2006年05月04日

「さてな ?」のゴ

黒崎@「さてな ?」のゴ

http://kusanone.exblog.jp/m2006-04-01/#3470741

(6)-1 編集権について。 独断専攻 ?
湯川さんは以下のように言われています。
「わたしがすべての責任を負いますから」と宣言したあと、だれにも相談せずにコメント爛に向かいました。コメント爛で自分の考えを記述する中で「すべての責任は自分にある」という思いは、ますます強まりました。「なんらかの対応する前には必ず連絡してくれ」と言われた人に対して何の連絡もしないまま、表ブログに説明文エントリーを上げ裏ブログにリンクを張りました。
(略)「『なんらかの対応する前には必ず連絡してくれ』」と言われた人に対して何の連絡もしないまま」というのは、我が国に伝統的に伝わる表現で申し上げますと、いわゆる「独断専行」のひとつである、と理解して宜しいのでしょうか?(略)
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「さてな?」さんはここで変換ミスをされている。
私もよくするので、取り立てて言うことでもないが「独断専行」が正しい。

ここで湯川氏はひとつの物語を作った。英雄的なそれである。
日本であれ海外の企業であれ「わたしが全ての責任を負う」と宣言することの意味は大きい。これで旨くゆけばいいが、そうでない時には果たしてどうするのか。
それについては未だ答えていない。

湯川氏は「ネットは新聞を殺すのか」というブログで炎上について以下のように書いている。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
http://kusanone.exblog.jp/m2006-01-01/#2972746

