2006年07月31日

水は流れる

黒崎@水は流れる


一定の量になると、どちらかへ傾く。
そのことを知らないと、旅も退屈なものになってゆく。

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2006年07月30日

東京流れ者

黒崎@東京流れ者


雨が続いた頃合というのは、毎年いい仕事ができる。
半ば鬱だからだ。
夏になって、それが重く、例えばドイツ車の電動ファンが廻りっぱなしになっていると、ゆるゆると秋のことを考える。
今手元には山本健吉さんの「基本季語500選」という本があるが、ぱらぱらと捲っては灰皿の辺りに片付け、そういえばこの部屋のガラスを拭いていない。

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季節感のない男にはなるなよ。
と書いていたのは、上村一夫さんの自伝的な作品「関東平野」である。
餃子を「サメコ」と読む、地方出身者の図案家がいたりした頃合で、魚屋の娘との情事は主人公にとって半ば水溜りのようでもあった。
関川さんは、本作を上村さんの代表作だと評していたが、半ばそのようでもある。


寝る。
ということは滅多にないのだが、とりあえずそういうことにしておくのだが、そんなものは半ばホルモンの為せる技だから次の生理がくれば忘れる。
だからこんな捨て台詞があって、確か矢作俊彦さんの随筆で知ったのだが、若い頃の渡哲也である。
「あばよ。いい男がいたらすぐに寝るんだぜ」

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と、言うと、下北に落ちていた妙齢がこう答える。
「あら、二回や三回で分かる訳もないわ」
それから私は、駅前の定食屋で飯を喰って戻った。

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与太濱

黒崎@与太濱


昔、横浜は怖いところで、東京ナンバーが停まっているとアンテナを折られた。
ニューグランドの傍で、タイア四本やられたこともある。
仕方なく、部屋を取ったのだが、旧館の壁は高松宮邸の外壁のように古く、私はここで何をしているのだろうと寝付けなかった。
宿泊費と修理代を払うと、暫く昼飯も食えない。

当時私は何時も黒か紺のネクタイをしていて、ワイシャツは夏でも長袖を着ていた。
ウエストはやや細く、バリーの靴を履いて、二回程その底を張り替えていた。
丼を箸で叩きながら、金とか女とか、空から落ちてこないもんかいなあ、と歌っていたこともある。


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与太

黒崎@与太

という題の漫画が「ほんまりう」さんにある。
確か青林堂から出ていた。
地方の旧制中学を舞台にした少年と姉が主軸の物語である。

ほんまりう さんは何処か不器用であるが、絵柄がとてもいい。
麻雀漫画や極道物などをいくつも描かれているが、まあねえ、ドサ健なんかは別の方が描いた絵柄ではコクが出ないような気がする。湿り気がないのだ。
女の姿もである。

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話は飛ぶが、黒崎のことをプロのジャーナリストだと思っておられる方がいた。
同様に現在も、プロ意識の強いライターであると勘違いしているかのようである。
分からないでもないのだが、それは誤読です。
実を言うと、一般にアクセスが多いと言われるブログを眺めて、これは面白いと感心したことが私にはほとんどない。
ひとつのフレーズが残るということも少なかった。
理由は定かではないが、恐らくその書き手に作家性を感じないからだろうと思われる。
後で読み返すことも少ない。

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さて困った。
厄介な単語が出てきている。
作家と作家性。
あるいはライターと作家性でもいい。
例えば芥川とか直木とか、半年に一度生産されてゆくのだが、数年前のその方を覚えているということも、ほぼないのである。
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2006年07月29日

どうでもいい:パート2

黒崎@どうでもいい:パート2

同じような理屈が何度もくりかえされているが、それでどうにかなるかというと、そう旨くはゆかないだろうと思っている。
今はライターになっているという誰かが、戻ってくるかどうかについても、どうでもいいという気が強い。そのことは前にも書いた。
戻ってきても、今までのような居場所はないだろう。
人生の転機というのは誰にでもあるが、今までのツケを払う時期がきたのだということである。

時々私は、名作「麻雀放浪記」を読み返す。
それは悪漢小説なのだが、技術の習得が本人の身を滅ぼしてゆく世界があるということを示唆している点で、ゆるやかに苦い。
作者の阿佐田哲也さんは、別の青少年向けの随筆で確かこんなことも書いている。
全部勝とうと思ってはいけないこと。何処で負けるかを考え、ひとつだけでも勝ち越すこと。フォームを作ること。
それから、勝負のベースにあるものは、誰かから意味なく愛されたことがあるという無意識の記憶であるということ。
忘れているかも知れないが、誰にでもそういう瞬間というのはあった。

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posted by 黒崎 at 09:34 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

走る

黒崎@走る

ちょっとうんざりしたので、赤坂から別のところに廻った。
黒ビールとコヒバの短いのを貰って漠然とする。
前に顔をみたバーテンダーが、久しぶりですねと目の前をうろうろする。
私はバックからライカのM6を取り出して遊んでみた。
暗くて写らないですよ、と彼は言うのだが、それが写るんだよ。
F1,4 で1秒。手持ちでもいける。露出はネガだからそう厳密でもない。
チーというシャッターの音。それが楽しいという人もいた。

グラスに少し残し、車を拾って戻った。
個人タクシーの運転手は、しきりに左手をATのレバーの上で動かしている。
懐かしいのだろう。ギアの操作が。
今日はラーメンを食べなかった。

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二玄社から出ている「シトロエン」という本をぱらぱら捲る。
SMについて載っている。
マセラティのエンジンが入っているものの、速度自体はそれ程でる訳でもない。
そういえば何時だったか銀座裏で、グリーンのメタリックのDSが火を噴いて、廻りに消防車がきていたことがあった。資生堂の辺りだったろうか。
勿論上海で、SMもDSも見たことはない。
あるのはメルセデスと、大量に派生したパサートである。
今のクラウンも時々はみかける。
上海の高速は、たまに路面に穴が開いていて、人が落ちていることもあった。

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高い空

黒崎@高い空

忙しいのであるが、ひとつ書いてみる。
前に私は、ゲッベルスについての中公新書をここでとりあげた。
「歪んだモダニスト」とも言い、また、出来損ないの文士、であるともその本には評されている。

この辺り、鮫のヤローに書いてもらうといいのだが、例えば自分がライターであることにおかしな自負を持っている方というのがいる。
本来のプロ意識ではなく、致し方なく黒子になっているというような、自らの屈折がきちんと処理されていない方々である。
ネットというのは文章の世界であるから、そこでバトルをするとそういう方々に遭遇する機会は多い。

