2006年06月24日

チーママ、愛

黒崎@チーママ、愛

分かりやすい結果。
を出したいだけなのだろうと思われる。
そうしなければ、吸収合併されたあちこちに対して申し開きができないからだが、どうも迷走を深めるだけのようでもある。
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迷走王、ボーダー。
という漫画は、バブル期に残された名作のひとつであるが、途中からユングとかに凝ってしまったので、ま、なんですわね。流行りモノを取り入れた結果になっている。
原作者のカリブマレー(漢字失念)は、関川夏央や谷口ジロー、かわぐちかいじ、ほんまりう、上村一夫、矢作俊彦、ら錚々たる不良中年とともに、能天気な80年代半ばから90年代を傾いていた。
その頃、「キリン」というバイク漫画の傑作も生まれている。

私はゲイのマスターが探偵役をする「ヘイ・マスター」という漫画が好きだった。
絵は上村一夫さんである。西巣鴨のガスタンク傍、その辺りが概ねの縄張りであった。
冬の西巣鴨はなかなかコクがあり、てくてく線路沿いを歩いていると、「神は見ている」と書かれた黒い看板が不思議に目に付いた。
養老の滝でビールを飲む。
店に置いてある、池田先生の記事が載った新聞を借りて眺める。

鮫島のヤローは若い頃、二丁目界隈で皿を洗っていたことがあると聞いた。
その頃から、世の中を斜めに見ている癖がついたのだろう。
二丁目に出入りしているからといって、そちらの趣味があるとは限らず、私もかつて妙齢本格派にゲイバーを奢ってもらったことが何度かあった。

posted by 黒崎 at 13:22 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

男は兵隊、女は女郎

黒崎@男は兵隊、女は女郎

車を代替しようと思っていて、あれこれしていた。
私はすこし古めのおかしな車が好きなのだが、窓が開かなくなるのは時に困る。
そろそろDD6辺りは、とも考えるのだが、12ヶ月点検で中古の軽が買えると知って躊躇ってもいた。
似合うかどうか、それはその先のことでもある。

エレニ氏が女性であると知って、驚いたことがある。
正確には驚いたつもりになっていたのだが、彼女はこのところ極めて鋭い分析を連投されており、こうした文章を書くひとが配偶者であったら毎日ムゴーイ目に会うのだろうと漠然と考えた。
考えていたら怖くなったのでやめにする。
http://ereni.blog70.fc2.com/blog-entry-5.html
http://d.hatena.ne.jp/Ereni/20060623#p3

上記でも指摘されているが、フレッシュアイ社の対応はおかしなものである。
単にプログラムが書けるテクノクラートが思いついてやっている(含む雇われ経営者)という程度のもので、結構ナンギである。
例えば写真を撮っている若いもんは完全に素人であろう。
後ろからコンパクトデジカメ差し出してどうするつもりであるのか。
もうひとつ言わせてもらえば、共産党の志井さんに聞くつもりの質問のイントロ、あれはほぼ反共プロバガンダであると、代々木シンパから壮絶な批判を浴びるものだと思われる。
バブル以後の島コーサクの作者も、盛んに北朝鮮の脅威を煽っていた。
つまり、俗耳に馴染みやすい論を前提にしているだけなのだろう。
実際に軍事的な脅威があるかどうか。「軍事研究」や「丸」ではどう分析しているか、一度くらいは目を通してもらいたいものである。

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世の中が不景気になって格差が圧倒的に進むと、終いにはこのエントリのタイトルと同じようになるのではないか、と、私は時々考えることがある。
つまり「男は兵隊、女は女郎」という台詞が、あながち悪趣味な誇張でもなく、既に実装されているかのような気になることがある。

女の値段は昔から靴一足だという説があるが、例えば始めの5分10分は無料である。
膨大に送られてくるスパムメールの大半は出会い系サイトで、中には泉氏がかつてやってみようと書いていたチャットレディのサイトもある。
覗いてみればお分かりのように、あえて低解像度のカメラで自らの顔とその辺りを写す。問題は声なのだが、こればかりは今のところ簡単に音質は変えられない。

アメリカでは軍に入ることで市民権を与えるという策が永く採られているという。
移民の割合が案外に多いのはそのためで、軍というのは圧倒的に階層社会である。
そして、底辺にいる者が最も戦地に赴くという構造は、基本的に変わってはいない。

港区界隈の一部屋が2億からする高層マンションの下に24時間のスーパーがあって、深夜時折立ち寄る。
若い妙齢がその前で何かを食べながら携帯で誰かと話している。
半額になった弁当を買って帰る30代の勤め人もいて、レジの横で携帯メールを打っていた。
ブログやSNSを覗いているのかも知れない。
posted by 黒崎 at 02:36 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

2006年06月22日

虫食いの茶番

黒崎@虫食いの茶番

蒸し暑さのせいか、やる気がしなくなっている。
あまりにクーダラナイ、結末と流れが散見するからであろうか。
泉氏の政治家インタビューは、今度は共産党の委員長であるそうだ。
何を考えているのか、オウムもマルクス主義も議員の民営化も、皆同じ土俵で語れるものだと思っているらしい。

以前、鮫島氏のところにニューズウォッチ社からの回答が載せられていたことがあった。http://blog.livedoor.jp/soul_shadows/archives/50201280.html
一見、泉氏が単独で取材やらなにやらをしているように見えるのだが、なんのなんの。
最近のインタビューの際には、きちんと「写真撮影・ニューズウォッチ」とクレジットが入っている。若いもんがカメラマンとして同行していることが明白である。
なんと申しましょうか、社を巻き込んでの茶番である訳ですな。
どうでもいいと申し上げる以外にはない。

どうでもいいと言えば、松永氏らしき人物を巡ってあれこれがなされている。
私は彼の活動にも精神生活にも興味はないので、眺めてはいない。
彼に文才があると評価する声もあったが、私にはそう思えた試しがなく、全盛期の切込氏のそれとどう違うのか、区別がつかなかった。
自意識の強いライターの文章だと思う。

posted by 黒崎 at 23:14 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

2006年06月16日

ペルノー、ショットで

黒崎@ペルノー、ショットで

20代後半から30代始めの頃合、六月になるとペルノーを嘗めていた。
金がなくなって、ジンもウィスキイも切れてしまったからである。
ペルノーは注いだ後、注ぎ口をウェスで拭いてやらないと廻りががびがびになる。
このがびがびは、東海林さだおさんの発音でイウ。

始めて香港にいったとき、名前は忘れたがかつての英国式のホテルに泊まった。
そのバーでハウス・ウィスキイを一杯と確か暑かったのでギブスンを一杯。
仕上げにペルノーのショットを注文した。
ショットというのは30ミリが基本だが、その店のチョッキを着た彼は、45ミリ程の黄緑色の液体を革のコースターの上に乗せてよこした。
それから腹が減ったのでクラブハウスサンドイッチを頼んで、チェイサーを貰った。
おかしな東洋人だと思われたかも知れないが、外を見ると東洋である。

posted by 黒崎 at 02:51 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

雨のペルノオ

黒崎@雨のペルノオ

ペルノーという酒がある。
昔はアブサンのひとつだったという。
つまりボードレール辺りが中毒になったというそれだが、今のこいつは無害である。
フランス製のドクダミ酒だと思えば宜しい。
水を垂らすと白く濁る。
濁り具合を楽しむ妙齢がいたら、ちょっと油揚げでも供えたいものだ。

そういえば、渋谷のホテル街の界隈にはお稲荷さんがあって、何度かお参りをした。
ここで賽銭をあげてゆくと妊娠しないんだ。
とか、いいかげんなことを言ってそのまま入った。
あんたホントに馬鹿ね、という顔をして女はついてきた。

秋葉原にもお稲荷さんがあって、それは確かとんかつ屋の傍だが、味の割には高いなと思ったことを覚えている。
昔、読捨新聞の文化部記者がそれを褒めていて、ま、そんなものかなと思った覚えもある。

posted by 黒崎 at 02:49 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

雨夜

黒崎@雨夜

短い旅に出ていた。
いつものことだけれども、旅ばかりしていると、ここが何処なのかを忘れる。
何をしているのだろうとも考える。
私は今、セロファンに入ったドミニカ産の葉巻を取り出している。
いつだったか、古い友人と数年ぶりに会い、三軒目の店でそれを買い、半分だけ吸って、持ち帰ったものだった。注意しないと灰が広がる。

