黒崎@ドリームランド
極めて具体的なことを言えば、今綴られている「物語」は、文学的にはなかなか厳しいだろうと私は予想している。
奇特な編集者が読み、いずれは本になることも全くないとは言えないが、何故なら今は比較的簡単に本が出るからだが、それによって作者が物語作家として成り立つかというと極めて疑わしいものだと思っている。
では資料として読めるかというと、本人は離れた組織を悪く言うことは避けたいとも書いている。
半分は保身も含まれていると考えるのが普通である。
「夜話」のコメント欄「FIVE MINUTES MORE」の後半で、数人の方が例の物語に対しての評を書いていた。
http://kurosaki-yowa.seesaa.net/article/22825303.html#commentちょっと引用・再掲してみる。分かりやすくするために冒頭に印をつける。
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●松永氏の自伝。
あれは、私小説。
というと私小説をバカにするから、
ぶっちゃけ言うと、物語作家が余興で語る
青春エッセーに過ぎないですね。で、彼は物語作家じゃない。
ただのライター。でも、ブログ世界を読んでいる人には感銘を与えるんじゃないかな?
チンケなブログ世界w
Posted by 匿名希望 at 2006年09月21日 20:18
●「未だ幻想の森の中」って感じなんですよねえ。
ホーリーネームは正確に記述できるのに、西暦の10年ズレはBBさんの指摘後も何度も間違えてしまうある種の悲しさ。
出家信者達は本名ではなくホーリーネームで表記するのに、好意で原稿を読んでくれたノベルズ編集者の実名は出す、バランス感覚の無さ。
月も見えない夜に、ため息をつきながら読んでしまいましたよ。
ハー
Posted by 鮫島 at 2006年09月21日 22:53
●ま、生ぬるい世界の位相がちょっとばかり変わっただけでしょう。
自分の問題だと気づけばいいんだけど。
Posted by papersearcher at 2006年09月21日 23:32
●文中に「○○社ノベルス」という単語が何回でてくるか数えてみましょう。
いい迷惑だと思うんだが‥‥あの界隈も。
Posted by 黒崎 at 2006年09月22日 01:03
●ここ、空気が濃いのであまり近寄りたくはなかったんですが(汗)。
とりあえず、はじめまして。
松永氏の文章、あれはまだデータベースの段階ですよね。
とりあえずすべての事柄を書き出した後、出版社なりに持ち込んで、体裁(編集)を整えるおつもりではないでしょうか。
私はいわゆるオウム世代ですから、彼の思考回路が、とりたてて特筆すべきものにも思えないのです。
私がいちばん知りたい部分、私(たち)はなぜ俗世に残って、彼(ら)はなぜオウムに入ったのか、という違いが、あの文章ではわからない。
今のままでは、甘えと失恋が出家の原因であるかのように読めてしまう(笑)。
そのほか、けっこう大切なことが抜けている気もしますから、「この先は本を買って読んでください」ということになるのかな。
でも、あれだけの長文を書かれる体力には素直に感服します。その点だけは、こちらに集う皆さんとは一線を画しておきたいところです(笑)。
Posted by S@傍観者 at 2006年09月22日 03:22
●どうもです。なにやら結界があるとかいう声もあるようで(笑)
色々論点が出てきましたですね。何のために書いているのか。何故ネットに公開しているのか。DBなのか既にして作品の草稿なのか。オウム世代の特質とあれこれと。
ライターと作家の違い。あれが作品の原型と呼べるかどうか。
人生が四谷大塚と、人生がドリームランド。
サリン事件の林郁夫の「オウムと私」(文春文庫)を読んでからあれを読みますと、似ておるところもあり、また違うところもあるんです。密度は林氏の方がある。緊迫感というかですが。
Posted by 黒崎 at 2006年09月22日 07:28
●しかしいただけないのは、Wikipediaの修正とその後の操作ですね。まだこんなことをやっているのかと。あれは逆効果なのよ。氏は抗議した方がいいくらい(マジです)。
それからWeb2.0とECなどのシンポに参加して営業の下ごしらえをしておりますが、気持は分かるんだけど、今この時期にはそう簡単にはゆかないかも知れない。
社会復帰というのは、何もあの筆名でライターとして活動するということだけではないんです。自分がなりたくてもなれないもの、今は一旦は諦めねばならないものというのはあるんじゃないですかね。
本当に才能があれば、そして他人を感動させるに足る作品を書くことができれば、誰かが見ているし評価もする。文芸とか芸術の世界ってそういう公平なところがあるもんだと思いますが。誰かが言っていた、ファンタジー小説を読んでいるような印象というのは同じ。現実感が極めて薄いです。
Posted by 黒崎 at 2006年09月22日 07:49
●ただこれがなにやらの「療法」であると仮に想定するならば、その視点からは一回目はあんなものだろうと。
現実(ネットの声も含む)にぶつかり、今までのようにはゆかず、さてそこからだと。
一般に新しいところにいこうとするときは、啼かず飛ばずの時期が何年かあるもんです。一旦後ろに下がることもあるでしょうね。
まだ40前なんだしさ。
と、たまには優しい黒崎w それで後で後悔もするんだが。
Posted by 黒崎 at 2006年09月22日 08:17
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