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ただ、経験的に言うのだが、ある種の劣等感をベースにした論陣、あるいは存在の在り方が異彩を放つのは、概ね40歳までである。
40になったら、何か別のものになっていなければならない。
体力的に言っても、数日の徹夜が可能なのは30代後半までで、そこから先は違うやり方になってゆく。
つまり、才能などというものは誰しも持っていて、毎年数万人ものレベルで生産されていて、そして消えてゆく代物でしかないのだ。

30代で不良を気取ることは簡単である。
が、40を過ぎてそれを続けることは、一方で愚かでもある。
片足をある種定番の世界に突っ込んでおかざるを得ず、そこではバランスが問われている。
定番の世界、というと誤解を生じるが、例えば虎ノ門のホテルの上にある食堂と、その途中の立ち食い蕎麦での素うどんとが、間断なく移行できる、同じ平面で語れるかどうかということだろうか。
素うどんを食っていても颯爽として、またはホテルの上で「これ包んでください」と言えるかどうか。
だからどうしたということもないが、世間は広いんだよということを言いたい。

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本来での意味でのプロに至らない、屈折したライター諸氏とのバトルは不毛である。
彼らは常に上目使いに眺め、他人の財布を覗こうとする。
本が出たことを喜び、名刺代わりに使い、それはそれでいいのだが、勤め人の癖にそれ以外のものになりたがろうとする。リスクを負わずして。
あるいは、同期が教授になり部長になってゆくことをねたんでゆく。
それは当たり前のことだが、高い空があることを忘れる。
社会というのは不思議なもので、理屈や偏差値だけでどうにかなるものでもなく、例えば飯の喰い方ひとつで評価されたりされなかったりするものだろう。
例えば酒の飲み方だ。金の払い方であったりする。

40というのは、男にとってひとつの転機であった。
これは黒崎の世代であるから、今はもう少し早いかも知れない。
その手前、じたばたを繰り返してきたのだが、男にも女にも、その時にとても世話になって、そのお返しは未だできていない。
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2006年07月27日

柄と品

黒崎@柄と品

黒崎は下品であると言われる。
何故なら、妙齢に「拭いたかあ」とか尋ねるからであって、それは大事なことなのだが、とりあえず市民社会では口にしてはならないのである。
「あ、便器にヒビ入った」
などと、口が裂けても言ってはイケナイ。

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柄は悪いが品はそうでもない。
という言い方がある。
この按配というのはなかなか口で説明できないものであるが、例えば悪い場所に遊びにいって延長して金が足りなくなったとする。
仕方ないわね、こんど持ってきて。
と言われることはそのどちらであろうか。
で、持ってゆくのだが、あがるだけの金はなく、三つばかり買ったケーキを置いてきたりする。

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全然話は飛ぶが、平べったくいうと文化の違いであろうかという気がしている。
これはガッコとか偏差値とは関係がない。
あれこれ擁護する人たちや、執拗に絡んでくる彼らを眺めていると、普段何喰っているのと聞きたくなったりして、別にいいのだが、牛丼と目の前で炎を燃やす甘いデザートを同じ平面で語ることはできないのだろうという予感がした。
悪いが、もうすこし奥行きのある文書を書いてもらいたい。
悪口にしても、芸が要る。
馬鹿じゃないだろうか、と思えるものも、タマには書きたまえ。
そして、どういったら良いのだろう、モノの哀れとでも言うんだろうか、移ろう季節の流れにも似た、後から読みかえせるものが少しばかりはあっても良いとは思うが、その中で自足している限りは似た者である。

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虹の楽園

冷房を強くした部屋で。
あるいは停まっている車の中で、なんというかアカル哀しい曲を聴いている。
夏だからだが、こういうのはまあ、薬などをやらないフリのJAZZでもあって、一定の層には受ける。
例えば進学校の不良あたりだろうか。
バド・シャンクあたりが続くといいのだが、それでは海辺へゆきたくもなる。
東金辺りはいいのだが、戻ってきてから車の下を洗わねばならない。

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2006年07月25日

酒場の馴れ合い 2

黒崎@酒場の馴れ合い 2

JTがやっているシガーバーというのがあって、ホテイ氏がパンフレットの表紙になっていた。
何時だったか連れとそこに入り、葉巻を選んでいるとその妙齢ソムリエが怖い。
うちはキューバ産が中心なんです、とか言う。
違うのもいいんだけどね。

トイレの手前にアルバイト募集の張り紙があって、そこで女性ソムリエを募っている。
成る程、バイトであるのか。
こういうカラクリが見えると詰まらないものだよね、と思いながら高いウォッカを一杯飲んで帰った。バーテンから名刺を貰う。
そこは連れが払ってくれて、この場合には男である。

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酒場の馴れ合い

黒崎@酒場の馴れ合い

酒場というのは、馴れ合いを楽しみにゆくところである。
勿論、相手も仕事であるから、つまりはごっこなのだが、この虚実を面白いと思えるまでには時間がかかった。
バーテンをからかう。軽口が返ってくる。
義理あるところには後から顔を出さねばならず、案外に職人の世界なのである。
が、そうした隠れ家はひとつかふたつあればいい。

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この酒一杯で、上とんかつ喰えるな。
と思いながら嘗めている。
モッタイナイ訳ではあるのだが、人生には無駄が必要で、例えば深夜の首都高速のパーキングで、都心を眺めながら缶コーヒーを飲むことと似ている。
別に何をしているわけでもない。
低糖タイプ、というのを選んでいる。
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クッキーの味

黒崎@クッキーの味

ばうー。
http://madammizushima.seesaa.net/category/402697-1.html

>黒崎さんであれば、ほんのちょっとでも紳士的なそぶりを見せればそれだけで見直されます。
とことんダーティーに登場した分、それより堕ちることはない。
お見事なイメージ戦略だったわけです。

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はい、言われております。
まず誤解があるとは思うんスが、元々はジェントルマンなつもりでおります。
年寄りに道聞かれて仕事間に合わないこととかあるしさ、セクハラはするけど別にやんなくてもいいしさ。
とことんダーティ、だったんスねえ。
黒崎ー、親は泣いているぞ。そろそろ出て来い。
家族もいるんだろー。

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ブログと大黒

黒崎@ブログと大黒

車に血道をあげるのも、時事問題で薀蓄を述べるのも、基本的には同じ平面で眺めることができるだろうと思っている。
要はパーツの寄せ集め、それをどういう切り口で見せるかという程度のことでしかなく、PCで言うならば、クロックアップの世界である。
はい、黒崎も暫く前に嵌まりました。水冷まではしなかったけど。
メモリにも相性があって、単に増設しても仕方が無いということを知るのはこの辺りである。