葉巻というのは雨の夜にあう。
何故なら、乾きすぎないからである。

ところが、今使っている灰皿は何処で盗んできたものか。
いや、合羽橋辺りで半ダース買ったものだったかも知れない。
本当のことをいうと、風で飛ばない白磁の蓋のついたものがいいのだが、そうなると焼いて貰わざるを得ず、それでは山口瞳さんの真似になってゆく。

posted by 黒崎 at 02:48 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

2006年06月10日

個人情報を流している

黒崎@個人情報を流している

佐々木氏の文章を論評させていただく前に、すこし書いておきたい。
巨大掲示板で、この問題を取り上げている方の個人情報が流されている。
削除依頼などもされているが、むーん。
あそこってね、匿名のようにみえて実はそうではないんですよね。
試しにプロキシ経由で書こうとしてごらん。全部弾かれるから。

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エレニ氏が以下のように書いている(引用は概要)。
http://ereni.blog70.fc2.com/blog-entry-2.html

>ほかに質問を送られたスポンタさんにお答えせず、あなたになぜお答えしようかな、と思ったのは、あなたのお名前が社会で名乗られているほんとうのお名前で、ネット上で簡単に検索される方と同一だともしすれば、あなたと私は同じ年のようで、同じ時間だけ生きてきて、私などに比べてはるかに社会的な地位もある方のようなのに、なぜこんなことをわざわざやられているのか、不思議に思ったからでもあります。もう少し卑近な言い方をすれば、あなたに少しばかりの関心を持ったからです(それがお返事してしまうという間違いのもとでした)。
 まあ、先のメールをいただいて、取材するんでしたら、あなたのことを取材したほうがおもしろいような気もしたことは事実です(笑)。(歌田メール)

メール全文一読し、普通の方なら、ここにあるニュアンスを感じ取る筈である。
私は、歌田氏の行為を、最低限のジャーナリズムの倫理を冒すものと捉える。しかし佐々木氏はこれを黙殺し、歌田氏を己と立場を同じくするものとまで書いた。そして同じようにBigBang氏に「非難するなら応分の責任を」と、手前勝手で見当違いな要求を突きつけた。この破綻した論理の根底に、古い世代のジャーナリストの選民意識があった事は、私が前回(参照)指摘した通りである。

なぜこのメールについて、ここまでどのブロガーも触れなかったか。
正直、あまりの事にどうしていいかわからなかったというのも正解であるのだが、このメールが多くの人の目に触れたなら、歌田氏は社会的信用を失い、下手をすれば言論の仕事を全て失うからである。ご本人は能天気に「メールを公開するなら全文を」などとおっしゃっていたが、メールの内容は、氏の倫理破綻を示しており、当に氏にとって致命的な内容であった。
(上記、エレニ氏)
―――――――――――――――――――――――――――――――――
そしてこちらを参照。
http://d.hatena.ne.jp/BigBang/20060609/1149785630

なんと申しましょうか。
なるほどそういうこともあるかもしれないわねえ、と推測(あくまで)を呼ぶ周辺情報である。
この場合、誰が不利かというと前出「あるニュアンス」の含まれたメールを書かれた方であろうか。言外に様々なものを含ませるのは日本語の美しい伝統だが、この場合あまり美しくない。「私などと比べてはるかに社会的地位もある方」などという言い方は、いささか信じがたいところもあった。
信じがたいのではあるけれども。
ま、一応社会人なんだからさ、それをやってはおしまいよ、ということもある。
私個人としては信書の実名を違う場所に流すようなことは決してされてはいないだろう、と思うことにしている。教唆によっても。
繰り返しておきますが、巨大掲示板は決して匿名ではないのです。
しかしね、この情勢でこうしたものが出るというのは、上記の方にとってはタイヘンにご迷惑なことですね。

いずれにしても。
こういう手口に出てくるところを見ると、いよいよ詰まってきているのだと思われる。
水面下で何が起きているのか。何処と何処が繋がって、また離散しているのか。
ネットとカルト。カルトと政治の問題は、案外に奥が深い。
その周辺に漂う、IT記者の屈折と自負。
ume氏はいずこ。
posted by 黒崎 at 11:25 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

●資料●ジャーナリスト20年の証

黒崎@●資料●ジャーナリスト20年の証

さて、そろそろいいだろうということで全文を引用させていただく。
これは通して読まなければ、その文章構造が透けて見えないところがある。

#例によって、質問・申し入れなどがあれば以下の非公開のコメント欄に。対処します。
下記に関連エントリー
http://blog.japan.cnet.com/sasaki/2006/06/post_3.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
滝本太郎先生へのご返事
滝本先生、佐々木俊尚です。

先生のトラックバックに対して、ご返事が遅れたことをお許しください。

滝本先生のおっしゃる「オウムと大日本帝国を同一視すべきではない」という言葉を、私としても真摯に受け止めたく存じます。

しかしながら私は、オウム真理教信者の責任と、大日本帝国の国民だったわれわれ日本人の責任を同じに考えるべきだと言っているのではなかった、ということをまずご理解ください。

私が先のエントリーで書こうとしたのは、オウム真理教と日本人の類似性ではなく、「オウム真理教に被害を受けたと感じている日本人」と、「大日本帝国に被害を受けたと感じている中韓の国民」の類似性についてでした。

もちろんそこには、被害の内容の違いはありますし、「オウムの信者であること」という自律的な巻き込まれ方と、日本人であるという強制的な巻き込まれ方の圧倒的な差違というのがあることは理解しているつもりです。そしてそれらを同一視してしまうことによって、そういう言辞を発することによって、オウム真理教の罪を希釈してしまいかねない危険性があることは、私としても承知しているつもりです。

しかしながら、「被害者からの視点」という意味においては、そこには何らかの類似性があるのではないかと思うのです。私が先のエントリーで言いたかったのは、この「被害者からの視点」でした。

滝本先生に誤解しないでいただければと切に願うのですが、ここで私が言う「被害者」というのは、オウム事件の直接的な被害者を指すのではありません。「オウム事件によってなにか危険にさらされたように思った」と漠然と感じた、その他大勢の日本人を指しているのです。

地下鉄サリン事件などの被害者を除いて、日本人の大半は、オウム真理教から直接的な被害を受けたわけではありません。しかし多くの日本人は、オウムに対して漠とした不安を感じ、みずからの生存を脅かされるのではないかという危機感を抱いています。その危機感、不安は生理としては妥当性はもちろんあるとは思うのですが、しかし言語として顕在化されないある種の得体の知れなさ、不気味さとして、この日本社会の中に表出している面もあるのではないかと思うのです。

日本人と中韓の国民が全面的に同じであると言っているのではありません。その認識の深い溝と、相手に対する絶望的な拒否感というただ一点において、日本人と中韓の国民の間には、ある種の共通項があるのではないかと私は思っています。

多くの日本人は、オウム事件の正確な内実や、彼らが本当に持っていた危険性に対する認識は持っていないでしょう――もちろん、私がそれを持っていたかといえばかなり心許なく、そういうことばを口にすることによって、私自身が『おまえに何がわかる』と叱られることを承知で言っているのですが。

多くの人たちは、ただ漠然とした不安から、オウムのことをこれ以上知る必要はなく、とにかく排除すべきだと考えている――つまりオウムに対する認識の再構成を拒否しているのではないかと、私は思うのです。そして私は、その考え方はある種の危険性をはらんでいるのではないかと、やはり思うのです。

そう思ってしまう私は、危険な相対主義の持ち主なのでしょうか? そういうお利口さん的な高見に立ったような偉そうな考え方は捨て、「社会のために」という旗のもとに、オウムと戦い続けるべきなのでしょうか?

