュアルマフラーというのはひとつの定番だった。
今からすると、曲がらない止まらない、シフトは屈伸運動で、コーナーで斜めになったら最後、その重さはどちらかと言うと京浜工業地帯の風情である。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

そんなことを言っても。
例えばブログを書いたり、マーケティングをあれこれしている彼等には分からないだろうと思う。
彼等が語るネットというのは、あるいは2.0とかフラットとかいうものは、誰かが用意してくれたものの上で遊ぶことでしかなく、ノートPCのメモリ増設も自分ではやらない。
やろうとしてもできないのである。金で済ませると言えば聞こえはいいが、そういう青春なり無駄飯を喰った経験がないのだ。

若い女が携帯メールを目にも止まらない速さで打つことがいわゆるフラット化である。
ぶっつけ本番でテレビ会議をやると告知し、できませんでした、とシラっと謝ったフリをすることが社会人である。会社名はバレているのだが、関係ないというポーズを取る。
その癖、スカイプだのなんだのばかりは見栄も張る。
ま、いいんだが、ゆるやかに自腹切ってないものばかりであった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

どちらかというと、シルビアやチェイサーの尻を流すことに給料と青春のほとんどを費やしている彼らの方が私は好きであった。
彼等もブログを持っているのだが、そして煩雑にオフなどもやっているのだが、そういう情報は今いるネットの世界には流れ込んではこない。


posted by 黒崎 at 07:23 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

ドブ板あたり

黒崎@ドブ板あたり

我々は横須賀で米兵向けの店に入った。
ミネソタからきたGIが、ぽつんとコークハイを飲んでいる。
そういえば君さ、英国留学したんだろう。
え、卒業旅行ですよ。
そう旨くもないバーガーを喰い、スカジャンの店のガラスケースを眺めて車に戻る。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

40男がふたり、深夜意味もなく爆走する。
互いに語るべきことは多いのだが、どうでもいいような気もした。
子供の写真を見せあったりはしない。

posted by 黒崎 at 06:48 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

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