例えば無料ブログというのは、使う側からするととても簡単な仕組みである。
ほとんど無料の盆栽だとも言える。SNSもしかり。
大黒に集まっている彼らは、給料の2/3から4/5を車につぎ込んでいる訳だが、いわゆるアルファブロガーとかその他の方々も、時間的な経緯で言えばそれに近いところがあるだろう。
そこで名前を売って、ライターの仲間入りをするのか。本を出したりもするのか。
あるいは「ブログ界」などを憂慮してみせたりもするのだろうカ。
顔写真載せて、ナイロンのバックで俺は全てまかなっているんだぜと、世間に教えてくれる。
貧乏臭いもんだなあ。

私の居るところの界隈のスーパーでは、政治家を時々見かけることがある。
彼らもその時は紙袋を下げていた。
あ、先生どうも。その時は知らない顔をするのが仁義である。
トイレで並んでも、同じである。
おつかれさまです。
いや、どうも。
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大黒で

黒崎@大黒で

このところ車の話を書いている。
代替したAMGは、首都圏に生息しているのがそう多くないので、型番や色を書くと特定されてしまう。
首都高速のどの入り口から入ったか、などで大体見当がつくことと同じ理屈だ。
先ほど地下の駐車場に戻ると、前にもいたシトロエンのSMが停まっていた。
ハイドロの都合で、車高が一番低くうずくまっている。
私は自分の車を見ず、SMの方ばかりふりかえってエレベーターを待っていた。

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ガッコの後輩に電話をする。若い学生である。
おまえ、喪服持っているか。俺と背丈が似たようなものだから、いるか?
という按配で、やることになったのである。
週末、バイト帰りの奴を拾う。こないだ飯を奢ったので、今回は奢らない。
一回りするかと、流し、大黒埠頭へ入る。
ご存知の通り、大黒は車好きのメッカになっている。
奴は「とんでもないっすね」を繰り返し、黒崎先輩ゼッテー車欲しいっすよ、を何度か口にした。
おめー、就職もあんだろうに。でも仕方ないよな、と私は言った。


彼の父親は私と、そう歳は離れていない。
そのことを時々思い出すのだが、では大黒で踊っていたり、大音量でラップを流すトランクのスピーカーの彼らはというと、それも似たり寄ったりである。
このエアクリーナー、5馬力くらいUPすんのかい。
一人に聞いてみると、彼は嬉しそうに口上を述べる。
君、濱ナンバーだけど、何処よ。
そうかあのへんか。

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深追いについて

黒崎@深追いについて

男女の関係で、とりあえず女は逃げる。
男は追う。
適当なところで、躓いたフリをしたりして、男がくるのを待つ。
ある雨の日、ドアを開けて女が出てゆく。
うんざりしながら私がいくと、
「ここで何かいわないのっ」
とか、言われたことがある。

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何が言いたいかというと。
どうも女の腐ったみたいな策士があれこれをしていて、みていて鬱陶しい。
出たり入ったりひらがなで書いたり、テーマソングは「みなしごハッチ」である。
そういうものはねえ、それがどうしたボクどらえもん。ということになるのだよ。
相手の未処理の部分を巧妙に突いてくる、かのように見えて、手の内がバレているだけなのさ。他に手はないのかキミ。

前に私は、「月夜の汐路」という夜話を書いた。
ほぼそれが総括の一部だと考えているところもある。
登場人物の多くは、仔細に眺めてゆくとあまり興味の持てるような相手ではなかった。
鵜飼の鵜であったり、懸命に実績をあげようとしている雇われ社長だったりする。
非通知で900分話したという告知もあったが、似たもの同士の疵の嘗めあいか虚勢の張り合いの如くである。そして、どちらも友達にはなれないでいた。

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霧深き日

黒崎@霧深き日

遠回りをして戻った。すこし霧が深い。
車がきてから、暫く走り回っていて、大体のところは把握できた。
雨の前のC2で170.床まで踏むと瞬間的にはそのようになる。
もうすこしいける訳だが、隣に連れがいたのでやめにした。

私はかつて、自分の、あるいは友人の車で走り廻るに、横羽線を使うのが常だった。
東京の人間は羽横とも呼ぶ。
ここの短い直線で何キロでるのかを試すのである。
改造したスカイラインで180.Rの方ではなくてFRのノンターボだった。
ホンダのツインカムで160.羽田出口でブレーキを踏むとそのホンダはパットから白煙を噴いた。MGBでそれをやろうとして、途中でエンジンが止まったことがある。
今、横羽にはループコイルが数箇所埋まっているので昔のようには飛ばせない。
ダッシュボードに貼り付けたレーダが、慌しく鳴る。
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ローリング族取締り中、と書いた電光掲示板が出ている。
私もそうかなと思いながら、パーキングに入ろうとする。
三菱のPCが二台、入り口を塞いでいて今夜は駄目であるらしい。
暫く、羽の生えたPCの後を付いて廻った。60のところ80で流す。PCがそうなのだから、そういうことなのだろう。
目黒方面へ流れ、VR-4のPCとは別れる。
何時からか、警官の方が年下になってしまっていた。

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2006年07月21日

レリーズ

黒崎@レリーズ

夜の風景を撮る時は、ほとんどマニュアルである。
つまり、シャッターの開いている時間を腕時計などで測る。
30秒まで自動でやってくれるカメラもあるのだが、大筋ではそれでいける。
それ以上になると、ファインダーに目隠しをして、腕時計を眺めたり、煙草一本だからと思い出したり、つまりはやってみないと分からない。

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男でも女でも、その厄介でも。
寝てみなければ分からないことがあって、実をいうとそれだけでもない。
飽きたかな、という頃合、彼もしくは彼女の食事の仕方にひっかかるものがある。
そうなったら、一息を入れる訳だ。
暫く馴染んだ後、相方が入った直後のトイレにゆき、香るような気配を感じたとする。
まあ、いいかな。一生懸命生きているな。
と思えたら、もう暫く続けてもいいのではなかろうか。

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見切千両

黒崎@見切千両

ネットの世界では、それが基本であるという。
簡単に言えば「粋と野暮のあいだ」ということになる。

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若い頃、私は狐顔の女が好きだった。
いわゆる美人に思えたからである。
最近はどうかというと、まあなあ。ともいえるな。
君は笑わなければ美しい。
何時うんこをしたのかと尋ねたくもなるが、生理前は仕方のないことでもあった。
何時も白いスーツを着ている中年の女も、考えてみると鬱陶しい。