June 8, 2006 07:51 PM
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プロフィール
佐々木俊尚
毎日新聞社会部記者として警視庁捜査一課、遊軍などを担当し、殺人事件や海外テロ、コンピュータ犯罪などを取材。その後、アスキーなどを経て現在はフリージャーナリストとして活躍。著書に「ヒルズな人たち―IT業界ビックリ紳士録」、「ライブドア資本論」、「グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する」などがある。
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参考
泉氏サイト
http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/__b8d1.html(松永英明さんへインタビュー)
http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_b52b.html(滝本弁護士へインタビュー)

滝本氏サイト
http://sky.ap.teacup.com/takitaro/257.html
http://sky.ap.teacup.com/takitaro/257.html#comment1962
http://sky.ap.teacup.com/takitaro/257.html#comment1963

歌田氏サイト
http://blog.a-utada.com/chikyu/2006/06/post_4d6d.html
http://blog.a-utada.com/chikyu/2006/06/post_cb57.html

歌田原稿:週刊アスキー掲載分 2006年6月13、20日号(原本)
http://dat.2chan.net/19/src/1149575125268.jpg
http://dat.2chan.net/19/src/1149575175855.jpg
posted by 黒崎 at 09:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 資料 | 更新情報をチェックする

2006年06月09日

そそのかされれでば何でもする

黒崎@そそのかされれでば何でもする

まとめサイトの方で、黒崎の紹介文がやや変わっていた。
http://alephblogger.blogspot.com/
>黒崎 年齢、職業不詳。趣味は似非ジャーナリズムへの意味深なツッコミ。
「意味深」が付与されている。

ところで、作詞家の星野哲郎さんが「黄色いサクランボ」という歌を作っておられる。

若い娘が 略
お色気ありそで
なさそで
なんだか 黄色いサクランボ

この「なんだか」というところがいわゆる意味深の代表であろうかと私には思われる。
どこでどう繋がっているのか分からないが、納得してしまう。

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また、あちこちで、泉氏に対する論評が始まっている。
今まで好意的な評価をしてきた方からの批判は辛いものだが、こちらの方では僅かなコメンターを頼みに「昔はよかったね」を展開していた。
http://voice.fresheye.com/ais_eye/

鮫島氏はこのように言う。
http://blog.livedoor.jp/soul_shadows/archives/50205172.html#comments
>5. Posted by 鮫島 2006年06月06日 14:43
私は(私だけじゃないですが)、泉あいという人が政治というものに対して接触すること自体が問題であると最初から発言しています。従って、内容云々以前に、斯様なインタビューが存在すること自体が問題なのでして、怒りや呆れの感情を抜きにしてこれを読むことはできません。
それでも内容を云々するとすれば「はっきり言ってジャーナリストとして向いていない」と思います。相変わらず的はずれな下調べしかしていないようです。

>6. Posted by 鮫島 2006年06月06日 14:43
そもそも「インタビュアーというのはあくまで黒子」という前提があるはずなのに、何故か自分の名字を発言の冒頭に書くのは、私にはかなり不可解です。普通は線(ダッシュ)を使いますよ。同じ立場の人間同士が対談しているわけじゃないんだから。

彼女はすでに読者とのまっすぐな対話をやめています。「打たれ強くなった」という意見もありますが、裏を返せば「悪い意味でタフになって来ている」とも言えるでしょう。

参加型ジャーナリズムを捨てIT雑談に逃げた湯川氏。一企業の広報以上でも以下でもないガ島通信。彼らと同じく彼女も、すでに「過去の人」になりつつあると思います。
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今、手元に山本夏彦さんの「豆朝日新聞始末」(文春文庫)があるのだが、その中に、
「そそのかされれば何でもする」というコラムがあった。
なかなかどうして。
posted by 黒崎 at 18:08 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

2006年06月08日

オジキ

黒崎@オジキ

いわゆるまあ、バトルというのは適宜やるものであって、その中には非常に馬鹿馬鹿しいことも含まれる。
人生とはクーダラナイからである。
バカボン なあにパパ

私は坂道を「日本昔話」のテーマソングを歌いながら下っていった。
これから酒を嘗めにゆくのだ。
posted by 黒崎 at 16:34 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

自らを笑う

黒崎@自らを笑う

先の「砂場にて」の冒頭を言い換えるとこうなる。
いずれにしても、ジャーナリストを20年やっているという人の文章が、それと並走している匿名者のそれよりも劣ってみえるという状態は茶番以外の何ものでもない。

かつて佐々木氏は「『ことのは』問題を考える」の文末をこうしめくくっていた。
http://blog.japan.cnet.com/sasaki/2006/05/post.html
>しかし私は今でも、マスメディアが声高に書いてきた絶対的正義の向こう側に、フラットになった言論の世界が誕生し、そこにインターネットのジャーナリズムの可能性があると信じている。なにがしかのその可能性が、単なる楽観主義でないことを、私は今ただひたすら祈っている。

ヒタスラ祈るのかあ。オクターブ高い言い方が好きなのだろうなあ、と私はややうんざりしながら眺めていた。40男が眼に星を描いて手を合わせたりしている姿を想像したが、それより焼酎の梅割りの方がいいと思った。
時々、身体にいい筈だよな、と私は梅に祈ったりしている。
昨年は、友人の医者に薦められて何処へゆくのにも「にがり」を持っていった。
鞄の中で零れて、書類を駄目にしてからはやめにした。

翻って考えると、既にネットの世界ではフラットな言論の世界が誕生しているともいえる。それに気づかないのは、氏や複数の方が意識だけはあちら側におられるからだろう。意識だけは、ということに注意していただきたい。存在は別である。
だもので、誰も問うてないのに20年とか必ず書いてしまう。実際はIT記者なのに、ジャーナリズム全般を語りたくもなる。誰とはいわないが。
気持は分かるんですけどね。

フラットな世界というのはとても怖い。
何故なら肩書きや、どこのガッコや、元何々というものがほとんど通じないからである。
余計なことだけれども、自らを笑うことのない人の文章というものを、私は生理的に信じないようにしている。

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と、これを書いていると、極東ブログの方が以下をあげていた。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20060608
上の世代の言い方を真似ると、連帯の挨拶を送る。梅干もうひとつください。あちらに。
鮫のヤローは何をしてんねん。
posted by 黒崎 at 10:05 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

砂場にて

黒崎@砂場にて

例えば、オリンピックに喩えてみる。
マラソン走者よりも沿道で並走する見物人の方が、はるかに速く走るようになっては、オリンピックはもはや茶番でしかない。
それに類似したことが、今ブログの世界で頻繁に起きているように思える。


例えば文章力である。
歌田氏の歴史的なメール二通。これは公開を前提として書かれたものであるが、一切の属性を省いてここから読み取れるものは何だっただろう。
論点の飛躍、すりかえ。そういったものばかりではなく、多くの方が生理的に不思議な拒絶反応を示したのは、いかなる理由によるものだったのか。
私にはある程度予測がつくのだが、惻隠の情を持って書かない。

更に、佐々木氏の今までふたつの原稿である。こちらもいささか韜晦で、一読何を言っているか分からない反語法の繰り返しである。
妙齢の方の文芸的な修辞「こぞって」などの用法の定義を文頭に持ってきて、新明解国語辞典によればなどと、教え諭しておられる。
野暮である。
始めに女性を批判するのはどうもというところもある。もっと悪口書いている黒崎はスルーであった。その選択は正しいが。
佐々木氏は「絶対的正義」とか周縁とか内環とか、どちらかと言えば既に手垢のついた概念を援用されている。
悪いが前者は、新聞批判などの際にこれまで延々と繰り返されてきた手法であった。
新聞記者は自らに世論の背景という絶対的正義があると思って、ずかずかと他人の領分に入り込む、などである。社会の木鐸としての自覚を持てと教育される、とかである。

ま、それらはいいとして。
悪いがお二方の文章は、率直に言って、あまり旨いものであるとは言いがたい。
一切の肩書き、元ユリイカ編集長とか、何処のガッコを出たとか、元毎日記者とかを知らされないで、プレーンのテキストそのものを読んだ場合、どれだけの説得力があるだろうか。あるいは読後の余韻である。
週刊アスキーのそれも、DTPのフォーマットがあるから辛うじてというところなのだが、これが横書きのMS明朝であったらいかがなものだっただろう。それは歌田氏のブログに拠ってみれば分かることである。
要は、器。肩書き。過去の履歴。
それによって内容が補完されているのではないか、ということをここで申し上げておきたい。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