>わたしは次のエントリーで、改めて自分自身の主張を展開した。

批判に対する反論
 この記事をきっかけに「切込隊長」という超有名ブロガーが、この「ネットは・・・」を紹介してくださった。(略)
 このブログを始めて5カ月。目指すべき「参加型ジャーナリズム」の可能性の枠組みぐらいは見えてきたように思う。批判的な意味であれ多くの人が注目してくれているのであれば、この機会にこれまでの成果をここで公表し、できるだけ多くの人にわたしが何を考えているのか、ジャーナリズムは今後どの方向に進むべきなのか、を知ってもらいたいと思う。(略)
 まず数多くいただいた批判的なコメントに関して、自分の気持ちを述べたい。
今回の地震の現場でのマスコミ人の傍若無人な振る舞いについては弁解の余地もない。また問題は今回だけではない。これまでも同じような問題は何度も起こっている。マスコミ業界の人間として、こうした振る舞いを生み出す風土を作った責任は、当然わたしにもある。ご迷惑を受けられた被災者の方、今回以外にもマスコミ被害に遭われた方たちには、心からお詫びしたいと思います。本当に申し訳ありませんでした。こうした横暴が横行しないように今後もできる限りの努力を続けたいと思います。
 さて、ではこうした事態が再発しないようにどうすればいいか。「倫理委員会のようなものを発足させてはどうか」という意見をいただいた。実は報道被害をなくそうという委員会や組織は業界団体内にもあるし、各社持っているのではないだろうか。同様のテーマのシンポジウムなども頻繁に開催されていると思う。「自分の業界の膿はまず、ご自分でお出しください」とacoyoさんはおっしゃる。業界として、「膿を出す」努力は継続していると思う。それでも「膿」は減らないのだ。
「メディアは『自浄能力』をもっているのでしょうか?」とノートリアスさんは問う。自浄能力は既にないとの指摘もあった。
 わたしはやはり、マスコミが一般市民とかけ離れた存在になったことに問題があると思う。市民とかけ離れた存在のままでは、自浄能力はなかなか発揮できないだろう。
 しかしマスコミの取材や編集のプロセスの中に一般市民が入り込めばどうだろう。事態は急速に改善されるのではなかろうか。一般市民が編集権を持つわけだ。
 今まではそれが理想だと分かっていても実現できなかった。しかし今は違う。ネットがある。ブログなどの新しいコミュニケーションツールが次々と登場してきている。編集権を読者コミュニティーに分散させることが可能な時代になろうとしているわけだ。これがわたしが理想とする「参加型ジャーナリズム」である。取材記者の傍若無人な振る舞い、最初に結論ありきの取材、メディアスクラムなど、現在のジャーナリズムが抱える問題の多くは、編集権を持つ読者コミュニティーが瞬時に糾弾、粉砕してしまうだろう。
 では究極の参加型ジャーナリズムとは、具体的にはどのような形になるのだろうか。今はだれも予想だにできない、と思う。しかしその最初の形としては、韓国の新聞社が始めたような記者ブログであったり、市民記者で運営する韓国オーマイニュースのような新興報道機関が有望だろう。
一般市民の声を聞こうと考えるマスコミは記者ブログに乗り出すだろう。マスコミが今後も一般市民の声を無視し続けるのであれば、ライブドアかどこかの新興報道機関に一般市民の支持が集まるのだと思う。
 どちらの形から入るのであれ、21世紀のジャーナリズムは市民参加型になるのは間違いないと思う。世界的にみても、この流れはもう変えられないだろう。
 ただ日本で果たして参加型ジャーナリズムが成功するだろうか。課題は二つある。
 1つは、一般市民の間で既存のジャーナリズムを打破したいという思いが十分に高まるのかどうか、という点だ。
 今回のようにネット上でマスコミ批判で盛り上がることは、これまでにも何度もあった。しかし、大半の国民が新聞に信頼を寄せているというアンケート調査や、先進国の中で日本国民は最もマスコミを信頼しているという統計結果などを見たことがある。本当はどちらなのだろう。ノートリアスさんは「今のメディアのありようが、社会にとって『容認可能』なのか『容認不可』なのか」と問う。わたしもそこのところを知りたい。容認不可ならば、参加型ジャーナリズム確立への動きは今後、ますます大きなうねりとなるだろうと思う。
 もう1つは、一般論として日本人が大人の議論をできるのかどうか、ということだ。
 拙著「ネットは新聞を殺すのか」はいろいろな批判をいただいた。中でも最も批判されたのが、2ちゃんねるを「草の根ジャーナリズム」と形容したことだった。多くの人は、2ちゃんねるで行われている議論を「大人の議論」とは認めないことが分かった。人格攻撃や誹謗中傷が存在する主張は、日本ではまっとうな議論ともジャーナリズムとも認められないのだ。
 米国人のように幼いころから議論の訓練を受けていない日本人に、議論型ジャーナリズムを実現できるのだろうか。
 幸いにも、このブログのコメント欄で行われている議論は紳士的なものが圧倒的に多く、うれしく思う。こうした議論を促進するような雰囲気作りにも力を入れなければならないのだと思う。(略)

もしもう一度、コメント欄が荒れた場合、うまく乗り切る自信もない。
 また批判的なコメントに動じていないように受け止められたが、結構精神的につらかったことも記憶している。文章を書くことを仕事にするわたしだが、このような批判の集中攻撃を受けた経験は過去になかった。「ネット上で多くの人に批判されてるんだ」。妻にだけ一言、弱音をはいたことを覚えている。

(引用終)
―――――――――――――――――――――――――――――――――
とてもよくできた物語である。
大体泣かせる。コメントをよせた方々の名前を適宜にちりばめ、感謝し、批判をバネに、自説を展開するいい機会だとして静かに語りかける。
ほぼこれは恋文に近いところがある。
炎上という非常事態の中で、誠実にもがき苦しみ、立ち上がる自己像が描かれている。
配偶者にぽつりと愚痴をこぼすところなどは、泣けまっせ。道頓堀でっせ。
と、冗談めかしてはいけない。
今思うと、ここに入っている感情と理論の構造は、今回のそれの原型であることは分かる。
http://kurosaki-yowa.seesaa.net/article/17221386.html(黒崎夜話 湯川発言 全)
時間のある方は類似点とその相違点を指摘してみて欲しい。
それから、ここで引用した炎上と今回のそれが、構造的に何処が違っていたのかを再確認すべきかもしれない。
構造が違うということは、その段階が異なるということである。