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不良の安全

黒崎@不良の安全

本牧の辺りで漠然として、港の辺りを一枚撮った。
三脚などは使わず、カメラをそのままコンクリの上に置く。
そのために、カメラの底にはガムテープが貼ってある。
普段、一眼レフのデジカメを使っているのだが、この場合には古いF-1である。
コダクロームの64を入れ、グローブボックスに入れっぱなしにしてある。
当時のキャノンのFDレンズは輪郭が柔らかく、色の再現性もほぼ統一はされていた。
が、AFの時代になってから、私はニコンを使うようになっている。

コダクロームというのは、ドイツ表現主義のような色をしていて、風景とか車とか、重みのある物を写すに適している。
妙齢をそれで撮ると、しばらくは恨まれるだろう。
そんなことはどうでもいいのだが、川崎の辺りで降りて不味い牛丼を半分だけ食べた。

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ゆるやかに歳は取ると思う。
頭に白髪が五本あると言われた。
30代の頃から金玉に白髪があって、抜いてくれと頼むとそっちの方を担当されて困った。痛いのである。
歯を磨いていると、時々吐き気がする。
もう酒やめた、とその時は決心するのだが、夕方になると忘れている。
弾は一発というが、別の場合にはやぶさかではない。
と答えて灰皿が飛んできたこともあった。

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ネットばかりをしていると、現実感がなくなってゆく。
仮想人格も顕れたりするが、なに、ネットとはひとつの舞台なのであって、実像とは微妙に色が違う。
ゴムつきのネットがあってもいいだろうという気もして、そういえば黒崎にも家族があるのだった。

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水の日

黒崎@水の日

ここ数日、夜になるとひとつ前のAMGを走らせている。
いわゆるテストということなのだが、昨夜はつい朝になってしまう。
コースは都心の首都高からC1とC2、それから湾岸への道のりである。
前の車がFFだったものだから、ついタックインをかけてしまう。
そうではなく、滑ったら踏むのだと思い出すのに時間がかかった。
緩やかに斜め。

トンネルの下りで昔の新幹線の速度を出してみる。
ちょっと振れる。
エアか。
それとも、ステアリングダンパーがやれてきているのか。
20キロ落とすと安定して、大黒埠頭へと曲がった。

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どうってことはないのだが、このブルゾン、雨を弾かなくなっている。
それはそうだ。15年くらい着ている奴だ。当時のアウトドアのそれは中国製ではなく、肩からバックをぶらさげていても、ササくれだったりしなかった。
すこし濡れたままのベンチに腰掛けて煙草を吸う。
最近私のパンツはユニクロで、靴下も黒いそれである。同じものをまとめて買う。
同じだから楽なのだが、色落ちした後、左右で色がすこし違うときがあって困る。

大黒にはL型の奴らが未だにいた。
あるいは、ローライダーの連中もいて、エアポンプの出来を自慢し合っている。
土日が休みでない彼らもいる訳だから、単に遊んでいるともいいにくい。
ぽつんと離れたところに古いカマロがいて、格好がいいものだから近づいてみる。
何年式?
と尋ねると、ほんとはね、69がいいんだけどね、と彼は言った。
だよな。

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2006年07月17日

女すわれる粗莚

黒崎@女すわれる粗莚

六月の女すわれる粗莚(あらむしろ)

石田波卿の句である。焼け跡の情景。
バラックか掘っ立て小屋か、侘しさを通り越したすさまじい貧寒さが浮かぶ。
少女や老婆ではなく、どこか生々しい気配。
今は七月であるが、六月もまた蒸し暑かった。

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2006年07月16日

雨の名前

黒崎@雨の名前

という本があって、手元に置いてある。
今年は除湿機を使わなかった。
すぐに暑くなったからかも知れない。

さて、色々あるのだが、やや脇道にそれかかっているようにも思える。
それはひとつの手口だろう。
水面下で繋がっていることははっきりしたようだが、まあ、そんなものは放っておけばいいのであって、あの悪文で名誉が回復されるというのなら世の中はこともない。
保護者とともに子供のおつかいを繰り返し、それが実績だと考えることも同じである。

一見華々しく見えることの背後に、実態というかある方向への予兆というのは含まれていて、それは表から眺めていてもなかなか分からない。
緩やかに自らの首を絞めている場合もある。

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赤い月

さて、コメント欄の3.
低いところにある月は、時々赤く見えますな。
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2006年07月14日

月夜の汐路

黒崎@月夜の汐路

黒崎と鮫島は古くからの流しのコメンターであるという話があった。
たいそう嫌われているという。
私はにやにやしながら眺めていた。まあなあ。
「こっちこないで、妊娠するから」
とか電子的に言われたことを思い出す。

「産まれてやる」
と、おねーちゃんのスカートの中に頭を突っ込んだという話もあるが、いずれにしてもそれはココム違反である。話には尾ひれがついていた。

ネットに書くときというのは、誰しも、何処かで某かを演じている。
実名であろうと、固定ハンドルであろうと、あるいは通りすがり(偽者本物)であろうと、そこには実際の自分からいささかの距離があって、その距離の測定が問題になってゆく。表現とは基本的にそういうものだ。
簡単に言えば、ひとは無意識にある役柄を演じるのである。
もちろん、最後に戻るところは現実の自分でもあるのだが。

厄介なのはその演じ方である。
純情を装うことも、無頼を気取ることもこの世界では一時は可能だろう。
一時、と書いたのは、誰しも最後までは踊り続けられないからであって、多くのブロガーが息切れするのはその題材に困るからばかりでもない。

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前に私は誰かのことを、セルフ・ブランディングに失敗した、と書いたことがある。
遡ってこの「夜話」を読んでいただきたい。
大雑把に言うと、今回の問題というか騒動というか一連の件の登場人物で、スマートにオウム、あるいは誰かを擁護しえた人物は一人もいなかった。
どちらかといえば一様に無様であって、例えばネットに貼られているその人物の画像一枚を30秒ほど眺めているとそれがゆっくりと滲んでくる。
なんだこういう顔をしてこういうことを言っているのか、と認知してゆく。

つまり、それが男だとして、ダンディな奴は一人もいなかったのではないか。
何処かしら田舎臭く、上昇志向に見事に溢れ、機会があればあちこちに顔を出したいとは思うものの、その効果まで考えは及ばない。
具体例をあげれば分かりやすいのだろうが、割愛する。

総じて、美男・美女がいなかったな、という気がしている。この場合の定義は広い。
渋い中年も、すこし大人の女も見当たらなかった。
いたのは、というと、これは読者の方が十分にご存知だろう。
そうした物語が面白いかというと、実は退屈で、黒崎としてはこのまま悪役でいいのだろうという気がしている。