佐々木氏はこう書いている。
http://blog.japan.cnet.com/sasaki/2006/06/post_1.html
>たとえば今回の「ことのは」問題に関して言えば、中心に泉あいさんと松永英明さんの存在する圏域。その外側に、R30さんや私、歌田明弘さん、湯川鶴章さんらの圏域。その外側に、内側の二つのサークルを徹底的に批判しているBigBangさんや○○さんたちのいる圏域。(一部匿名に、黒崎)

この定義、世界の認識の仕方自体が間違っているのだが、それについては後で触れる。
ここで湯川氏の名前が出てくることに注意していただきたい。
氏は逃走論に倣って戦線を離脱しているのだから、できれば割愛してもよかったのではないかというのが個人的な感情であるが、出されてしまったものは仕方がない。
佐々木氏は、湯川氏が例の富士通提供のインタビューで、ほとんど裏を取らず、一方の言い分だけを真に受けて掲載したことで、どのような結果を招いたかをご存知ないのだろうか。
つまり対価が微々たるものであっても、仮にもスポンサーが付いた自称報道活動で、裏を取らないということは致命的な結果をもたらす。
その戦訓は何処へいったのかという、いぶかしい気分が残るのである。

また、取材をしない、という事に対するエスケープはこのようになる。
歌田氏は言う。
http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2006/06/post_6082.html
>私が当該の連載を始めるにあたっては、普通の人が普通にネットなどを通して集めたり接した情報で、何が言え、どんなことがわかり、考えられるかに興味があって始め、それを原則にして書いてきましたし、少なくとも今のところこの連載についてはそういう形で続けるつもりです。

二つ三つの文章に分解できるそれである。
武者小路実篤の晩年のそれをなんとなく思い出したりした。
ここで述べられていることは、一般的には正しそうにも思える。
つまり一次情報は誰か別の人間や組織にまかせ、他のマスコミやネットでの情報を切り貼りして作るコラージュから世界を切り取ってゆこうとする姿勢である。読者は、この手法がかつてのニュー・アカデミズムのそれに類似していることを思い出されるかも知れない。
ひるがえって、今流行っているブログというものも、全くその通りの世界である。
それでは何処に差別化があるのか、と言えば、その分析力と切り口、後はそれを読ませる文章力、構成力あたりになるのだろうか。勿論これは報道ではない。
後は、それがどの場所に置かれるかという、位置の問題になるだろうか。
posted by 黒崎 at 08:30 | TrackBack(1) | 夜話 | 更新情報をチェックする

2006年06月07日

東方会議 2

黒崎@東方会議 2

中公新書ラクレに「文筆生活の現場」(石井政之 編著)という本がある。
佐野眞一 江川詔子 斉藤貴男 氏ら12名。フリーランスのジャーナリスト、その生活収入と自分が書きたい原稿を巡っての赤裸々な顛末が綴られている。

内容はというと、まず驚くほど原稿料は安いこと。経費は自分持ちなこと。まず自分の本が何冊か文庫にならないと喰えないこと。ライフワークと、ライスワークとがあること。佐野さんなども、大宅賞をとってどうにか、というところだったと書かれている。
みなさんバイトしてんです。

これはノンフィクションのジャンルに限ったことではなく、多くの作家が同じようなことを昔から嘆いてもいる。例えば文芸誌に載っただけではとうてい喰えない。週刊誌の連載をもってはじめてとか。対談をやってどうにかとか。あれこれ副業やシノギがある訳である。どの世界も同じではありますが。

加えて「誰が本を殺すのか」ではないけれども、本が売れなくなって久しい。
構造的な問題なのだが、にも拘らず、ある意味で簡単に出るところもある。
昨今の新書ブームなどは最たるもので、一昔前なら活字にならなかったような内容のものが書店に並ぶ。そしてすぐに100円の古本屋に流れてゆく。本も消費財になって久しい。
また、出版業の収益の半分を占めているのが自費出版だという指摘もある。
つまり社の看板を使ってそこから個人の本を出すというビジネスも、影ではかなり盛んになっているのだ。例えば厚さ数センチある文芸春秋の広告を参照。そこには文春から本を出しませんかと読者を誘っている。文春から出たとなると、嬉しがる年配の方も多いからだろう。
本は溢れているが、書き手は喰えない。
これは、例えば写真は何処にでも転がっているが、写真単体、それだけで喰える写真家が何人いるかということにも似ている。
善し悪しは別にして、大筋でそこを押さえておいていただきたい。

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話を戻す。
いささかキツイ話になるが、これが全ての基本だと考えるので書いておく。
本件、根にあるものはシノギであろうかと考えている。
つまり、BB氏がいう「幻のネットジャーナリズム論」というものは、ネットにおける言論の利権、その植民地争いではないかという疑いを私は抱いている。

これはかつて湯川氏のブログ「ネットは新聞を〜」でも何度か指摘した。
書き手が、ネット上でいかにいい位置につけるか。
もちろんビジネスとしてであるが、分かりやすく言えば、かつての満州のようなものだろうか。満蒙、つまりネットは生命線だと。

多くの方が触れているが、デジタルジャーナリズム研究会のメンバーの数人が、本件では登場している。
http://d.hatena.ne.jp/gatonews/20060520/1148132175
今回議論に参戦しているのはフリーの方々。
勤め人であるガ島氏は沈黙。そしてR30氏は危険を察知したのか早々と撤退した。
漠然とした予感でしかないのだが、こと本件に関して、この会の水面下の流れは、かつての「東方会議」のようなものであるのかとも思っている。
現象として顕れている実態が、ネット上での言論覇権の側面があるからだ。
それについては後で述べる。

東方会議というのは、大正10年と昭和2年に開催されている。
通常は、田中義一内閣の際に行われた第二回目のものを指す。
従来の幣原外交をやめ、強硬な対華政策を打ち出すきっかけになったものだと評される。
・満蒙を中国から分離して日本の支配下におく。
・日本の権益を確保するため、満蒙の治安維持にあたることを「対支政策綱領」としてまとめる。
大筋ではこのふたつである。中心になったのは森恪。外務省の人間であった。
森氏は積極派というよりも更に過剰な頑強派、ハッタリ屋とでも評される人物であった。
それがいささか大仰な「東方会議」という名称にも顕れている。
東方会議から一年の後、第二次山東出兵。張作霖爆死。
そして昭和6年に満州事変が勃発する。
日本の敗戦への道を開く、ある種の「火遊び」が東方会議であったと評する歴史家も多い。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

更に話を戻す。
歌田氏はBB氏へのメールで以下のように述べている。
http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2006/06/post_6082.html
>松永氏は、ペンネームにしてもリアルな世界でそれなりの蓄積があり、失うと困る名前を明らかにしていたわけです。その行為を問題にされているあなたも、ネットで言論活動をされているわけですから、最低限、「松永氏なみ」の対応をされることを望みます。

次に佐々木氏は、このように言う。
http://blog.japan.cnet.com/sasaki/2006/06/post_1.html
>もちろん、ジャーナリストには責任がある――たしかにそうだ。自分自身もジャーナリストを名乗って20年近く活動してきた私も、そう思う。だったら、ジャーナリストを名乗らないブロガーには責任はないのだろうか? もし責任があるとすれば、その責任の度合いは、ジャーナリストと異なるのだろうか?
 フラットなネットの地平線の中において、ジャーナリストの言説とブロガーのエントリーは相対化されつつある。その相対化されつつある現状の中で、ジャーナリストとブロガーの責任の度合いは相対化される可能性はあるのだろうか?
 責任を問うた者は、いずれみずからの責任も問われる。結局のところ、だれもアウトサイドに出ることはできない。アウトサイドに出ることができるのは、発言しない人たちだけなのだ。