ここで名前の出ている「切込隊長」は、当時ブログ界のカリスマであった。
今は「短命のカリスマ」として日経一面で揶揄される存在になってしまっている。
それはそれでいいのだが、今回、切込氏の役を演じてもらおうとしたのは誰か。
それはどういう企画で、それがどういう世論を巻き起こしたのか。
ブログが「マスゴミ批判」で盛り上がっていた当時と今とでは何処がどのように違うのか。

主観的情勢と客観的情勢の相違。という言い方があるそうだ。
そんなことを踏まえながら「独断専行」という単語を記憶しておくべきだろうと思っている。
posted by 黒崎 at 02:31 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

テ抜き

黒崎@テ抜き

黒崎さんって頭いいんだか悪いんだかわかりませんね。
とか、よく言われる。
鮫島のヤローにである。
英検何級ですか、とか真顔で帰国子女に見上げられたこともあった。
ブダラ、のバックから細いシガレットを取り出しながらである。
エスタブリティッシュメント⇒テ抜き
スターテス⇒そんな言葉ねえよ。

じゃ、君これ読めるかと書いたのが「篭る」であった。
何故か虚しい。
トラブル・伊豆・マイ・ビジニス。
ツダ・スクール・オブ・ビジネス。
posted by 黒崎 at 00:27 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

「さてな ?」のフォー

黒崎@「さてな ?」のフォー

http://kusanone.exblog.jp/m2006-04-01/#3470741
Commented by さてな? at 2006-04-17 05:26 x

(4)今回の取材にあたって、泉さんの連絡先その他を、湯川さんはご確認になりましたか?

>自分がまず大げさに話すことで相手の警戒心を解き、本音を語ってもらうという手です。僕自身、取材の中ではよく使っている手ですが、トーク番組のようなセッティングの中では、控えるべきだったかもしれません。

(5)文中にあるように「よく」そのような手をお使いになられているのですか?
―――――――――――――――――――――――――――――――――
元ブログが消える可能性もあるので、全文は以下である。
http://kurosaki-yowa.seesaa.net/category/1459335.html

ここでの「さてな?」氏の質問は、なかなか執拗である。
ただ一般論として、取材相手の身許確認は不可欠であろう。ましてスポンサー付の対談ともなれば一般の取材とは形態が異なる。
本音を引き出すための手法、という言い方を湯川氏はしているが、そのプロセスそのものがコンテンツとして残るのであるから、うかつであったという以外にはない。
笑い声や言葉の間までが残る。そこからCMである。

私としては、湯川氏は少なくとも泉氏の身許その他は知っているものと思いたい。
同時に、何度か話し合いをしたというume氏についても同じである。
面談であればメモも残っている筈だし、場合によっては録音も本人の許可を得て行っていてもおかしくはないだろう。
ITであろうがなかろうが、記者というのはそういうものであるからだ。
同時にそれは、自らと自らの所属する組織を護るための手段でもある。

例えば情報源を特に国家権力の手に渡さないというのは、報道関係者のプライドのひとつである。それは報道の自由の根幹にあるものだが、記者自らがいいかげんな情報を信じ、それを流す権利を有するということではない。
仮にその信憑性に疑義が出た場合には、その過程が調べられ、場合によっては社内処分がなされることもありうる。それは明白なかたちを取るものばかりではない。

この辺り、細かな法律や社の内規を取り出すまでもなく、世間一般の常識に照らし合わせて考えれば良いと思う。
あなたの会社ではどうです。
業務の根幹に関わることで、その遂行のプロセスに第三者から重大な疑義が出た場合、どうした処理がなされますか?
つまりは広く「職業倫理」の問題なんですね。
posted by 黒崎 at 00:11 | TrackBack(0) | 夜話 | 更新情報をチェックする

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