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2006年07月13日

たまの陰干

黒崎@たまの陰干

「加賀まり子における生意気の研究」という本を吉行淳之介さんが書いていた。
(ホンキにしないように)
その癖、徹底的に淳の字とかおちょくられていた。
格好がいいとか悪いとか、そういう話が少しあったが、それは年代と共に変わる。

格好いいオジサンになりたいと思った途端、何処かで安っぽくなってしまうもので、一度凝るだけ凝ってみて、それから忘れてみると宜しかろうと思われる。
あるときは屋上に出て、陰干しするのもよいそうだ。
のびのびせいよ。

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脇道で

黒崎@脇道で


一見気の強い姐御をからかっていると面白い。
案外に純情で、言葉をその通りに受け取っておられたりする。
いや、難しい方面の話ではないよ。

夜になって雨が降って、窓ガラスが曇っている。
それは結露というものだが、この季節、海に降る雨というのもなかなかである。

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俺だけが

黒崎@俺だけが

続けてうんざりしてもらう。
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1747047/detail
ここを読んでゆくと、この方の思想というか今の時代をどう捉えているかが滲んでいる。
>そもそも、日本のモラルといわれたものが、本当にモラルだったかも疑問だ。モラルという名のもとに、独自の論理で利益誘導し、人にろくでもない道徳観を押しつけることがまかり通る日本社会が、批判にさらされてきたのではなかったのか。だからこそ、えたいの知れないモラル中心社会から脱却して、ルールに基づいてみんなが納得できる社会を目指すことを政策課題としてきた。

モラル対ルールという構図。
既にそれが間違っているのだが、いちいちそれを指摘しない。
一読して分かるのは、非常に浅薄な理解の下に社会を語り、そしてライブドアの堀江容疑者などに心情的に肩入れしていたということである。
他の記事に比べて、このインタビューではやや本音が滲んでいるように見える。
「ろくでもない道徳観を押し付けることがまかり通る日本社会」
と、いう表現が、実に40代中ほどの人間から発せられるとは、なかなか思いにくいところもある。これは世に受け入れられない時代の青年の台詞ですよ。
穿った見方をすれば、かつて関わった組織の中で、これでは結構な摩擦があっただろうと容易に推察もできる。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
ここで先の別のひとの記事を引用してみる。
http://www.itmedia.co.jp/bizid/articles/0606/27/news006.html
>これまでは組織に適応した社会だったが、これからは1億人がライバル。英語を喋れれば世界中がライバルになる。課長、部長だけが相手じゃなくなる。僕自身も思考を変えなければいけないでしょう」。

裏返して読むと、今現在は実に課長・部長が相手であると告白しているに等しい。
上記、並べて読んでゆくと、どこか相通じる志向性・方向が透けて見えていることもお分かりだろう。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

陳腐な社会認識。
それは文化などへの理解にも通じるものだ。ではグローバリズムなるものが果たして歴史の必然なのか、アメリカ型社会が理想なのか、アメリカの具体的な市民の生活はどうなっているのかなどについての考察は乏しいのである。
勿論、日本文化についてもステレオタイプの理解でしかない。

不思議に思うのは、それだけ否定している旧来の日本的なモラルや規範。例えば出身校であったり職歴であったりを、この方は忠実になぞって取材記事に援用したり、自らを紹介したりしている。
元○○新聞という肩書きを省いてその記事を読んでみると、果たしてどれだけの方が成る程と思うものか。
傍から眺めると、自らの都合のいいところだけを使っているようにしか思えないのである。

こういう存在というのは何時の時代にもいた。
昨日まで八紘一宇を唱えていて、明日には赤旗を振るようなタイプである。
坂口安吾は、それに対して激しい拒否反応を示し、池島信平は影ながらそれを支援した。
唱えている思想そのものでなく、人間のタイプとして捉えると分かりやすいと個人的には考えている。
posted by 黒崎 at 15:15 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

2006年07月12日

ひばり

黒崎@ひばり

エレニ姐が、夏バテのようである。
念力でタウリンとヒジキの煮物でも届けてやりたいものだが、そうもゆくまい。
けろやん氏が茗荷がいいと言っていたが、彼は幽体離脱できるだろうか。

タウリンを飲みながら、仕事をしていた。
自宅に戻ってきて、美空ひばりのCDを聴く。
「わたしは街の子 巷の子」
チマタの子、と言ってしまっているところが凄い。
白いJazzボーカルもいいんだけどね、ひばりさんの歌は時々基本だと思っている。
posted by 黒崎 at 21:07 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

大言壮語の髭を見よ

黒崎@大言壮語の髭を見よ

http://www.itmedia.co.jp/bizid/articles/0606/27/news006.html

>「人は組織に囚われている」というのが藤代さんの考え。「上司にイライラしたり、この会社は歩みが遅いとか思っている人は少なくないと思いますが、実は狭い世界での話ですよね。トヨタだって6万人です。どんな大きな会社だって数万人しかいません。ところが日本という国を考えれば1億人以上いますし、世界中ということであれば60億人もいますから」。

中田英寿やイチローを尊敬する。「日本の1億人どころか世界中を相手にしている」からだ。「ヒデにしてみても学ぶべきところは多い。公認会計士の勉強をしていたり、自己研鑽に努めている。これまでは組織に適応した社会だったが、これからは1億人がライバル。英語を喋れれば世界中がライバルになる。課長、部長だけが相手じゃなくなる。僕自身も思考を変えなければいけないでしょう」。
(略)
基礎的でロジカルな学問を大事にして多くの人を説得できるようになりたい。若い人の目標になるカッコいいおじさんになりたいですね」と笑った。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

冷静に眺めてゆくと笑えるのだが、遠くからならそう失礼にもあたるまい。
彼は論理的な思考力が乏しいと自分で自覚している。
それは引用した部分にも既にして顕れている。
カイシャと世界の人口を比較してどうするの。

(略)とされているところに自戒の言葉が掲載されているので、興味ある方はどうぞ。
でも、今流行りのものだけでなくて、別の本も読んだ方がいいよ。
説得するばかりでなくて、人の声もきくことだよ。

40、50代になって、格好いいおじさんになれるかどうか。
それまで生き延びられるかどうかが、まずは前提だろうか。
この画像を見る限り、存在からオーラが滲む可能性はかなり薄い、というのが黒崎の見立てである。

#中一コース氏、これでいいかな。
posted by 黒崎 at 20:44 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