彼ら二人は基本的に同じ事を言っている。
モノを言うならば実名を名乗れ。批判するならばその責任も受けろと。
つまり、ネットの世界において、実名を名乗らないアマチュアがプロ(この場合には松永氏)を批判することは原則として許されないのだと。
これらは、一見正しいことを言っているようだが、いくつもの落とし穴がある。
それについては次で述べる。

#、佐々木氏の発言で「自分自身もジャーナリストを名乗って20年近く活動してきた私も、そう思う」という一節は、毎度のことであるが蛇足である。
前回のオウム取材の際の記述が、文脈からして(コンテキスト、あるいはコンテクストと難しく言う場合もある)全く不要だったと同じように。
そう言いたいのは分かるけれども、そう力まなくてもいいんじゃないか、という声もある。
http://kurosaki-yowa.seesaa.net/article/18256306.html(黒崎夜話 ヤメ記者の営業)
posted by 黒崎 at 21:56 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

東方会議

黒崎@東方会議

最近は、随分の論客が参加しているので黒崎の出番が少ない。
それでいいのだろうと思われる。
僅か数ヶ月前とでは、随分と情勢が変わった。多くの方の認識もである。
BB氏は白樺派的正攻法でゆく。氏も実名と所属が割れていなければ、また違った書き方をしているに違いない。文中、その片鱗があって時々は笑っている。

例えばエレニ氏が極めて鋭い突込みを入れている。
http://d.hatena.ne.jp/Ereni/20060604 (「ジャーナリスト」達の無責任な「言論」)http://d.hatena.ne.jp/Ereni/20060605#p3 (泉あい氏鈴木宗男インタビューについて)
ちょっとこのレベルのものを、かぎ括弧付きの「ジャーナリスト」が書けるかどうか。
まず、泉氏が理解できるかどうか。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

また、佐々木氏が再び参戦しておられる(ネット世論の「拠って立つ場所」とは)
http://blog.japan.cnet.com/sasaki/2006/06/post_1.html
これについて思うところはいくつもあるが、次に書く。
その前にBB氏が返答した部分から引用させていただく。
http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2006/06/post_b96d.html

>●松永さんは入院後、音沙汰がない。
●泉さんはもっとも肝心なところで口をつぐみ、不向きな政治家インタビューを再開した。
●会社から不当な退職を強いられたとされるumeさんは行方知れず。
●R30さんはオウム問題は「日本とアジアの問題」だと言い残してブログを休業した。
●参加ジャーナリズムの旗手湯川さんのブログは廃墟と化し、あらゆる問いかけに沈黙している。
●歌田さんに至っては、事実と向き合おうともしない論外の体たらくの上、コメントもトラックバックもコントロールしている。

先にも書いたように、BB氏はかなり言葉を選んで書いている。
にも関わらず、歌田氏についての論評は手厳しい。「論外の体たらく」ときたもんだ。
私もほぼ同意である。
歌田氏の週刊アスキー6月20日号の原稿はネットに早々と掲載されていた。
さらっと読んだが、前号での論調とはうって変わり、一読総花的にまとめられていた。
が、注意深く読むと、土壇場でかなり手を入れたことが分かる仕組みになっている。
文章を操る職人の技であると感心する向きもあるが、実はそうでもない。
なんだ結局あの時代の、典型的な知識人の末裔ではないかという印象が残っている。
つまり、松永氏というネット宣伝のプロ、つまりオウムのプロバンダを担っていた有力幹部信者を例にあげ、一般化しているに過ぎないのである。
前にも書いたが、松永氏はオウム信者の中でも特権的な立場であった。
現在より具体的に困っているのは、松永氏が書いた宣伝物を信じて活動していた末端信者だろう。

歌田氏は書く。
「オウムは依然として危険か?」
ゴシックで強調されているが、?マークが付いているから良いというものでもない。
依然として危険性は去ったとは言えない。その理由は、手っ取り早く公安にお尋ねになってください。交番にも写真が貼ってあります。

「オウム信者を非難するのに熱心で、彼らが何を考えているかわかっていない。そう気づかされるインタビューがネットで公開されている」(見出しというかリード)
この部分に至っては、正体見たりのお話である。
おそらくは、この見出し部分が元の原稿の趣旨で、滝本弁護士の発言などは後から付与したものだろう。整合性が乏しい。もっとも、この後に続く滝本発言の中核部分を注意深く割愛しているのではあるが。
「連合赤軍、永田洋子が何を考えているか」
そういえばそういった類の評論がかつて流行った。英雄的なインタビューが何処かに載っていたような気もする。
当時はIT系の雑誌はなく、劇画雑誌の片隅のびっしりつまったコラムなどにその残り香があった。

二号連続で歌田氏のテキストは掲載されているが、続けて読まれることをお勧めする。
その途中に、ブログ史に残るあのふたつの公開メールがある訳である。
私は、あれは永久保存版だろうと思っている。

posted by 黒崎 at 18:19 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

2006年06月06日

むいてないんじゃない

黒崎@むいてないんじゃない

クレージーキャッツに新五万節という歌がある。

ガッコウでてからン十年 今じゃゴルフの大ベテラン
ハーフ スライス テンプラで なくしたボールが五万箱
(塙ハジメさんが歌う)

評判ワルイよ 向いてないんじゃない やめてしまえー
(谷啓さんの声で)

見事な三段論法で、突き放したようにイウ。
ここをお読みの読者の方々には、誰のどのインタビューを指しているかはお分かりだと思う。
posted by 黒崎 at 12:42 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

エロ本のコラム

黒崎@エロ本のコラム

若い頃、読むものがなくなると古くなったエロ本の活字部分を読み直していた。
結構知的なことが書いてあるように見えて、気を取り直したものである。
ギョーカイのこと、政治や経済のこと、それから女のこと。
何人か専門のライターのようなひとがいて、それぞれに個性があった。

あるいは「ガロ」の読者欄であろうか。
それからユリイカをぱらぱら捲っては棚の中に戻し、俺って知的なんだぜと安心をしていたが、今考えると、最後まで読めた文章というのは少ない。
後に高校の教師になった文学部の女子大生が部屋にきて、吉本隆明全集の何冊かを頂戴と言っていたことを覚えている。んー、セリーヌならやってもいい。

posted by 黒崎 at 12:33 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

まだ泡の人

黒崎@まだ泡の人

昨日、75度のラムで二日酔いになった。
はいつくばるようにして外に出る。坂道で車を拾い、そのままスーパーに行ってスポーツドリンクのでかいものを買う。飲む。
私は何をしているのか。

ま、いいのであるが、このところ少しばかりうんざりしていた。
筆頭がこれである。
http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2006/06/post_9350.html
歌田氏のBB氏へのメール。
あちこちで溜息ともつかぬ、呆れ果てた声があがっていた。
どこが理論的におかしいのか、指摘する気にもならないというのが大方の声だろうか。
で、すこし他の方とは違うところを引用する。

>いささかあきれてきたので、いまでは、お答えしたことを後悔し始めました。週刊アスキーにも、お答えしないことを勧めるつもりです。
 また、実際のところ、多くの雑誌同様、編集部と著者は信頼関係で成り立っているわけで、どういう具合に原稿を書いたのか、その詳細を把握しているのは書き手のほうなので、こんどのご質問の場合はとくに、著者の回答で十分だと思いますし、いまでは、先に書いたように、私もまともに相手をしたことを悔いています。

歌田氏は、週刊アスキーに対するBB氏の質問に対して、答えないことを薦めると書いている。理由は、ライターと編集部は信頼関係があるからだという。
ここは、声を出して笑ってもいいところなのだが、それより先に、あまりに分かりやすい内容なので気の毒にもなってくる。
簡単に言えば、氏は脅えているのである。
何を、と言えば読者からの編集部への直接の問い合わせをである。


80年代から90年代初めまで、いわゆるバブル期に流行した知のあり方というものを私は思い出していた。IT系に流れてくるのは、ある意味で分からないでもない。
そこではまだ、観念的な理屈が一定の説得力を持つかのように見える。
幻の利権を求めて。
というのがどうも何人かのフリーの立場の方々が集まる動機だろうと私は踏んでいるのだが、するとネットは満州国か。そんな訳はないので。