蒼ざめた豚を見よ

黒崎@蒼ざめた豚を見よ

暑いのであまりこういう画像は紹介したくないのだが。
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1747047/detail
倫敦橋氏のところで、端的にまとめられていた。

ま、いいんですけどね。
多分この方はご自分を「野武士」と思われているのだろう。
在野精神でございますか。
そういうご自分の願望の投影でこの記事は構成されてもいた。
これが「のぶせり」という表現になるとまた違う。

http://blog.japan.cnet.com/sasaki/2006/07/web20.html
>そう話すのは、山崎徳之氏。そう、ライブドアの前代表取締役だったあの山崎氏だ。

ここで読者は「そう、」という単語に注目していただきたい。
こういう使い方は、定番と言えるが、ベタという声もある。
それから、出身ガッコを全部列記しているところも面白い。
読者が知りたいのはそういうことばかりでもなく、例えばライブドアの株主や投資家に対しての責任などについて、彼らがどう考えているのかなどには一切触れない。
総括はせずに次にゆく。なかったことにしてゆく。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

簡単に言えば、この方々はジャーナリストではないと捉えるのが世間一般の常識だと思われる。
IT業界のライターさん。
湯川氏が自らを「IT記者」と定義していたが、フリーのIT記者と考えるのが妥当だろう。
商売ですから、ヨイショもするでしょうが、まあねえ、個人の好みも入っていたりして、その辺りがどうも野暮ったくて仕方ないのである。
posted by 黒崎 at 20:11 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

2006年07月10日

余所者

黒崎@余所者

finalvent氏がいい文章を書いている。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20060710/1152489601

成程、そういう視点からだったのか。
と了解する一方、薄っすらとした哀しみもあって、それが何処からくるのか分からないでいた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

RCサクセションに「余所者」という歌がある。
名曲だと思う。
梅雨の明け切らないこの季節、重い海を眺めながら聴く。
あるいは、駒澤公園の辺りのコンクリの橋げたにもたれ、そのヒビ割れなどを数える。
遊んでいる若者や子供たちがいて、下手なサックスを練習している彼もいたりした。
大抵はコルトレーンである。

自分がどう生きてきたのかということになると、とうてい数えきれない。
手にしたものは、某かの代償を払っていて、甘いだけの結末を見たのは、近くではほとんどない。
何時だったか、昔遊んだ女がそこにいて、こちらを眺めている。
あれ、彼女はあの時ふたまたをかけていた。その相手と一緒になった筈だ。
隣にいるのは誰なんだろう、と訝しい気分が起こったが、そろそろ夕暮れである。

posted by 黒崎 at 19:43 | TrackBack(1) | 夜話 | 更新情報をチェックする

茅ヶ崎で一服

黒崎@茅ヶ崎で一服

まだ混み始める前の海にゆく。
コンビニがあってそこに車を停め、階段を下りて砂浜に出る。
匂いだけを嗅いでまた戻る。

夏が近いというのに、BB氏に執拗に書いてくる方がいた。週末だけのバトルである。
それが誰であるのか、皆分かっているのだが、あまりに無惨なので口にしない。
80年代に全盛を向かえ、その後生き延び、そして今がこうなのだろうと思う。
つまり、誰も読まない、もしかすると執筆者の方が多い雑誌の中で遊んでいられた頃が懐かしいと。

友人に赤門を出て今首都圏の大学で助教授になっている男がいるが、時々雑誌などで名前を見る。国費留学の経験があって、その頃の連れが編集者だったのだ。
女性雑誌に向こうの文学のことなどを紹介していて、成程商売がうまいねと仲間内で語り合った。
あちこちの大学に残った奴らは何人もいるが、不思議に会合には顔を出さない。
時々、義理事で一緒になる程度である。
そこである男がパートタイムの芸者に荷風のことを論じていた。
すると芸者のひとりが荷風全集を持っていることが分かり、なんてこったいの世界である。
私は誰かから借りた金色のコンタックスを持っていたので、彼女のうなじを何枚か撮った。

一般に、若い頃に全盛を迎えた男は辛い。
後は欠けるばかりだからである。
空白の10年、と言われてそれ以上になるが、その中をどうシノいできたのか。
分からないし興味もないが、ただあの文章は下手である。
そして、分からないことはこちらが悪いのではなく、書き方がまずいのだということに皆が気づいているのがネットの時代でもあって、そこでは既に属性はフラットになっている。
フラットに悪文。

個人的に思うのは、恐らく彼がある面で限界を迎えているのだろうということだった。
だとすればだ。
向かう方向も違う。
他人ごとではあるのだが。
posted by 黒崎 at 14:06 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

2006年07月08日

排骨炒飯

黒崎@排骨炒飯

と、春巻が好きで、中華街の外れでよく食べる。
独りで黙々とである。
たまに連れがいたりすると、骨付のアバラ肉を分けてあげる。
で、そろそろいこうかということになってゆく。
その店は野菜スープも旨い。

しかしまあ、うろつかねばなるまい。
夏ダカラな。

posted by 黒崎 at 13:55 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

今頃の港

黒崎@今頃の港

マドロスに惚れるならフランス映画
シガレットくゆらせて ジャズなど聴いて

とかいうノー天気な歌が小林旭にあるのだが、作詞は確か星野さんである。
今頃の本牧界隈は、別にどうということもなく灰色で、バブルの頃に建てられたショッピングモールが黄昏れている。
昔悪さをしにいったBUNDホテルは既になく、安売りのスーパーになっているのが時勢だ。
ところで、BB氏がわかりやすーく、レジメをまとめた。
http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2006/07/post_e63f.html
そういえば、ume氏は元気にしているのだろうか。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
ふらりと眺めると、アレフブロガーの時代で、黒崎への紹介文が修正されていた。
http://alephblogger.blogspot.com/2006/06/blog-post_24.html
>黒崎
藤代裕之や泉あいなどのネットジャーナリズムもどきを実践する人々にツッコミコメントを入れ、その質の悪さをあぶりだす達人。味のある語り口で、じわりじわりと本質に迫る。

思わず笑ってしまうのだが、何時の間にか「達人」になってしまっていた。
じわりじわり、というのは黒崎用語で「じたじた」という意味だろう。

また、London bridge でも今までの経緯が端的にまとめられている。
http://belena.blog70.fc2.com/blog-category-5.html
佐々木氏を「ただの危険な馬鹿」とゴシックで指摘しているところがおかしい。
この方も詩を愛好されながら、言うべきことは言う。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