本日火曜、次の原稿が掲載された週刊アスキーが発売される。
私はまだ見ていないし、買うつもりもない。
恐らく、自説を譲歩させた玉虫色の論が展開されるだろう。
それによってどうにか読者からの批判、論評を避けようとするのだろうが、果たしてそう旨くゆくかどうか。
いずれにしても、この歌田氏のメール二通は、ブログ史に残る文章である。
posted by 黒崎 at 12:16 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

2006年06月04日

草むす屍

黒崎@草むす屍

ま、いくつかのコメントが掲載されているのだが、鮫島氏のところのものを例にひく。
http://blog.livedoor.jp/soul_shadows/archives/50203815.html

漠然と思ったのだが、何故、本件でつっこんでくるジャーナリスト、ライターという方々は皆フリーの人たちばかりなのだろう。
「フリーライターが仕事を失うってのは、こうしたきっかけから」と、誰かが書いていたが私も苦くそう思う。
・事実の確認はしていない。するつもりもない。
・論評するなら「ネット上で」実名を公開しろ。
大筋で歌田氏はこのように言われているのだが、それに対する批判はBB氏が述べているのでくりかえさない。BB氏が指摘するように、まさしく悲劇的な状況に至っている。
これは知の迷宮がもたらす悲劇もしくは茶番である。

論点をずらしたり、黒崎がよく使う「下着が汚れたような女」という文芸的修辞をかろうじて批判の軸に据えたり、擁護する方面の理論もあまり説得力はなかった。#

BB氏の質問状は、メールの上では実名で、アスキー編集部と歌田氏双方に送られている。歌田氏の返答が、アスキー編集部と相談の上でなされたものならばまだ良いのだが、つまり一定部分調整をしているのならば結構なことだが、そうでない場合にはドウシタラヨカロ。
いずれにしても、これは一ライターの文責ということではなく、編集権を持つ週刊アスキー編集部の見解が問われる事項になるだろう。あるいは発行権を持つ社である。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
#ここでひとこと。
このブログはバトル用に作成している。
ここで私は一度も、ジャーナリズムを名乗ってはいない。
黒崎は悪役で、口と性格が悪い。だからどうしたという声もあるが。

カポーティの「冷血」という小説は、かつてニュー・ジャーナリズムの代表作として、多くのジャーナリストに影響を与えた。
が、当然批判もあって、事件関係者はこれほど洒落た会話を交わすのか、アメリカ南部の庶民はここまで自己表現力があるのかなどと指摘もされた。
創作部分と事実との境界が曖昧になっていった亜流も、雨後の筍のように派生している。登場人物の会話を合成したり、事件そのものをでっち上げたりした事例もあった。
有名なものは、ワシントンポストの26歳の女性記者、ジャネット・クックが、8歳の少年麻薬患者がいる記事を捏造したことである。WPはそれによってピリッツアー賞を辞退するに至る。
ニュー・ジャーナリズムにはどこか清潔感がない。センセーショナルである。
こうした批判は当時からなされてきたものだが、果たして。
ここで私は、「参加型」とか「オープンソース」とか「ブログ」とかが頭に付いたそれを思い出す。その安い戯画。今の場合、「仮想報道」と呼びかえてもいいだろう。

#悪いが、歌田氏のBB氏への返答には同じような印象を持つ。
清潔感のないテキストであると感じる。
posted by 黒崎 at 11:09 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

思想の迷宮

黒崎@思想の迷宮

ここを読まれている方々は既にご存知だと思うが、週刊アスキーに以下のような原稿が掲載されている。
●「われわれはみな”隠れオウム”の容疑者」
http://megalodon.jp/?url=http://blog.a-utada.com/chikyu/2006/06/post_4d6d.html&date=20060603160832
これは魚拓である。つまり記録。
現在のそれは http://blog.a-utada.com/chikyu/2006/06/post_4d6d.html
黒崎のコメントと別の方のトラックバックが理由の開示なく削除されていることに注意。削除された黒崎コメントは以下。

>お世話になっています。TBが通らないのでコメントで失礼します。
http://kurosaki-yowa.seesaa.net/article/18765211.html

BigBang氏の「週刊アスキーと歌田明弘氏への質問書」のエントリーを受け、黒崎への取材用窓口を開設します。また、時事通信編集委員湯川氏が「IT潮流」で泉あい氏とのインタビューを行っています。富士通提供のポットキャスト番組です。まだお聞きになっていないものでしたら、資料として提供する用意はありますのでご一報ください。
投稿 黒崎 | 2006/06/03 3:10:57

●それに対し、BB氏が「週刊アスキーと歌田明弘氏への質問書」を掲載。
http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2006/06/post_629e.html#more

●歌田氏がBB氏に返答、「週刊アスキーと歌田明弘氏への質問書(2)----歌田氏の回答」http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2006/06/post_6082.html#more

●BB氏が「仮想報道 われわれはみな”隠れオウム”の容疑者」(週刊アスキー)の問題点について」を掲載。
http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2006/06/post_50cf.html#more

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
これが2006年6月4日AM9:00現在までのものである。
ざっと眺めておいていただきたい。
posted by 黒崎 at 09:05 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

2006年06月03日

週刊アスキー並びに歌田氏用窓口

黒崎@週刊アスキー並びに歌田氏用窓口

おつかれさまです。
BigBang氏の「週刊アスキーと歌田明弘氏への質問書」のエントリー
http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2006/06/post_629e.html
を受け、黒崎への取材用窓口を開設します。
具体的にはこの部分です。

>(5)「umeさん」は、退職の発端を作ったのは、GripBlogのコメント欄にコメントを寄せた黒崎氏が原因であるとして、黒崎氏を告訴する意向である旨、発言をされましたが、その後黒崎氏によれば、直接連絡の経路を開いたにも関わらず、「umeさん」からの具体的な連絡はなく、訴訟についても未だ全くなされていないという不可解な状態が続いているとのことですが、この経緯をご存知ですか。またこの点に関して取材はされていますか。

・コメント欄を非公開設定にしておきますので、連絡はそちらに書き込んでください。
メールアドレスと実名ないしは社会的実名、所属の記載をお願いします。
お寄せいただいた質問・内容については、当事者の許可がなければ原則公開はしません。ただ、黒崎からの返答については、ブログ上など「公」の場でさせていただきます。
その際、お寄せいただいた質問・内容の趣旨を前提として掲載することもありますので、その点はご了承ください。

・また、時事通信編集委員湯川氏が「IT潮流」で泉あい氏とのインタビューを行っています。富士通提供のポットキャスト番組です。
内容は歌田氏原稿の、ume氏に関しての説明・経緯にほぼ重なるものです。
そのインタビューファイルは、翌日富士通の判断で削除されています。
週刊アスキー編集部並びに歌田氏が、仮に、当該インタビューをまだお聞きになっていないものでしたら、資料として提供する用意はありますのでご一報ください。
推移含め、参考になるものだと個人的には考えております。

#参考
http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2006/04/post_335c.html(BigBang)
http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2006/04/2_1245.html

http://kurosaki-yowa.seesaa.net/archives/200604.html(黒崎夜話 4月)
http://kurosaki-yowa.seesaa.net/archives/200605.html(黒崎夜話 5月)

黒崎拝
posted by 黒崎 at 02:57| Comment(0) | TrackBack(2) | 夜話 | 更新情報をチェックする

2006年06月02日

昨日勤皇

黒崎@昨日勤皇

明日は佐幕
その日その日の出来心
どうせおいらは裏切者よ
野暮な大小 落し差し

西条八十作詞、サムライ・ニッポンの中の一節である。
「ビクターハーモニカ超特選楽譜」がついてきていた。
日活映画の主題歌。大河内伝次郎主演。
大河内伝次郎氏と言えば「丹下作膳」が有名だろうか。
昭和初期、大陸で戦争が行われている頃、新聞小説として人気を博した。
それはともかく、サムライ・ニッポンの三番にはこうある。

流れ流れて大利根越えて
水戸は二の丸 三の丸
おれも生きたや人間らしく
梅の花咲く春じゃもの
posted by 黒崎 at 09:33 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