ま、何が言いたいかというと、BB氏がまとめた事案は、いわゆる敗戦処理に関するものだと考えればよいのだろう。ポツダムでなされたそれである。
これはリアルな戦争ではないが、そして明白な勝ち負けもないのだが、実質的にはほぼ勝負があったと捉えていいと私個人は考えている。
相手方はこちらを論破することができなかった。
新たな賛同者が市井から出てきたりはしなかった。
泉氏のところも、ビジネスモデルとしては明白に失敗しているだろう。
読者がコメント欄で沸かないのだから仕方がない。

それは逆もそうだろうと指摘する方もおられるだろうが、立場が違うんでね、こちらは決して自らをジャーナリストと名乗ったりしていない。過去の職歴で飯を喰ってもいない。ヒルズ紳士録などという、誰がみても提灯記事が明白だろうと分かるような本を履歴に載せたりはしていないのである。
向こうは商売であり、こちらはユーザーである。新自由主義ですけん、市場の原理に従う。残念ながら彼らには人気がない。

デジタルジャーナリズム研究会というものがあるそうだが、その一部の方々が今回の騒動では押並べて参戦し、そして敗退あるいは沈黙した。安いプロバガンダはしくじったのである。
リアルな世界では誰も知らない、とその影響を軽視する方もおられたが、それは貴方の名前もそうでしてね、そうしたセミナーや研究会での発言も、一部コップの中のさざ波である。来年には誰も覚えていない。覚えているのは日経BPの携帯が大好きな記者だけであろうか。
ここで読者は、湯川氏や藤代氏の発言の舞台がBPであったことに注意してもらいたい。日経の本誌ではないんですね。暖簾だけ被さっているものの、別の組織です。
この微妙な按配は、鮫のヤローが以下にまとめてある。
注意深い読者ならば、何を示唆しているかが分かるだろう。
http://blog.livedoor.jp/soul_shadows/archives/50206851.html

posted by 黒崎 at 13:13 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

2006年07月07日

色気について

黒崎@色気について

全然話は飛ぶが、今回の件に登場する方々の文章を思い出すと、実は大して心に残るものがないことに気づいた。
つまり、色気がないのである。

ジャーナリストの文章にそんなものは不要だと思われるかも知れないが、彼らのやっていることは批評であったりコラムであったりもする。
つまり、事実から零れた部分をどう料理するかという余白のところが問題であり、概してパターン化されているかのようにも思えた。
そのパターンについては省略する。

では色気とは何なのかというと。
負けることを知る、あるいは内包しながら先に進むことだと思っている。

posted by 黒崎 at 20:20 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

E28のM

黒崎@E28のM

80年代の箱のようなBMWが好きで、それも5シリーズである。
二台ほど眺めにいった。
M535というセダンがあって、最高速は210。まあまあ今でも使える性能である。
安いのだが、仕上げるに結構時間がかかる。外装で約50.シート張り替えて、んーと。
その店には635などもあって、心動いたのだが、6シリーズは故障が多いと店長は言う。

それから埼玉の辺りにアルピナがあって、そちらは200半ば。都心で使うものだから、ATであることが前提だった。Mは常にまわしていないと面白くない。
90年代に入ってからのBMWは妙に気取っていて、私にはピンとこないところもあった。

車など、どうでもいいという気もするのだが、この洗車料金でとんかつ喰えるなと何時も思うのだが、なかなかそうはゆかず、ええい面倒だとトヨタを捜そうとする。
ところが、何時の間にか捜しているのは、アベンシスの素のものだったりして、これじゃオペルと変わらんじゃないかと反省をする。

懲りすぎてもいけない。かといって全部手を抜いても面白くない。
道具に対しての距離のとり方というのは、結構厄介な代物である。
ここで強引に話を流すと、ブログやSNSなど、技術に対してのそれだと考えればいいだろうか。

posted by 黒崎 at 19:50 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

七夕の夜

黒崎@七夕の夜

夏風邪をひいたようだった。
「身体がだるくて仕事がしたくない。若かった日々はもうかえってこない」
と、書くと「死の棘」の作者、島尾敏夫さんの日記になる。

エレニの姐御が開き直りつつ無敵のようである。
こういう性格だから仕方がない。こうなったのは小学校3年の頃からなのよ、と言われても、我々はドウシタラヨカロ。
かといってこの方もどこか愛嬌があるので、皆に「寄ってたかって」ということになるのである。
名作「麻雀放浪記」でオックス倶楽部のママは、加賀まり子さんが演じた。
映画の方である。
加賀さんはその後東京都のCMに出て「東京都のみなさんっ」とゴミの分別をお叱りになっていた。確か青島時代だったように覚えている。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

昨日、第三京浜のあたりを、小林旭を流しながら走っていた。
曲名は「お世話になったあのひとへ」
「自動車ショー歌」などである。
この車ももうじき終わりで、その後はひとつ前のAMGに変わる。
型番は書かないでおこう。いずれにしても、ややマニアなそれである。
走行が3万台。エナペタルのビルシュが入っていて、ロイ氏のところのブッシュが組まれているので、40キロ程度ではやや硬い。リッター3500くらいのオイルが8くらい入るそうだ。デフの辺りはまだいけるのだろう。
私は走り屋ではないが、湾岸ができる前、C2が開通する手前には、首都高速内回りを漠然と流していたこともあった。
霞ヶ関トンネルでは減ったタイアの故か、尻が流れるのです。
タックインとも言う。
でも100を超えての斜め横というのは、生きているって素晴らしいと思わせるものがある。

posted by 黒崎 at 19:27 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

2006年07月04日

遠くから眺める

黒崎@遠くから眺める

で、どうすればいいかというと、暑いので生理不順になりやすく、そうなるとタイヘンなことである。
そういう話をしているのではなかった。

幾人かの登場人物に関して言えば、遠くからその発言・行動をじたじたと眺めていればいいのだと思われる。
ネタがばれた後の奇術師の背中ほど哀感を覚えるものはない。
口説いてみたら中が広い場合と同じ按配だろうか。
あるいはポロシャツの襟を立て、ダダ漏れ黒崎と揶揄されたあの夜のことだろうか。

匿名っていいなあ、こういうことも書ける。
んで、後から某新聞社のえらい方が、メールをよこして、あれはまあ、公には言えないですよねとか。読まれているのである。
恐れ入ります。と私は返信をする。

つまり何が言いたいかというと、大体ばれてしまっているんだからさ、今更知っている単語を全部並べてみても仕方ないだろうということである。
posted by 黒崎 at 14:44 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