どこまで続くぬかるみぞ

黒崎@どこまで続くぬかるみぞ

我が国の偉大なオペラ歌手に藤原義江さんという方がおられた。
満州事変、日中戦争の様子を描いた「討匪行」という軍歌の一節はこうである。藤原さんが歌っている。

どこまで続くぬかるみぞ
三日二夜を食もなく
雨降りしずく鉄かぶと

さもあらばあれ日の本の
我はつわもの予ねてより
草むす屍悔ゆるなし

ああ東の空遠く
雨雲揺りてとどどくは
わが友軍の飛行機ぞ(八木沼丈夫作詞)

ま、いいのだが、雨降りの夜などに合成酒を前に陰々滅々と歌っていると気分である。
できれば中央線沿線が望ましい。
どうも本件、粋じゃないというか洒落になってないというか、田舎臭いというか、偏差値が高い馬鹿(軽く発音する、愛称)というか、ITクン(同じく)というか「観念的な租界」の様相を呈している。租界とは、上海にあったそれである。
藤原さんの軍歌は、歌詞は部分的に勇ましいのであるが全体として短調で、その底に厭戦気分が横溢している。それを浪々と歌うのであるからモノノ哀れであった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
さて、BB氏もうんざりしながら以下のように書いている。
http://d.hatena.ne.jp/BigBang/20060602/1149181420
>コンピュータやWeb2.0について詳しくなったからと言って、そのまま社会問題にもコメントできると思うから勘違いを犯す。そもそも「ことのは問題」の本質は、ITに関する問題ではないのである。通信と放送の融合を説くような軽いノリで思いのたけを、自由に書く。時にはその「軽い」スタイルに馴染まないテーマもあるのである。

そう思うと鮫島のヤローが粛々と手順を踏んでいる。
http://d.hatena.ne.jp/sameshima/
―――――――――――――――――――――――――――――――――
ニューズウォッチ社の株主への質問
鮫島です。
ライブドアブログがメンテナンス中の為、こちらに書きます。
------------------------
下記の内容の質問を、ニューズウォッチ社の大株主である企業の広報窓口に送付しました。
・ヤフー株式会社
・株式会社 東芝
・株式会社 電通
・凸版印刷株式会社
・三井物産株式会社
なお、ヤフー株式会社につきましては、鮫島個人がヤ社の株主であるため、広報部だけではなくIRにも同様の質問状を送付しました。
------------------------

鮫島と申します。
御社が主要株主となっている株式会社ニューズウォッチ(代表取締役社長:金田直之氏)で提供されているコンテンツ「fresh EYE Voice Watch」内のコンテンツ「Ai's Eye」についてご質問致します。
http://voice.fresheye.com/ais_eye/
http://gripblog.cocolog-nifty.com/

上記ブログの執筆者である泉あい氏が、昨年の10月末に自ブログ内で参加を公募した民主党との懇談会「ブロガーと前原代表との懇談会」に、現役アーレフ(オウム)出家信者1名に対して、泉氏自らが参加要請を行い、結果的にその人物が懇談会に出席したことが、ここ数ヶ月、多くのブログで議論になっております。またこの件に関しましては、インターネット上だけではなく、雑誌FLASH(2006/3/8発売、3/21号)でも取り上げられています。これまでの経緯に関しては、下記の方のブログエントリーをご覧になっていただければ概略はご理解できるかと思います。

http://alephblogger.blogspot.com/2006/05/blog-post_21.html
http://d.hatena.ne.jp/biaslook/20060312

------
まずは上記をお読み下さい。
その上で下記の質問につきまして、御回答頂ければ幸いです。
(1)上記の一連の問題はインターネットにおけるジャーナリズムの信頼性を著しく低下させる原因になった、という意見が多々あります。かような人物が、一定の期間を置かず、御社が株主となっている企業の一コンテンツ内で国会議員のインタビューを行っていることについての御社のご見解をお聞かせ下さい。
(2)株式会社ニューズウォッチの広報部からの公式見解として「フレッシュアイVoiceWatch以外での泉氏の活動につきましては、弊社と何ら関係を有するものではなく、かつ弊社はコメント出来る立場にはございません」という返事を頂いております。株式会社ニューズウォッチの株主である御社も同じ見解であると考えて宜しいでしょうか。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
で、早速巨大掲示板などでは工作員が動き、泉氏と松永氏との分離工作が始まったりしていた。
#まとめサイト作成の方へ。
泉氏サイトのコメント欄「なんだかなあ」氏の発言を時系列で並べてみると面白い。

また、http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_1538.html#c1494884 におけるyuka氏の発言も大変に興味深い。
>ほんとうに松永さんについて、世間に広く疑惑があるのですか?私はそんな印象を持ちません。
たとえば、オウム問題とずっとかかわってきた滝本弁護士は、松永さんは本当に脱会したっていう風に判断されてるじゃないですか?たぶんあなたよりずっとオウム信者・元信者の心理を理解されている滝本先生の見解をあなたは信じられないというわけですよね。滝本先生の判断もやっぱり印象操作なんですかね?

意図が丸見えになってしまっていて笑えるのだが、滝本氏の教育的指導・発言の意図を離れて、別の意思が働いているようにも思える。要は使われてしまっているんですな。
これについては、本サイト、この辺りでも指摘していた。
http://kurosaki-yowa.seesaa.net/article/18053466.html(お墨付)

posted by 黒崎 at 09:17 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

カソーホードー

黒崎@カソーホードー

週刊アスキー連載の歌田氏がついつい参戦してしまっている。
さらっと読んだのだが、裏とってないじゃん。
誰かのいうがままじゃん。
肝心な事実抜けてるじゃん。
あーあ、と。
ドーナッテモシラナイヨ、という按配である。
こんなことで今までの信用喪うのだとすれば、いささかモッタイナイ。

いずれにしても、あれこれ炙り出されてくるものがある。
水面下、案外にセコイんで呆れている部分もある。
黒崎はしばらく眺めていることにしよう。
ばうーん。
posted by 黒崎 at 00:29 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

2006年06月01日

本格的な厄介

黒崎@本格的な厄介

泉氏に関しては、これから本格的に厄介を起こしてゆくだろうと思っている。
やや色のついた政治家へのインタビューは、過去の松永インタビューに倣って言えば、巧妙に仕組まれた弁明のプロバガンダになるだろう。
僅かな弁明から自説の展開。
いわゆるネット上での広報戦略の一環である。
もちろんそれは、ジャーナリズムではない。

誰もが気づいていることだが、あの仕組みでは簡単に自作自演が可能である。
動員された運動員が、あらかじめ毒の薄まった質問を投げる。それに対して政治家が返答する。オープンソースというのは名目であって、マッチポンプ、簡単に言えば「やらせ」が頻繁に起きる可能性が高い。
松永インタビューも、続く滝本弁護士へのそれも、ある目的のために誰かが描いたオウム信者社会復帰への道であった。
だが、意図したようには進まず、現在に至っていることはご承知の通りである。

政治家へ接近することをコンテンツの目玉、あるいは階級上昇のひとつであると考えているのかも知れないが、それには反作用もある。
トラブルを起こした場合、その責はニューズウォッチ社の社長にも及ぶ。
いくら利用規約で謳っていても、それは読者に対してのものだからである。そして、自らに都合の良い規約がそのまま通るとするならば、悪いけど出会い系サイトの規約も全てが合法になってゆく。
この辺り、昨今消費者金融の利率についての最高裁判例が出ているので鑑みていただきたい。風向きはところどころ変わっているのである。
ニューズウォッチ社の社長ブログもなかなか面白いのだが、これについては別に書く。

―――――――――――――――――――――――――――――――――

偽メール事件で問題をおこした永田議員のサイトを覗いたことがある。
多分プロが作ったのだろうが、永田氏がMacに触り、短めの足を投げ出していた。
いかにも民主党だなと思った記憶があるが、彼らは見た目を重視する。
ネットに詳しいことをアピールしたかったのだろうが、サイバーエージェントの社長ブログと似ているような気もした。ここで苦笑いする方は、まあそういうことである。