塾帰りの大人

黒崎@塾帰りの大人

エレニの姐さんが切れている(笑)
http://d.hatena.ne.jp/Ereni/20060703
R30さんを見ていると、いろいろ思う所はあるんですよ。彼の幼稚さとか、甘さ、頭の良さ、繊細さ。そこから来る優越意識に、狡さ、世渡り、自意識の強さ。現実を知らないから、他人の姿が見えなくて、軽く扱う傾向が強いですね。他人を軽く扱っているのは簡単に人に見抜かれるんだけど、本人はそれに気付いていない。
これは泉さんにも違う意味で言えるんだけど、繊細さから来る少数派意識が、人を見下す方に行ってしまう。彼ら二人とも、松永さんのオウム的要素にシンパシーがあったでしょう。被害者意識も松永さんと共通しているし、泉さんの当初の反応にはそういう要素が顕著に出てましたね。

オウムの危険性にピンと来ない人たちは、皆多かれ少なかれ幼稚な部分があって(小飼さんについては、ちょっと違うんでしょうが)、なぜこんな馬鹿に付き合わなければいけないんだと思います。我慢してやっているけど、それはどうしてもありますね。
松永さんも幼稚さを持っているし、彼は人や社会の良心を虚仮にしながら、当にそこを利用する。それがオウムのやり方ですが、こちらはわかっていてもある程度それに乗らなければいけない。

R30 さんの今回書いた事を見ていて、こんな馬鹿になぜ振り回されなければならないのかと思ったんですよ。人の書いた事をまるっきり読んでいないし、ちょっと頭が足りないのかなとも思った。今回は、たまっていた苛々がちょっと出たかもしれないですね。もう彼らを批判する必要はなくなったと、エントリにも書いたつもりだったのに。

こういう事を延々と続けていかなきゃいけないことには、うんざりします。私は元々我慢の聞かない性格だし、こんな連中に振り回される謂れはねえよと、やはり思ってしまいますから。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
鮫のヤローも書いている。
http://blog.livedoor.jp/soul_shadows/archives/50209900.html#comments
おなじみ、けろやん。も愛に溢れたエントリーを掲載していた。
http://d.hatena.ne.jp/keroyaning2/searchdiary?word=%2a%5b%a4%b3%a4%c8%a4%ce%a4%cf%c1%fb%c6%b0%5d

ま、なんと申しましょうか「人生が四谷大塚」というのはその通りであろう。
どんな思春期を送ったのかも、漠然と想像できる。深夜、塾帰りの自転車。
父親のようにはならないと道を選ぶが、その彼がやった博打は、ITバブル以後次第に減額される年収に見切りをつけた一大転職であった。けれども、その向いている方向が先の通りである。一昔前なら、船井さんとか大前さんとかのとこでありましょうかね。
そういうタイプの方は何時の時代にもいるもので、お疲れ様としか言いようがない。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
さておき。
私も、エレニの姐さんと基調を等しくしている。うんざりという点については同意。
エリート意識とコンプレックスは裏表であるが、その相対化が旨くできていない方々がとても多いような気がしている。自腹を切って酒を飲む間柄には決してなれそうにない。
いい時しかトモダチごっこをしてくれそうにないことが、分かるのである。新自由主義ですけん。

そういえば某氏がBB氏のことを「社会的地位」云々、と公開メールに書いてきていた。
なんともはや、という印象を持ったのだが、氏はそのことを一番気にしているのだろう。セレブとか高学歴の上げ底とか、あれこれとか。
幻想を売る。
幻想の中にいることにも気づかない。
そういえばいつか、すこし遊んだ妙齢中ほどが「人間交差点」って面白いよねと言っていた。

posted by 黒崎 at 12:37 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

2006年07月03日

愛と勇気の若作り

黒崎@愛と勇気の若作り

http://money4.2ch.net/test/read.cgi/venture/1021366528
なるほどねえ。そうだったのねえ。
あまりにベタな展開でいささか呆れているところである。
カルト資本主義という本があったが、ま、そういうことなんでございます。
彼と彼はセンノー友達なのかも知れない。

しかしね、ここで何度も言うが、顔写真を出すのならプロのカメラマンに頼んでからにした方がヨカロ。松岡正剛さんの如く。
視覚的なイメージは大事っすよ。実は嘘であっても。

posted by 黒崎 at 23:28 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

お嬢ごっこ

黒崎@お嬢ごっこ

どうも彼女は育ちがいいのだということにしたがる一部の方がいて面白い。
かつて、美空ひばりの母親が、ひばりを「お嬢」と呼ばせたことを思い出す。
こちらにはやや愛嬌があるが、その後に一抹の寂しさも、こちらが今となっては感じるからであろうか。

とりまいていた彼がそう呼ぶのか、呼びたいのか。
友人に何かというと家系図の話をする呉服屋がいて、同期なものだから隣から茶々が入る。すげーなあ、それどこで売ってたんだ。
ま、いいんですけどね。チューハイおかわり。

posted by 黒崎 at 18:59 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

寝言自慢

黒崎@寝言自慢

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20060701#c1151839440

ひさしぶりである。
忙しかったのである。
さて、上記コメント欄を眺めると、偏差値の高い馬鹿というバブル期に大量発生した人種は、今も健在であるらしい。
人生は背伸びだ。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
今の現状をどう捉えるかというと、鮫のヤローがコメント欄で言っていたが「周知・啓蒙」の時期であろうかと思われる。
表面的な派手さはともかく、泉氏のところはほとんど実効性がない。アクセス数でいったら、当初の予想の数分の一程度だと思われる。
この辺り、一定の梃入れをした形跡もあるが、そうなると社を挙げてのじたばたであって、いわゆるサラリーマン社長などが考えそうなことでもあるのだが、つまりは功を焦っている。どんどん派手にやってゆかざるを得ない。

ま、その前にカメラマンをどうにかした方がいい。
せっかく時間を作ってくれた方に対しても、あの出来ではいささか失礼にあたるものだ。ブログに流すだけではなく、DTPの雛形などに流し込みPDF化するなど、コンテンツを蓄積することでありましょうな。自らの宣伝に使えるだけの質とデザイン。
というコンサルをここでタダでしてみた。ブログであればいいってもんじゃないのです。テクノクラート出身の方はどうもこうした発想が乏しい。

さておき。
例えばこの辺りのサイトがいい検証を続けている。
http://belena.blog70.fc2.com/
http://alephblogger.blogspot.com/
こうした動きというのは、3ヶ月前などには考えられなかったことである。
周知・啓蒙には時間がかかるものだが、笛吹けど踊らずの空気は次第に色濃くなっているものだと思われる。
posted by 黒崎 at 18:47 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

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