何時だったか赤坂プリンスでのパーティの際、自称高学歴を誇る婦女が、プレスの効いていない麻の背広を着た元議員の廻りにまとわりついて激励をしていたことを覚えている。
あいつ誰だっけ、と聞いてみると、こないだの選挙で落ちた奴だよと友人は答えた。
確かに何度かTVで見た。彼はやや顔色が悪い。お坊ちゃまそうな髪型をしてもいるのだが、靴の踵が磨り減ってもいる。私は何故か靴とか靴下を眺める癖がある。
婦女数人のグループは、元議員と写真を撮った後、次にきた幹事長の傍に駆け足で近寄っていった。
私はややうんざりして、トイレ脇の灰皿の前で漠然としていた。
見知らぬひとと立ち話をする。
posted by 黒崎 at 16:27 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

続く訴訟メソッド

黒崎@続く訴訟メソッド

夜の空気は密度を含んでいる。
いずれ雨になるのだろうが、満ちるのを待っているかのようでもある。
いずれにしても、本件、「私個人にとっては」緩やかに収束に向かっているように思える。
黒崎の実名の居在地に、ume氏並びにその法定代理人から、訴状や内容証明などの送付があるかと思っていたが、現在までのところ到着していない。
あるいは未公開設定のコメント欄に、法定代理人つまりは弁護士からの書き込みがあるかと半ば期待もしていたが、それもされていない。
が、断念したかといえばそうでもなく、泉氏のサイトにはそのエントリーもコメントも残されているのだから、いまだ恫喝継続中であるともいえる。
いずれにしても、この発言が問題だとの具体的指摘をすることもできず、訴訟その他をするから個人情報を教えろというやり方は、ネットの世界でも滅多にない椿事であった。
しかもそれは、オウム真理教との関係・スタンスが問われている事案についてである。

いまだ総括をするには早いので、全体の論評は控えよう。
ふりかえっての個々への感想も、その段階ではなさそうである。
湯川氏、R30氏、佐々木氏。ガ島氏、小飼氏なども遠景に霞んでいる。
踊らされた新聞屋という自称地方紙記者もいた。所属やその他が匿名であるから自称であろう。彼は黒崎にume氏に名乗り出るべきだと明言していたが、オウムという特殊性については一切勘案していなかった。
彼らの立場や考え方がこの数ヶ月でどう微妙に推移してきたのかを考えると、なかなか興味深いものがある。よく名前の出ていたコメンター複数人もである。

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時事通信湯川氏との関係は、例えば坂本弁護士事件の際のTBS問題を何処かしら想起させた。規模も程度も全く違うものだけれども。

TBS問題というのは、坂本堤弁護士一家殺害事件の直前に、弁護士へのインタビュービデオをオウム側に見せたかどうかの問題である。
それまで一貫して「見せていない」としていたTBSが、早川被告の第四回公判直前に緊急記者会見を開き、一転して未放映ビデオを「見せた」とする。
ビデオを見せたのはオウムから訴えられるとまずいと判断したTBS関係者側の発案だったこと。またオウム側の激しい反応をみて、TBS側が折れる形で放送を中止していたことが検事供述調書で明らかになっている。
この時に「放送したら告訴します」と言ったのが青山弁護士(当時)である。早川被告。そして上祐もいた。これは1989年11月8日。
当時からオウムはすぐに相手を訴えるので有名であった。
この推移は世間から激しい批判を浴びる。取材倫理の問題だけではなく、弁護士失踪にそのトラブルが関係していることを捜査当局が知っていれば、坂本弁護士一家失踪事件は全く違う展開を見せていただろうと、多くの国民が考えたからである。
本件は、認可事業である放送界への政治からの風圧を強め、TBS幹部への責任問題へと発展した。
磯崎洋三社長は社内処分を行うと共に1996年5月1日で辞任している。
トラブル発生から7年後であることに注意していただきたい。

私は彼に、TBS問題について書いたメールを出している。
そういうこともあったのだから、注意していただきたいという趣旨でである。
それに対しては返答はなく、その後、あの物語の弁明と総括が始まり、途中富士通スポンサーロゴが外れて現在に至る。
具体的な経緯については、本サイトの過去ログを遡っていただきたい。

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ただ、一般に。
たまたま黒崎に社会的な対抗措置、または、こうしたらこうするなどという予防措置が取れたから良かったようなものの、通常の方々ではこうはゆかないものである。
実際黒崎は、家族を念のため暫く実家に戻している。
自宅のあるところは24時間警備員が常駐しているが、その管理会社に防犯ビデオの閲覧を依頼したりした。
通勤、いわゆる仕事の際には、なるべく電車を使わず、また武器マニアである某電力会社勤務の友人からスタンガンを借りて鞄の中に入れていた週もある。
外出も控えた。

具体的に、オウムの実行部隊がやってきたことを調べれば調べるだけ、なんてこったいの世界なのである。
例えば、前述坂本堤弁護士一家殺害事件の検察側冒頭陳述では、殺されようとするとき妻の都子さんが「子どもだけはお願い」と懸命に声を上げた、という一節がある。
中川被告は一歳二ヶ月の長男龍彦ちゃんを手にかけている。
その辺りの記録を読んだとき、私はかなり胸が詰まった。

家族に万が一のことがあったら、さてどうするか。
ここから先はほとんど小説の世界になってしまう。
が、現実に想定しておかねばならない可能性のひとつだったのである。
まさかね、という方はオウムの有力信者並びにその親しい友人に、自らの個人情報を晒してから言っていただきたい。
規模は小さくなったとはいえ、11年前までオウムは実際にそのようなことを行ってきたことは事実なのである。

さて、あなたの身にそれがふりかかったら、果たしてどうするだろう。
どう対応できるだろう。
これに付随して、泉氏のサイトでかつて建設的な意見を述べられていた方がこのように発言している。同意できるところもあった。
http://madammizushima.seesaa.net/article/18624086.html


私は、本訴訟メソッドとその流れというのは極めて悪質なものだと考えている。
ジャーナリズムを名乗るのはちゃんちゃらおかしく、ある種言論の否定であったようにも思える。
自分のサイトのコメント欄を操作しても、他の方々がまとめサイトをいくつか作成しているので、ネット上には記録が残っている。今後充実してゆくものだろうが、これはじわじわと効果を発揮するものだろう。

十分な裏づけを取らず、それに乗ったIT記者は愚かであるが、何度も酒を飲んだ仲であったことが苦い後味を残した。こんど出るという本の中に総論的な原稿を書いてくれと頼まれ、銀座裏と日本橋を梯子したのは、堀江被告が逮捕された夜であった。
鮫島氏も途中から参加した。
また、昨年秋近かったろうか、彼が私の元を来訪し、近くのホテルのラウンジで今後の展開についての相談を受けたことも覚えている。
家族のこと、自分の生きてきた道のこと。社会的な評価と実像との乖離。
チャンドラーの小説には、礼儀正しい酔っ払いというのが出てくるが、その物語もまた、友情に似たものが壊れてゆく過程を描いたものだった。
今回、そう魅力的な相手方ではないのだが。

それに対する社会的な制裁、影響はある面では受けたと言ってもいい。
彼は「参加型ジャーナリズム」なる単語を、二度とネット上で口にすることはできなくなってしまった。口にすれば失笑を買う。
ジャーナリズムを語ることを半ば諦め、こんどは広報の分野に触手を伸ばす。
誰かが書いていたが、失策を回復し組織の中で立場を維持するには、なんとしてもそのイベントを成功させる必要がある。ブログ上での対談が、このようにビジネスに繋がるという実例を作らねばならない。
世は商売。がんばっていただきたいものだが、個人の金で出向くような内容かどうかは、今のところ判断がつかない。おそらくITの現場からはまた違う声も出るものだろう。

一般的に、自らが中心になって大きなイベントやセミナーを立ち上げる人たちというのがITの世界には多くいる。研究会もしかりである。大きな新聞社も2000年の頃には何度かセミナーを開いている。当時のPC系やビジネス系の雑誌を眺めていると、知った顔が何人もいるのだが、その多くは現在その組織には留まっていない。
次のステップがあったのかどうか、それすら不明になっていることも何度かあった。
posted by 黒崎 at 04:31 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

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